ノーベル経済学賞のPaul KrugmanがNY Timesに米国経済学の観点から21世紀最初の10年間を振り返る記事を書いていたのを見て、僕も自分の関わっていた分子生物学分野の10年間を振り返ってみようと思いました。
僕の場合は仕事をいろいろと変えていることもあり、また分野全体をまんべんなく見ているわけでもありません。ですから非常に主観的な見方になってしまいますし、できもしないのにまんべんなく書こうとは思いません。それでも非常に変化の大きかったこの10年間の面白さのエッセンスが少し書ければと思います。
DNAアレイの興亡
僕が今でも良く覚えているのは1995年の年末頃のScience誌だったと思うのですが、AffymetrixのDNA Chipの記事と、Stanford型のマイクロアレイの話と、SAGE法の記事を一緒の掲載している号がありました。当時はまだAffymetrixのものは一般に販売されていなくて、Stanford型のマイクロアレイも市販のものはほとんどなかったんではないかと思います。SAGE法もまだまだ多くの人が利用するものではありませんでした。その号のScienceは、ゲノムがシークエンスされたあとのポストゲノム解析技術として有望なものを紹介したわけです。要はこれからはゲノムを読むだけなく、mRNAの発現様式を解析しなければならないので、それを一気にやれる技術はいまのところこれですよという訳です。
僕は2001年に製薬企業の研究所をやめて、DNAアレイも販売している研究試薬メーカーの受託研究ラボに勤務するようになるのですが、そのころがようやくDNAアレイが一般の研究者も使い始めた頃でした。非常に低密度で、ガラススライドじゃなくてナイロンメンブレンにDNAをスポッティングしたような製品が、かなりの高額でうなぎ上りに売上げが伸びていました。僕が入社した受託研究ラボも、そういったmRNAの発現解析を行うためのものでした。非常にコストをかけてしまっていたために収益性には非常に問題はあったはずですが、とりあえずは売上げが好調でしたので、最初はノリノリでやっていました。
しばらくするとDNAアレイは競合がたくさん入ってきて、Affymetrix社も本腰を入れて価格を下げながら売上げ攻勢を強めてきました。DNAアレイのスポッティング技術はまだまだ未完成の部分があり、そこをAgilentなどの機械技術にる良いメーカーが参入して解消していきました。Affymetrix社も機械技術が強く、Stanford型のようにピンでぺたぺた液を垂らしている程度のメーカーは品質で勝てなくなっていきました。僕が入っていた会社は完全な試薬メーカーで、機械技術は特に持っていませんでしたので、品質であっという間に抜かれていってしまいました。
実は私のいた会社、本来は試薬専業の会社だったのですが、あまりのもDNAアレイが儲かってしまうので、研究開発投資の大半をそれにつぎ込んでしまったのです。それでも基盤の機械技術では全然歯が立たなかったこと、それと技術プラットフォームの選択によっては非常に在庫コストがかさむことなどもあって、変にこの分野に集中してしまったことが後のその会社の衰退を大きく加速させたようです。ぼろぼろになった頃に雇われ、入社してきた米国の新経営陣は、そう語っていました。
受託研究分野についても、参入障壁の低さからあっちこっちの小さい会社が低価格で参入してきて、あっという間に儲からない市場になってしまいました。まぁ、高コスト体質だった我々の会社だけでなく、後から参入した会社も儲からなかったみたいですが。
DNAアレイ技術自身も思ったほど市場を伸ばすことはできず、診断市場にはなかなか入り込めていないようです。また最近では次世代シーケンサーにも市場を奪われていく危険性が出てきています。まだまだ今後も活用されていく技術ではあるのは間違いないのですが、2000年代前半の頃の夢ある市場にはならなさそうです。
DNAアレイはこの10年間で一気に拡大し、日本のベンチャーなどもこの市場に魅力を感じて参入してきました。結果は思ったほどではなく、どっちかというと将来が見えない市場になってきてしまった感じがあります。
僕自身はこの市場の興亡を見ながら、基盤技術の重要性(それは最初から重要とは限らないのですが)、高コスト体質の危険性、戦略無き拡大路線の危うさなど体験することができました。
