それで日本でGalaxy Tabは売れているのか、売れていないのか

Asahi.comに『7インチの大画面スマートフォン「GALAXY Tab」のネット機能をiPadと比べた』という記事があり、BCNランキングなども紹介されていました。

発売直後の売れ行きは上々。「BCNランキング」の2010年11月の携帯電話ランキングでは、月末の11月26日発売ながら24位にランクイン。スマートフォンに限ると、auの「IS03」、ソフトバンクモバイルの「iPhone 4」の32GBモデル、同16GBモデル、NTTドコモの「GALAXY S」、「Xperia」、auの「IS01」に次いで、7位だった。

 週次集計では、発売日を含む11月第4週(2010年11月22日-28日)は7位、翌週の11月最終週は8位と、2週連続でトップ10入り。特に11月第4週は、「iPad」のWi-Fi + 3Gモデルの販売台数を上回るほどだった。「LYNX 3D」などの新製品がランキング上位に並ぶ中、12月第1週(12月6日-12月12日)は11位にとどまったが、12月第2週(12月13日-12月19日)は26位にダウンした。

とは言うものの、何を言っているのかがよくわかりませんので読み解いてみました。
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ランキングの推移

以下、携帯電話ランキングのみを抽出(スマートフォンの中での順位ではなく、携帯電話全体の中での順位)。斜体は私の私見です。

  1. 発売月(2010年11月)に24位にランクイン。ただし11月26日発売なので、5日間分の売上げのみがカウントされています。
  2. 週ごとに見る発売された週(11/22-11/28)は7位、次週(11/29-12/5)は8位、12/6-12/12は11位、12/13-12/19は26位。
  3. 最初の発売された週はiPad WiFi +3Gの販売台数を上回りました。ただiPad全体と比べると、数分の一と推測されます。(下記参照)
  4. 新しいバージョンのiPadは2011年2-3月ごろに発売されるウワサがかなり具体性を帯びてきています。新iPadを予想した上での買い控えがあると思われます。(私自身は完全にこれです)
  5. 一方でGalaxy Tabについても12/22から「Happy Tabキャンペーン」が行われるらしく、1万円以上割り引くそうです。最も熱心なユーザにとりあえず売れたところで、ちょっと間をおいてから値引きをするというのはどうかと思いますが、これも買い控えはあるでしょう。

iPadはBCNランキングでは携帯電話ランキングではなくノートPCランキングに掲載されています。ノートPCランキングでアップル限定で絞り込むとiPadの機種ごとのランキングが分かりますが、iPad WiFiの方がiPad WiFi + 3Gよりもずいぶんと売れているみたいですので、「iPad WiFi +3Gの販売台数を上回る」と言ってもiPad全体の売上げの数分の一程度と推測されます。

どうやらスタートダッシュこそはiPad全体の売上げの数分の一でしたが、そこから急速に売上げは低下したようです。

DoCoMoのネットワークにつながるにもかかわらず、Galaxy TabはiPadと比べて大して売れていないみたいです。iPadを脅かす存在では全くなく、Steve Jobsが言っていた”Dead on arrival”は本当かもしれません。

まあこんなものではないかと思います。

ソーシャルメディアって難しい

ソーシャルメディアと言えば私はTwitterとFacebookとmixiを使っていますが、それぞれに微妙な使い分けをしています。私以外の多くに人も何らかの使い分けをしている思います。

私の場合;

  1. Twitterはネットで知り合った人を始め、不特定多数の人とつながっています。投稿も雑多な内容で、仕事のことを含め、思ったことをその場で書いていました。最近はバイオの買物.comの公式アカウントという位置づけにして、発言内容を仕事関連になるべく絞っています。Twitter上の友人は旧知の間柄でもないので、すごく大切な友人ということはあまりありません。そのため、政治のこともちょっと過激に発言することもありました。逆にそれでつながっている人も多くなっています。
  2. Facebookは顔なじみの人に限定しています。それも学生時代の友人や、プライベートの話が気軽にできる会社の友人(今の会社は一人でやっていますので、以前の会社の友人になりますが)に絞っています。投稿もプライベートばかりで、子育て関連のことばかり書いています。大切な友人ばかりなので、気軽な中にも、学生の頃は話さなかったような政治とかの話はしないようにしています。友人の政治観とかが分からないし、それが理由で友情にひびを入れたくないからです。
  3. Mixiはそもそもほとんど使っていませんが、Facebookと同じようにプライベートの話が出切る友人に絞っています。

