昨日、「スマートフォン市場が飽和する予感」という書き込みをしました。
MMD研究所から出た調査結果で『フィーチャーフォンユーザーの63.0%がスマートフォンに必要性を感じていない』となっていたためです。
なお2013年5月時点のフィーチャーフォンユーザは56.7%と推定されています。したがって単純に63.0% x 56.7% = 35.7%と計算すると、携帯電話ユーザの35.7%がスマートフォンの必要性を感じていないということになります。
そうなると 100% – 35.7% = 64.3%ですので、70%あたりでスマートフォンユーザ比率が頭打ちになることが予想されます。
もちろん単純にそうはならない理由はいくらでもあります。
- そもそもフィーチャーフォンが売られなくなる可能性。
- スマートフォンの電池の持ちが良くなり、障害とならなくなる可能性。
- データ通信をあまり使わない人のための、安いデータプランが登場してくる可能性。
ここでは最終的にスマートフォン比率がどうなるかの議論ではなく、市場が飽和していくことでどのような変化が起こるのか、マーケットシェアがどのように変化していくのかを考えてみたいと思います。
コモディティー化するか
市場が飽和するときに起こる変化として、よく言われるのがコモディティー化です。そしてこれが最終的に価格競争につながっていくという考えがあります。したがって市場が飽和していくと、安い方の製品が売れるようになるというものです。
しかし私が感じるのは、コモディティー化というのは市場の成熟度によって起こるものではなく、早期から既に起こっているということです。
例えば激しい価格競争に見舞われた液晶テレビについては、当初から各社間の差別化は少なく、どこのものを買っても差はありませんでした。これは市場の飽和度によって増減したのではなく、早期からそうでした。
加えて液晶パネルの製造は巨額の設備投資が必要で、一端工場を作ってしまうとなかなか生産量を減らすことができないため、決死の思いで販売数を伸ばそうとするという性質もあります。
一方で一眼レフカメラの世界は市場が飽和していっても、なかなか価格競争に見舞われません。オートフォーカスの時代も、デジタル一眼の時代でも、技術の発展により一定の低価格化は起こりますが、これは製造原価に見合ったものであり、赤字を垂れ流す状態にはなりません。
市場が飽和しても激しい価格競争に陥らない理由は、各社間の差別化がはっきりしていて、どこのものを買っても良いという状態になっていないからです。
例えばパーソナルコンピュータの世界では、1990年代前半まではNECが大きな差別化ができており、海外の安いパーソナルコンピュータが入ってきても日本市場では成功できませんでした。差別化というのは日本語処理能力の高さでした。日本のNEC以外のメーカーも、大きなシェアを取ることができませんでした。
状況が変わったのはDOS/VやWindowsなどの登場で、ハードウェアとソフトウェアの進歩により、海外の安いパーソナルコンピュータでも十分に日本語が扱えるようになりました。そうなるとNECの差別化ポイントは消え失せてしまい、一気に価格競争の波にのまれてしまいました。
こう考えるとスマートフォン市場が飽和したからといってすぐにコモディティー化が起こり、すぐに価格競争が起こるということはありません。あくまでも差別化の有無が重要です。
スマートフォンの場合、Android陣営ではGalaxyが大きな差別化を実現できており(Androidというどこでも使えるOSを使っているにもかかわらず)、またAppleのiOSは完全に独立した世界を気づき上げ、大きな差別化を実現しています。
その一方で、キャリアが製品価格を大きく補填して販売しているため、製品そのものの価格戦略が不可能になっています。
したがって現在のスマートフォンの市場は価格競争を仕掛けることが困難か不可能に近い状態です。
Late Majorityの消費性向
市場が飽和してくると購買者層が変化していきます。Early AdopterやEarly MajorityからLate Majority、Laggardsへのシフトです。飽和が見えてきた現時点ではLate Majorityの消費性向が重要になります。
問題は差別化がはっきりしているスマートフォン市場において、Late Majorityがどのような動きをするかです。特に価格競争が起きていない状況です。
顧客満足度が高く、使いやすいと定評のある製品にLate Majorityが流れるのは必然ではないでしょうか。Early Majorityなら冒険心のある顧客が多かったと思いますが、Late Majorityではそういう人はもういません。