遺伝子特許
僕は2000年前後はかなり特許に興味を持っていました。遺伝子特許の争奪戦が行われていた時代でした。ゲノムの全配列が公開される前に、なんとかして早く新しい遺伝子の配列を探し出し、そしてロクに機能が分からない段階であっても、とにかく他社より先に特許を取ってしまおう。あくどい考え方ではあるのですが、他社に先にやられてしまったら今後の研究開発に大きな支障となる可能性があるので、防衛的にでもやらざるを得ないと感じている会社が多くありました。
例えばGSKなどが7回膜貫通型のGPCRと思われるオーファンレセプター(リガンドが分からず、機能も分からない遺伝子)を何百と特許出願していました。その特許を実際に見てみると、遺伝子の配列部分以外は全部同じ文章なのです。そもそも出願している遺伝子の機能が全然分からないので、通りいっぺんの文章しか書けないのです。特許を読むとその遺伝子の機能についても言及はあるのですが、それも全部同じ文章でした。確か武田薬品工業も似たような特許を出願していたと聞いています。
僕は2001年からこの世界と離れてしまったので、この騒動の結末がどうなったのかははっきりと知りません。ただ、どうも多くの会社が恐れていた遺伝子囲い込みの問題には発展しなかったようです。やはり機能がちゃんと特定されていない限り遺伝子の特許は認められないという結論になっていきましたし、ヒトゲノムも思ったより早く解読されて公開された訳ですから、遺伝子の物質特許は取れなくなったのでしょう。誰か補足してくれれば助かるのですが、僕の認識では、多くの製薬企業を巻き込んだ遺伝子特許騒動は、まぁゲノム解読を急がせたという意味では意義はあったものの、製薬企業の権利確保という意味ではほとんど意味を持たなかったと認識しています。
僕が感じ取ったのは、会社というのは他社に出し抜かれると思うと凄く慌ててお金をかねるんだなど。新しい可能性に投資するよりも、身の危険を感じたときの方が圧倒的にお金をかけてしまう。そして、物質特許が強いという特許システムの特徴は、研究開発現場をちょっとゆがめている部分があるなとも思いました。本当はそのお金を使って、遺伝子の機能に関わる部分の研究をより深めれば良かったと思うのですが。
抗体医薬
僕が最初にいた製薬会社は日本企業としてはかなり早くから抗体医薬を研究していました。ちょうど2000年前後から前臨床試験を始めたりしていました。僕自身はこの研究に直接関わることはなかったのですが(そうなってしまう前に逃げて退社してしまいました)、関連の深い部署には在籍していました。
抗体医薬と既存の低分子医薬を開発する上での大きな違いは、1) 抗体医薬は作用メカニズムが決まってターゲット分子が決まれば、とりあえず候補となる抗体をとってくるのは早い、2) しかしそれを実際に大量生産していくためのプロセスは既存の医薬品と大きく異なり、高度な技術の蓄積と大胆な投資が重要、ということだと思います。ひどくぶっきらぼうに言うと、既存の低分子医薬品と比べて、抗体医薬は発見するのは簡単だけど、工業生産するのが大変。逆に既存の医薬品は発見(創薬)するのにものすごく時間と労力が必要ですが、大量生産は安価で比較的簡単だということです。
そこでこの10年というのは日本の製薬企業にとってみれば、抗体医薬の非常な魅力を感じて医薬品候補を見つけたものの、安価に大量生産することに非常に苦労して、多くの場合は頓挫したり海外企業にアウトソースせざるを得ないという判断をした、そういう期間だったと思います。
事業仕分けとも重なる議論だと思うのですが、抗体医薬や再生医療を含めた新しい医療技術は、生物によって生産しなければならない原材料を必要とします。そしてこれらを生産するためには、最新の高度な技術が要求されます。しかし一方では、この大量生産技術というのは大学であまり研究されないものでもあります。
先端の医療研究を日本の将来のビジネスに発展させていくためには生産技術を磨かなければならず、それは戦略的にやっていかない限り、あまり大学では行われないよ。この10年でそれがより鮮明になった気がします。
RNAiビジネス