ただこれはあくまでも私の使い分けであって、友人が同じだとは限りません。

例えば私はFacebookをプライベートな友人に絞っていますが、その友人の中にはFacebookを今の会社の人間とのつながりに使っている人がいます。

そのとき僕が彼の投稿に対して、学生時代の悪のりした感じでちゃかしたようなコメントをするとマズいのです。なぜならそのコメントを彼の会社の同僚が見てしまうからです。

実際やってしまった後に気付いて、あわてて消してしまったことがあります。

アップデート

よく考えると日本人でFacebookをやっているは、何らかの形で外国人と知り合っていて、その人と連絡を取るためにFacebookを使っていることが多いように思います。留学したのでなければ、必然的にFacebook上の「友人」は会社関係の人間になりやすいですね。
Facebookが日本で普及していけば、そうでもなくなると思いますが。

ソーシャルメディア(TwitterやFacebookなど)を使う上での注意点

NewImage.jpgここ数日、ある代理店とあるメーカーのTwitter公式アカウントで不正確なツイートがありました。私がその点を指摘したところ、ツイートはいずれも削除されましたので、詳細は省きます。ただこれらの「問題ツイート」がどうしてマズイのか、そしてこれをやらないようにするためには何を注意すれば良いのか、自分なりの考えをまとめたいと思います。

続きはバイオの買物.com公式ブログにアップしました。

ノーベル平和賞って人権活動とか民主化活動に与えるべきではないと思う理由

結論から言うと、私はノーベル平和賞を人権活動や民主化活動に与えるべきではないと思っています。あくまでも平和に絞るべきだと思います。

なぜか。

人権や民主化と言ったものは近代の西洋的な価値観であり、西洋であっても歴史が浅く、まだ普遍的にその価値が認識されているとは言えないからです。

また人権や民主化を重視することが人類の平和と繁栄につながるとは言えず、歴史的に見れば比較的民主的な国家こそが無用な戦争を起こしているとさえ言えます。

NewImage.jpg帝国主義国による植民地支配やそのあとに続く第一次大戦、第二次大戦にしても、世界の中でも民主化が早かった欧米の国々が犯したものです。最近で言えばアメリカが犯したイラク戦争もそうですし、イスラエルも民主化された国のはずなのにあんなひどいことをやっています。

その一方で人権や民主化という概念すらない何千年前の古代より、平和の重要性は普遍的に認識されています。

当のAlfred Nobel氏の遺言にしても、平和については書いていますが人権・民主化には言及していません(Wikipediaのノーベル平和賞の項 日本語 英語)。

…shall have done the most or the best work for fraternity between nations, for the abolition or reduction of standing armies and for the holding and promotion of peace congresses.

国家間の友愛関係の促進、常備軍の廃止・縮小、平和のための会議・促進に最も貢献した人物

それもそのはずです。Nobelが生きていた時代(1833年-1896年)の世界はまだ人権の考え方が確立していなかったのです。スウェーデンでは既婚女性が自らの所得を使えるようになったのは1874年、女性に選挙権が与えられたのは1921年です。アメリカの黒人差別と公民権運動は言うに及ばずです。

想像ですが、人権や民主化の推進が世界の平和にプラスになるなんて、Nobel氏はこれっぽっちも思っていなかったのではないでしょうか。

結論

平和は歴史的にも地理的にも普遍性を持った、人類共通の価値観です。平和に貢献した人を表彰している限りはノーベル平和賞は世界全体のものと認識されて良いと思います。

しかし人権や民主化に対してノーベル平和賞を与えるのは、西洋の近代的な価値観の押しつけだと言われても仕方がありません。しかも人権・民主化が平和に貢献するという客観的な証拠も無さそうです。Nobel氏の意思に沿っているとも言えないと思います。

「人権・民主化が平和につながる」と言うのであれば、日本を含めた民主国家が例えば中国に対して先例を示さなければなりません。民主化していることが如何に良いことか、如何に平和に貢献しているか、如何に国民の幸せにつながるのかを示さないといけません。「人権・民主化が平和につながる」というのはまだ新しい考え方で、歴史的に証明されていません。ですから現代の民主国家こそが、自らこれを証明しないといけないのです。

