Bob Suttonのブログに紹介されていた論文、“Leadership, Followership, and Evolution: Some Lessons From the Past”を読みました。
この論文はAmerican Psychologistという雑誌に掲載されていて、進化論的な観点からリーダーのあるべき姿について論じています。非常に面白いのは、“Selfish Gene”の視点から、リーダーよりもむしろリーダーに従うフォロワー(部下)に着目している点です。良いリーダーになれるかどうかはフォロワーの心をつかめるかどうかにかかっていて、農耕が始まる数千年前までのリーダーというのはフォロワー(部下)第一に考えていたということです。そして人類は遺伝的にはこのタイプのリーダーを好むようにプログラミングされているというのです。
この考え方は僕自身のリーダーシップに対するポリシーと親和性が非常に高く、僕の考え方の枠組みとして今後活用していくだろうと思います。
以下に僕なりにポイントをまとめました。
リーダーよりもむしろフォロワー(部下)に注目することが大切
ゲーム理論と進化論的な考察から、リーダーの目的とフォロワーの目的は一致しないことが多いとこの論文では結論しています。なぜなら、フォロワーになるよりもリーダーになった方が取り分が多く、子孫を繁栄させられる可能性が高いからです。しかも必ずフォロワーの方が数は多くなります。
こう考えると、リーダー論を議論するときは、むしろフォロワーに着目するのが良いと思われます。つまり、フォロワーが従いたくなるようなリーダーとはどういうものか、という観点です。残念ながらリーダー論に関するほとんどの著作は、フォロワーに着目していません。
フォロワーにとって、リーダーのもとに団結した方が有利なのは、グループ全体に危機が訪れたときです。実際、危機においては人間はより団結しやすいことが実験的に証明されています。逆に危険が無い状況においては、不必要なリーダーシップはグループ全体の士気を下げ、生産性を低下させることが知られています。
人類は遺伝的には権限分散型の社会に適合しています
人類の遺伝子は、数万年以上の環境(遺伝的適合環境)に適合した状態になっています。数千年前から始まる農耕社会以降の環境には適合しておらず、それ以前の狩猟採集生活に適合しています。
この頃の社会は権限分散型の社会で、明確なリーダー的な役割は無かったと考えられています。Big Menと呼ばれる、狩りが得意な人もしくは戦闘が得意な人は意思決定に大きな影響を与えていましたが、その権限は得意分野に限られていました。会議の場では、参加者は全員意見を聞いてもらえ、完全に自由に意見を述べることができました。もしBig Menの誰かが権力を独占しようとすれば、他の人たちは団結してこの人に抵抗をしました。
この非常に民主的な状態は250万年続いたと考えられています。そしてこの状態が、現代人が求めるリーダー像に大きな影響を与えていると考えられます。例えば良きリーダーとは公平性、誠実性、有能さ、判断力、寛大さ、謙遜、思いやりなど、権力分散社会で評価される資質を持った人であり、尊大さや自分本位さは悪いリーダーを連想させます。
文化人類学的な調査から、多くの原始社会では絶対的な権力に対する反抗精神は強く、団結して権力を振りかざすリーダーに立ち向かうことが知られています。首長が悪行を行えば公然と非難され、他人を命令しようとすれば拒絶されました。場合のよってはクーデターが起こりました。暴君や独裁者が生まれるのは、搾取的なリーダーからフォロワーが自分を守れなくなるときだということが歴史的に示唆されています。
農耕社会になり、組織が巨大化し、権力の集中が起こりました。フォロワーは組織から逃れることが困難になり、その結果、権力の独占が起こりました。この状態は産業革命の初期まで続きました。
現代では職業選択の自由があり、より遺伝的適合環境に近い状態になっています。
リーダーに必要な資質
- 先頭に立つ外向性。また状況判断をするための知性。
- フォロワーの欲求を理解し、それを分け与えることができること。つまり目的を達成するだけのスキルと経験を有すると同時に、その成果をフォロワーに分け与える寛大さ。
現代の環境は、人類の遺伝的適合環境と合わない
調査によると、従業員の60-70%は直属の上司が最大のストレスだと感じているようです。またアメリカではマネージャーの50%が失敗に終わります。このことから、人類が遺伝的に考えているリーダー像と現代のリーダーの間にミスマッチがあると考えられます。
例えば狩猟採集社会では、目の前の仕事が要求する能力に応じて、その仕事のスキルが最も高い人(仕事によって異なります)に権限が与えられました。ある個人がすべての仕事の判断をすることはありませんでした。しかし現代の官僚もしくは形式的なリーダーという仕組みでは、リーダーにすべての権限が集中します。
また現代の会社組織では、リーダーはその上司に任命され、フォロワー(部下)に選ばれません。出世のためには同僚や部下を喜ばせることよりも、上司を喜ばせることの方が効果的です。これも狩猟採集社会と異なります。
僕のリーダーシップ論との関係および感想
僕は高校生の時に卓球部の部長として失敗した経験から「権限が無くても人がついてくるリーダーになりたい」と強く思うようになりました。以降、そのために勉強と経験を重ねてきたつもりです。
僕が前の会社の就職面接を受けたとき、ぼくがその会社で最も若い管理職になるせいか、リーダーシップ論の話になりました。そのときの面接官は同じ大学出身で昆虫好きな人(同じ会社の人なら、これで誰だかわかりますよね?)でした。僕は持論にしたがい、「部下の気持ちを理解し、それを踏まえてモチベーションを与えられる上司になりたい」というようなことを言ったと思います。それに対して昆虫好き君は「それは駄目だな。上司には人格は関係ない。」というようなことを言い、僕の意見を切り捨てました。それを受けて、帰り道で大いに悩んだことを覚えています。
昆虫好き君はその後、同じ会社のとある診断機器事業部の事業部長となり、1年ぐらいするとすぐにクビになってしまいました。人格を無視したリーダーシップ論は果たしてうまくいったのでしょうか。そうではなかったようなことはしばしば噂では聞いていました。
今回この論文と出会って、僕のリーダーシップに対する考え方やポリシーに大きな枠組みを与えてもらったと感じています。今後はこの論文に引用されている文献も調べ、自分の経験を整理し、新しい情報を当てはめながら、より深く勉強していきたいと思います。
また、僕は今まで高圧的なリーダーに何度となく強く反抗してきました。それはサラリーマンとしての世渡りという意味ではマイナスだったとは思いますが、この論文によれば自分の遺伝子に素直だったんだとも言える訳です。自分の今までの社会人人生を振り返る中でも、とても勇気をもらったように思います。
何かの縁で再度マネージャーをすることがあったら、僕はより大きな自信を持って、権力分散型のリーダーシップスタイルを貫くでしょう。