Asymcoというハイテクの動向を追いかけたブログが非常に秀逸で、急速に話題になっているみたいですが(僕はJohn GruberのDaring Fireball経由で知りました)、著者のHorace Dediuが「存在の理由」(“the existential theory”)というこれまた面白い記事を書いていました。
簡単に言うとこうです。
- 会社にいるときは、主にデータの収集とそれをプレゼンテーションすることを行っていました。聴衆は最小で一人、最大でも数十人。そしていったん発表が済むと、記憶としてはだいたい3日持ちません。ひと月もすれば完全に忘れ去られます。
- なぜこうなるかというと、企業内では情報の伝達と貯蔵、消費は制限されるからです。この結果、企業内アナリストの仕事は限りなく無駄になってしまいます。
- もう嫌になってしまったきっかけは、経営陣のミーティングで発表する分析に2週間費やしたのにも関わらず、スケジュールの関係で議題から外されたときです。そのときの分析は誰にも発表する機会がありませんでした。
- そのときに悟ったのは、自分の分析はミーティングに必須ではなかったということ。それは「経営陣のための余興」だったのです。だったらと思って、自分のエンターテインメントスキルを磨くことを決心しました。そしてなるべく大きな聴衆に向かってブログを書くようになったのです。
Horaceの気持ちは痛いほど分かります。
僕はアナリストではありませんでしたが、経営陣に対して発表をするというのは常に虚しさがありました。ただただ、自分のチームのやっている仕事を評価してもらい、僕らが生命科学に貢献できるようにリソースを分配して欲しいと思ったからがんばったまでです。そうでもなければ、バイオテクノロジーの知識が無いのはむろんのこと、研究に貢献する喜びを感じず、使命感も持たない人たちのために時間をかけてプレゼンテーションを準備することはありません。
しかもせっかく分析をしても、Horaceが言うように、それを部下やその他の社員に公開することは原則としてしません。経営上部に対するプレゼンテーションの場合は。
The Smithsの”Heaven Knows I’m Miserable Now”の歌詞に
In my life
Why do I give valuable time
To people who don’t care if I live or die ?
というのがあって、すごく好きなんですが、経営陣のミーティングにたくさん参加するとこういう気持ちになります。
PS.
そういえば僕が最初に入社した製薬企業では、研究報告書というのがあって、研究の切りがつくとそれを書くことになっているのですが、この管理の仕方がまたすごかったです。原本は地下の倉庫にしまわれて、研究管理室に鍵をもらいに行かないと取りに行けません。しかもコピーは厳禁でした。
その上、どのような研究報告書があるかを知りたくて検索をしようと思っても、許可をもらって上でITチームに依頼を出さなければなりません。ですから結果として、研究報告書の内容はもちろん、そういう報告書があったかどうかもすぐに忘れられてしまうのです。
僕は自分の研究にすごく重要な情報をMedlineで検索して、論文を見つけて、驚いたことに自分の研究所の人間が10年前にそれをやったということを知って、ITチームに検索を依頼して、そして初めて研究報告書の存在を知ったということがありました。
会社って時々とてもおかしなことになってしまいます。