しかし残念ながら、民主国家はあまり成功していると言えません。経済は破綻するし、政治は混乱するし、好戦的な国もあるし。

個人的には「個人の自由と人権」を謳歌していますので、中国人に民主主義の良さをアピールしたいのですが、なかなかエビデンスが揃わないのが苦しいところですね。

アップデート

ノーベル賞の公式サイトを見ると、こんなことが書いてあります。

It is striking that although the committee based its work right from the start in 1901 on a broad range of criteria for what is relevant to peace, the struggle for human rights was for a long time not among those criteria. The first real human rights prize went to the South African chieftain Albert Lutuli in 1960.
….
Why the struggle for human rights was not considered a criterion before 1960 is an interesting question. Nobel himself evidently did not take it into consideration when writing his will in 1895. Nor did the committee when it began its work in 1901. It included humanitarian work, as we have seen, but not efforts aimed at human rights.
….
So why did it find a place on the international political agenda after World War II? Why had the struggle for human rights not been regarded as relevant to peace before then? The main reason is sufficiently clear. It lay in the new threat posed by the twentieth century’s totalitarian regimes, and more particularly in the experience of total war with ethnic cleansing and other horrors, all within the western world.

ノーベル平和賞が人権や民主化活動を含むようになったのは、ヒットラーのせいなんですね。

中国に対して「民主化しろ」と言うからには、良いお手本を示さないとね

劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞し、それに対する中国がいろいろと不満を形にして表していて、それをまた先進国が非難しているのは、もう皆さんよくご存知のことかと思います。

「人権を守ることが大切だよ」とか「民主化しないといけないよ」とか「中国にとってもの民主化した方が長期的には良いよ」とか「言論の自由を弾圧してはならないよ」とか、いろいろなことを先進国は言っています。

でもそういう「民主的」な先進国が、金融の暴走で大変な不景気に見舞われています。そして不景気から脱却するほぼ唯一の道としてこぞって中国の市場に着目しています。一見すると「民主的」じゃないほうが不況に強いようにも見えます。

各先進国は景気刺激策のコストがかさんだ結果、揃って財政赤字が膨らみ、大きな危機感の中で政権与党が選挙で苦戦を強いられています。そして大きな方向転換を強いられ、財政引き締め策にそろって舵を切ろうとしています。ヨーロッパにしてもアメリカにしても、そして日本にしても然りです。要するにあまり一貫性の無い不況脱出策を各国が採るはめになっています。

この状況の中、中国から見れば「中国にとってもの民主化した方が長期的には良いよ」とはとても思えませんよね。民主化されている先進国がそろいもそろってだらしないことを続けているので。

2011年にはAndroid携帯が衰退していく理由

GoogleのAndroid携帯は最近、日本でも大変盛り上がってきました。Samsungが製造しているGalaxy TabをNTT DoCoMoが大々的に宣伝したり、あるいはAUがようやくAndroid携帯を発売したりしています。SoftbankはiPhoneがありますので、本来はAndroid携帯を売る大きな理由はないと思いますが、それでも一応売っています。

世界でもAndroidは非常に良く売れているようです。

しかし2011年はAndroidが衰退していく年になるだろうと私は思います。

理由は非常に簡単です。特許です。

NewImage.jpgAndroidがここまで人気が出たのは、iPhoneに遅れて3年で技術的に同等なものが作れたからです。iPhoneというのは非常に革新的で全く新しい携帯電話でした。それを3年でほぼ真似ることができたというのは大変なことです。Appleが米国でAT&Tとの独占キャリア契約をしてきたのは、有力な競合がしばらく出て来ないことを想定したものだったと思いますが(つまりキャリアに対して圧倒的な交渉力を維持できる)、Androidの躍進はAppleの想定よりもずいぶんと早かったのだろうと思います。

開発が早かった理由はGoogleの技術者が優秀だったということもあるかもしれませんが、多分それだけではありません。あっちこっちの特許を侵害する形で近道をしたというのもありそうです。

Androidの特許周りを総括しているブログ、FOSS PATENTS : Android caught in a crossfire of patentsでは以下のように書いています。

While I’ve been following patent disputes in our industry for some time, I can’t remember that any software platform has ever been under pressure from such a diversity of patents — held by several powerful competitors — as Android.

Given the well-known strength of the patent portfolios of Apple, Oracle and Microsoft, and considering those companies’ vast resources and expertise, the latter scenario (all patents valid, all of them infringed) is certainly a possibility. Even a fraction of that could already have meteoric impact.