RNAiもビジネス観点で非常に面白かったです。もちろん科学的には全く革命的であり、10年前に常識的に考えられていた分子生物学の考え方や技術がひっくり返されました。でもそれはもう言うに及ばないので、とりあえず僕が見たビジネス視点だけ話します。それもRNAiの医薬応用ビジネスについては僕は良く知らないので、研究試薬としてのRNAiに絞って。
RNAiがほ乳類でもできるようになったとき、非常に多くの研究試薬メーカーが飛びつきました。合成RNAとして提供する会社もあれば、ベクター(shRNA)として提供する会社もありましたが、いずれにしてもメジャーどころはほとんどこれに参入してきました。実はこれはいままでほとんどなかったことです。
その一方で、ふたを開けてみると研究用試薬用RNAi市場は特に大きいものではなかったのです。今までだったら数社しか参入しない程度の市場規模でした。
研究用途では非常に重要であり続けるのは間違いのないことですが、メーカー側からすれば一気に熱して、一気に冷めたというか、少なくともぬるくなってしまった市場だと思います。
なんでそうなってしまったのだろうと当時から思っていたのですが、要は分子生物学がある程度成熟してしまって、大型の新技術が無くなってしまっていたのだろうと思います。だから有望なものが出てきたら一気に各社が飛びついたと。
研究者としてはRNAiは非常に安くできるようになりましたし、良いことずくめだったと思います。ビジネスから見ると、一気に話題になった市場だからといっても飛び込んで言い訳ではなく、冷静に良く分析していかないといけないことを僕は学びました。
プロテオミクスかと思いきや結局はゲノムとトランスクリプトームが注目をさらった
これは日本の科学予算の問題にもなると思います。僕が知る限りだと、日本はヒトゲノムプロジェクトで大幅に遅れてしまったので、プロテオミクスで挽回しようと集中的に予算を付けたと聞いています。逆にその後のゲノム研究は予算がつかなくなってしまったと。その傾向はゲノムの解析が終了するや否やのころ、2000年代初めから続いていると認識しています。
それで今ふたを開けてみると、プロテオミクスがいまいちふるわない中、次世代シーケンサーの出現で核酸の研究がまた大きく注目を集めるようになっています。なのに過去に予算をあまり配分していなかったことが影響し、日本のゲノム研究は取り残され気味だということを僕は聞いています。
あちゃー、っていう感じです。僕の正直な気持ちは。
実は僕が1996年初めに理研で2ヶ月間技術習得をさせていただいたときは、ポストゲノムをにらんだプロテオミクスの手法を学びにいったのです。それで半年ぐらい研究を続けたのですが、あまりふるわず、僕自身が出した結論は先に紹介した1995年末のScienceの論文同様、mRNA発現解析技術こそがポストゲノムで重要になるでしょうということ。そしてプロテオミクスを機能解析に活かしていくのはそのかなり先になるので、残念ながら僕が学んだことに注力するのは恐らく間違っていて、それよりはハイスループットのmRNA解析手法が重要だよと思いました。実際に研究所長の前でもそういうプレゼンをしました。
別の僕の予想が当たったぞとは思いません。ただA-T、G-Cが互いにほぼデジタルに認識するということが如何に特別なことかを考え直したらいいかもしれません。それは研究対象としても特別ですけど、この場合は研究のしやすさという意味でも特別だったということだと思います。
確かに選択と集中は大切なんですけど、国の科学技術戦略であまり博打は打たない方がいいよねって思います。
当然起こると思っていたことが起こらず、衰退していくと思っていた分野が盛り返す。逆の見方をすれば、研究すればするほど新しい課題が見つかってくるというのが科学の必然であり面白さであります。科学の先を読むのは難しいし、個人レベルならともかく、国家レベルではそれはやらない方がいいのかもしれません。
そういう10年ですね。プロテオミクスに流れがいくと思っていたのに、small RNAと次世代シーケンサーで流れは完全にゲノムとかトランスクリプトームに戻って来るでしょうね。
全体の感想
やっぱり面白いね!生物学は!
いろんなことが起こるから、後で後悔することのないように、じっくり考えてから判断していかないといけないよね。
これにつきます。