まだ3歳10ヶ月の長女の話ですが、子供どうしで遊ぶようになってまだ2年も経たない年頃なので、子供として初めて体験する友達同士のトラブルが発生します。
特に男の子は言葉が汚くなることもあり、長女に対してもちょっと意地悪な言葉だとか行為が出てくるようです。
それはそれで全く仕方のないことなのですが、そういうことを親に話してくれる長女にどういう言葉をかけてあげるか。大げさに言えば、その言葉が何かによって、その人の価値観のかなりの部分が見えてくるのではないかと思ったりします。
僕が長女に言っているのは「意地悪をする子はちょっとおバカさんだから仕方がないの。あなたはひらがなもカタカナも読めて、英語も勉強しているでしょう。でもあの子は出来ないよね。でもおバカさんだって言ったら、あなたもおバカさんになっちゃうので、絶対に言わないようにね。おバカさんが可哀想だからね。秘密だよ。」
僕はハンムラビ法典的な「目には目を」という考え方は、現代には合わない原始法律として理解しています。そうではなく、マハトマ・ガンディーの言う「”目には目を”は全世界を盲目にしているのだ」こそが僕の価値観です。少なくとも昔の日本の親の多くは「いじめられたらやり返せ」と子供に言っていたそうですが、僕はその考え方は間違っていると思ってます。
僕の考え方では「意地悪」だとか「いじめ」というのは加害者の未熟さに由来していて、「いじめられたらやり返せ」というのは自分の子供に「未熟者と同じレベルになれ」と言っているのと同じです。ですからそういうことは絶対に言いません。
同時に「意地悪」や「いじめ」に耐えたり許してあげたりするためには、自分の方が精神的にも能力的も優れているという自信が大切だということを理解しています。これは自分自身の経験もあります。自分に自信がある人間は、多少の辱めを受けたとしても聞き流すことができます。その一方ちょっとの侮辱ですぐに逆上する人間は、自分自身に自信がないのです。少なくとも僕はそう考えています。
ですから長女が「意地悪」をしてきた子を許すためは、長女が自分自身に自信を持たなければなりません。そのために自分の能力を再確認させて、そして逆に「意地悪」な子を可哀想に思えるようになる必要があります。
僕は自分のこのような価値観に基づいて、長女に先の言葉をかけました。
でもこういうときに対応はやはり難しいと感じます。それぞれの親によって、全く違う言葉をかけるでしょう。
このブログを読んでくださっている方も、自分だったらどういう言葉をかけるか、そしてそれが自分のどのような価値観に基づいているのかを考えてみたらいかがでしょうか。きっと自分の価値観がよりよく理解できるようになるのではないかと思います。