Androidの特許を取り巻く環境はとりわけ厳しく、Androidが無傷で特許紛争から逃れることはまずあり得そうにないという話です。

I said before that if all those complaints succeed (even just the ones that have already been filed), Android would be reduced to uselessness. That’s because the patents asserted cover an impressive diversity of technologies that define the user experience — and, therefore, customer expectations — in today’s smartphone market.

Androidが侵害していると既に訴えられている特許は非常に広範な技術をカバーするそうです。Java VM、UI、電力管理、ネットワーク接続、フラッシュメモリ管理、プログラミングテクニック関係、データのシンクロ関連などなどです。一部だけでもAndroid側が敗訴すると、Android携帯はほとんど使い物にならなくなるそうです。

Googleの対応と2011年の予想

Googleがどのような対応を取りそうか、それはOracleからの訴えに対する反論にもあります。

Google, メーカーを訴えてくれ:AndroidのJava特許侵害

そうじゃないとしても、Apple, Microsoft, OracleがGoogleではなく、携帯メーカーのHTCやMotorolaを訴えるのは全く自由です。Googleが積極的に和解金を払いながら問題を解決していくとも思えませんので(そもそもAndroidは無償で提供していますし)、2011年は引き続き多くのAndroid関連訴訟が起こされるでしょう。

携帯メーカーとしては非常に困ったことです。こんな訴訟に巻き込まれるようなOSを使い続けるよりも、他に使えるものがあるのならぜひ使いたいというのが本音でしょう。訴訟が怖いのでAndroidは使いたくないのに、残念ながらいままでは選択肢がなかったのです。

しかしようやくその選択肢が登場します。2011年にはWindows Phone 7が本格的に売り出されていきます。Windows Phone 7はまだ未完成ではあるものの、かなり有望だというレビューも多く(他にここも)、訴訟を警戒するメーカーはかなり積極的に使うはずです。最悪でも訴えられたときのバックアップとして、各メーカーはWindows Phone 7をラインアップに加えるでしょう。そしてWindows Phone 7が徐々に完成度を高めていってくれれば、携帯メーカーがAndroidに投資し続ける理由はなくなってきます。

OracleとMicrosoftそしてAppleを同時に敵に回すよりは、Microsoftの傘の下でビジネスをやる方がよっぽど賢明そうです。

2011年はそういう年になっていくと思います。

10代の子供にはネットをどう活用してもらいたいか:「10代、パソコン離れ…ネットは携帯で 東大教授ら調査」

Asahi.comに「10代、パソコン離れ…ネットは携帯で 東大教授ら調査」という記事が載っていました。

NewImage.jpg左に引用したグラフを見てもらえるとはっきりしていますが、「自宅でのパソコンによるネット利用時間」が2005年には20分弱あったのに、2010年には10分強までに落ち込んでいます。他の年齢層は軒並み利用時間が増えている中で、10代だけが落ち込んでいます。したがって10代の若者特有の何かがあると考えるのが自然です。以下、思うことを書いてみたいと思います。

これは意外な結果ではない

2009年の1月に僕は「高校生の携帯電話の使い方」というブログ記事を書きました。高校一年生だった姪が携帯電話をどのように使っているかを聞いたものです。そのときも「自分専用のパソコンが仮にあったとしても、面倒だから使わない」ということを言っていました。ブログを書いた当時は気付かなかったのですが、iPadなどが登場したいまでは、パソコンの何が面倒だったのかははっきりしていると思います。立ち上がるのは遅いし、設定が面倒だし、アプリのインストールは分かり難いしなど、iPadが解決しようとしているのはそういったパソコンの面倒臭さです。

この調査を実施した橋元教授は

10代のパソコンによるネット利用時間が落ち込んだのは意外で、10代の携帯ネットの利用も飽和状態に近いと見ている。

と語っているそうですが、彼はあまり10代の若者と接する機会がないのかなと想像されます。

面倒くさいというのは10代だけではないはずです

しかしパソコンが面倒くさいというのは10代だけの話ではないはずです。他の世代にとってもパソコンの起動が遅いのは共通の苦痛です。ですからこれだけでは10代の落ち込みは説明できそうにありません。

Asahi.comの記事の中では、10代の時間がテレビゲームなどに振り分けられていることにも注目していますが、これもまた10代特有とは言えません。3-40代もかなりテレビゲームをやっているはずです。

