2月1日の朝日新聞の9面に「英語で授業 できるの?」という特集がありました。13年度の新入生から段階的に実施される予定の高校英語の学習指導要領の改訂を受けて、3人の指揮者からの意見を集めた特集でした。
この学習指導要領の改訂の中に「従業を実際のコミュニケーションの場面とするため、授業は英語で行うことを基本とする」が明記されているそうです。これを受けて、「英語で授業 できるの?」というのが本特集の題名になっているようです。
僕自身は小学校の間にイギリスに住んでいて、長く現地校にいました。英語しかしゃべれなかった時期もあり、日本語は小学校の頃に外国語として勉強し直しています。そういう理由で外国語の学習には非常に興味を持っていますが、僕の観点から、この記事の中で面白かった文をいくつか取り上げたいと思います。
立教大学教授 松本茂さん
私は中央教育審議会の外国語専門部会委員として改訂に向けた検討をしてきたが、主眼は「英語で授業」ではない。
…
これまでの授業は、先生が説明し、生徒は聞いているだけ。あるいは、生徒に和訳させ、先生が直す。…. 生徒は試験に備えて和訳を覚える。これでは進学しても社会に出ても、使い物にならない。野球部の部員が、イチローのビデオを見て監督の解説を聞くだけで、打撃練習や紅白試合をしないのと同じだ。
…
今の授業では、覚えたつもりにさせているだけで、活用力どころか知識にすらなっていない。
こう述べた上で、松本さんは以下の授業形態を推奨しています。
生徒が大量の英文を読んだ上で、英語でプレゼンテーションする。生徒の間で役割を決め、英語でインタビューし、英文を書く。書いた英文を互いに英語で批評し合って書き直す。
そして、日本語の英語教育の問題としてしばしば取り上げられる「文法重視」「英会話」について、考え方そのものを痛烈に批判しています。
いまだに「文法中心か、コミュニケーション重視か」という対立軸をあげる人がいる。もうやめにしませんか。どちらも大事だし、相互に関連したものなのだから。
高校におけるコミュニケーション重視の英語授業とは、英会話の授業ではない。日本語を介さずに大量の英文を読むのが基本となる。中学・高校の英語教科書は薄すぎる。
僕は松本さんの意見に全面的に賛成です。
「文法中心か、コミュニケーション重視か」という対立軸について言えば、残念ながら英語を勉強した日本人は、実は文法もちゃんと理解できていません。残念ながらどっちもできていないのです。ですから二者択一している場合ではありません。
また英語教育をする目的は、海外旅行で英会話ができることが目的ではありません。世界の情報の圧倒的多数は英語で発信されますが、これを吸収し、また自分から発信できる人材を育てることが目的だとぼくは考えます。そのために必要なのは「英会話」の授業ではなく、長文読解、作文、そしてプレゼンテーション力なのです。
外資系の企業で感じることですが、「会話」だけなら TOIEC 500点台でなんとかなります。英語で伝わらない部分は、外向的な性格だとか純粋な人の良さでカバーできます。ただ、これは見下されてもいい「かわいい日本人」の立場であるか、自らに圧倒的な技術力があるかの限定付きです。これでいいのなら、この程度の英語力でも外資系で勤まります。しかし、外資系の企業で先頭に立って活動するためには、大量の英文の資料を読み書きし、経営陣の前で説明できなければいけません。
学校の授業で「会話」を重視し、読み書きを軽視するなんてばかばかしいということです。
国立音大准教授 中西千春さん
高校の英語学習は、単に英語で会話することだけが目標ではない。英語で読み書きをする、議論をする、推論するといった「認知学習言語能力」を育成しなくてはならない。議論や推論などは高校生にとって日本語での訓練も十分であないのだから、日本語を活用したほうが効果的だ。
むしろ、日常会話能力を含めたコミュニケーション力を育成するうえで問題なのは、高校で学ぶ時間と単語数が絶対的に不足していることだ。日本人が英語コミュニケーション力をつけるには約3千時間の学習が必要とされるが、中高での英語学習は総計で約800時間にすぎない。
中西さんも、「英会話」ではなく、より総合的なコミュニケーション力を学ばなければならないとしています。そして日本の英語の学習時間が圧倒的に少ないことを指摘しています。
ただ中西さんは、圧倒的に時間が足りない状況を受けて、日本語をうまく活用した授業で効率化を図るべきだとしています。
僕の感想
僕は松本さんや中西さんの意見には全面的に賛成で、これがうまく実施できれば間違いなく良い方向に進むと思います。大学入試側も入学試験の工夫をして、より長文読解重視、より作文重視をしてくれることを望みます。
大切なのは、実際に社会で英語を使う日本人が、どのように英語を使っているかを踏まえた上で議論することです。
外資系だけでなく、日本企業や官公庁でも、英語の長文をしょっちゅう読まなければならない部署は多くあります。またこれらの部署では、自ら英語の文章やプレゼンテーションで情報を発信しなければいけません。外国の大学に留学するにも同じです。
大学入試を含めて英語を学習させるすべての機関が、最後にあるべき姿をしっかり意識して、その上で英語教育を改善してもらいたいと思います。