日本のマスコミのレベルが一般に低いので仕方ありませんが、Asahi.comの記事では10代の落ち込みの原因が十分に議論されていないと言わざるを得ません。

携帯サイトの年代別利用状況

一つ考えられる仮説として、携帯サイトが10代の若者にとって魅力的である一方、インターネットのコンテンツに魅力がない可能性があります。

「モバイルでの利用サービス調査」では世代別の調査が行われていますので、これを見てみましょう。

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この中で10代の利用率が突出して高いのは「着うたフル」「ブログ」「電子コミック」「占い」です。「ブログ」の中身が芸能人等のブログなのか、友人同士のブログなのかはこのウェブページだけでは分かりませんが、僕の姪の話だと友人同士のブログを見ることが多いと言っていました。よくある、携帯で簡単に書いたブログなのでしょう。

確かにこれらのものであれば、携帯の小さな画面でも不便は無さそうです。敢えてパソコンを使う必要は感じられません。今日初めて電子コミックをこのサイトで試してみましたが(パソコンの画面上で)、画面が小さいと一コマ一コマに集中させられてしまい、却って良さそうな気もしますね。

逆にパソコンでネットを利用する目的のうち、高校生にとって魅力のありそうなものを見てみます。総務省の資料平成 21 年「通信利用動向調査」の結果の9ページ目のグラフにいろいろな利用目的が記されています。

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上位項目のうち、パソコンでなければできず、なおかつ中高生にとって面白そうなのは「動画投稿サイトの利用」ぐらいでしょうか。10代がパソコンを利用しなくなっている理由がだんだん分かって来た気がします。

親としては子供にネットをどう活用してもらいたいか

先ほどの総務省のグラフを見ながら、親としては10代の子供にどのようなサイトに行ってもらいたいかを考えてみたいと思います。

パソコンでのネット利用の最上位は「企業・政府等のホームページ(ニュースサイトを含む)」ですし、親としては子供にもこれを見てもらいたいはずです。世の中がどのようになっているのかの情報はそこにあるからです。そして親自身がインターネットをイメージしたときは、このようなサイトをイメージしています。

しかし10代の子供はこれにあまり興味がないのでしょう。だから携帯で十分と考えるのだと思います。

どう考えるか

少なくとも親の世代から見たとき、10代の理想的なネット利用というのは、学習の助けになるような使い方だと思います。学校でやる目の前の勉強はもちろんのこと、社会の仕組みを知る勉強、将来の職業について考えるための勉強など、そういうことにインターネットを利用してもらいたいと思っているはずです。

しかし当然ながら子供が素直に親の意向に従ってくれるはずもなく、自分たちが興味を持っているものがまず最初にあって、それに合わせるようにネットを活用していきます。そして若者の興味はいつの時代もほとんど変わることはなく、相変わらずポップ音楽であったり、友達関係(異性を含む)だったり、漫画だったり、芸能人だったりする訳です。10代の若者が社会の仕組みや将来の職業に非常に関心を持っていた時代は、少なくとも日本が豊かになってからはないはずですし、今後も訪れないと考えるのが自然です。社会のことに無関心でいられるのは先進国の10代の特権なのですから。

10代のパソコン離れは、これを単に反映しているだけではないかと思います。

ただ僕としては残念な思いはあります。若い世代にはもっと有効にネットを活用し、我々の世代では出来なかったようなこと、得られなかったような情報を活用しながら、我々の世代を越えるような人間たちが育ってほしいからです。

そのためにはネット(パソコンの)を活用した授業を学校の中で取り入れるしかないのかなと、この調査結果を受けて、いままで以上に強く思うようになりました。

博士号取得者は○×ができるという議論はやめよう

ぼくのTwitterのタイムラインでは、博士問題を取り上げたり、その解決のために努力をされたりしている人がそれなりにいます。

博士問題、つまり博士の就職難の問題に取り組む姿勢そのものは高く評価しています。しかしその時に「博士号取得者は技術に詳しい」もしくは「博士号取得者は独自に道を切り開く力がある」と言う人がいます。博士号取得者が優秀である、もしくは優れた経験をしているという主張です。

希望的にそう思いたいという気持ちは分かりますが、科学的根拠がないことを科学者が言っちゃいけないと思います。ロジックとしては博士号取得者は優秀だという議論は可能ですが、博士号取得者の方が○×ができるというデータってあるんでしょうか。特に同じ年数を企業で過ごした人と比較して。

入手しやすそうなデータの一つとして、博士課程に入学した人のうち、実際に博士号を取得した人の割合があると思います。ちゃんとした数字は調べていないのですが、例えばインターネット上ではこういうページがあります。まぁまぁ僕の出身学科に近い数字ではあるので、個人的にはこれで大体正しいかなと思っています。ちゃんと調べた結果、もし紹介したページのように理系で博士コースに進学した学生のうちの50%-70%もの人が博士号を取得するというデータになったとすると、例えば「博士号取得者は独自に道を切り開く力がある」ということはもう言えないですよね。

博士号取得の失敗率が低いわけだから、「選抜」は行われていません。かといって、医学部のように医学の体系的な教育がされている訳でもありません。ですから博士号というのは3年間研究をし、平均的な成果が得られ、それを論文にまとめたことに対する学位であると考えるのが妥当ではないでしょうか。それ以上でもそれ以下でもないはずです。

「証明書」があることを除けば、博士号を取得した人と、修士で企業の中で3年間研究をしていた人は基本的に等価です。希望的観測なくして、これ以上のことは言えないはずですし、言ったところで問題は解決に向かわないはずです。

何でも不景気のせいにするのは考えが足りない: 「30代前半の男性、半数が親と同居…不況背景?晩婚化も」

Asahi.comの記事
「30代前半の男性、半数が親と同居…不況背景?晩婚化も」

マスコミだから仕方ないと諦めているけれども、論理展開がおかしいです。

国立社会保障・人口問題研究所が「経済状況の厳しさが、結婚や自立を遅らせている可能性もある」と語ったと報じられていますが、本当にそうだとすると、この研究所もちょっと考えが足りないことになりそうです。

なお調査の原文はここの10ページ、図III-6だと思われます。

スクリーンショット(2010-12-11 2.00.16).png

新聞記事を引用します

親と同居している割合は、結婚を機に30代になると大幅に減少する。ただ、30代前半の男性は調査のたびごとに増加し、1999年は39%、04年は45%だったが、今回は48%と最高を更新。女性も04年の33%から37%に増えた。

つまり1999年から2004年は同居率が6ポイント上昇していて、2004年から2010年は3ポイントしか上昇していません。2002年2月から2007年10月は公式には好景気(いざなみ景気)である一方、2008年のリーマンショックによる景気後退は100年に一度とも言われているものです。したがって言い方によっては、好景気時に同居率が6ポイント上昇して、不景気時に上昇率が半分に低下したとも言えます。

実際に過去の調査結果のデータを確認し(2009年実施2004年実施1999年実施1994年実施)、30歳前半男性に限って整理しました。

2009年 47.9%
2004年 45.4%
1999年 39.0%
1994年 41.2%

1994年から1999年にかけてというのは、バブルが崩壊した直後で、日本経済史上最長の不景気が続いた時期です。でもその間に同居率は2.2ポイント減少しています。

僕なんかの考え方で言えば、この数字を見る限り、景気と同居率の間には相関関係は無さそうだと思うのですが、いかがでしょうか。

まとめ

親との同居率について、晩婚化についても、最近15年のデータを見る限り景気との相関関係は認められません。新聞で報道されているように景気のせいにするのは、はなはだ根拠に乏しい議論だと言えます。

おそらく親との同居率についても、晩婚化についても、景気とは全く異なる要因がむしろ大きく影響していると思われます。

そもそも親と同居するかどうかの判断は、家賃、給与、そして会社の福利厚生に大きく影響されます。

好景気のときは給与も増えますが、家賃も増えます。もし給与の増加分以上に家賃が増えてしまったら、いくら好景気とはいえ、親と同居する子が増えるという議論が成り立ちます。好景気かどうかを見るだけでなく、給与と家賃の相対的な関係を見る必要があります。

また会社の福利厚生として独身寮があり、格安で借りることができるのであれば、景気に関係なく多くに人が入寮するでしょう。最近は各企業が社宅や独身寮を減らしていますので、親との同居率にはこっちの方がむしろ影響している可能性があります。

本当のところはしっかりした調査が必要になりますが、いずれにしても簡単に景気のせいにするというのはあまりにも考えが足りず、あきれてしまいます。

朝日新聞だけなら仕方ないのですが、日経新聞までもこんな報道の仕方をするのでがっかりです。

生物は「効率」を重視したデザインではない

Nature Structural & Molecular Biology誌に“Transcription of functionally related constitutive genes is not coordinated”という研究が投稿されていました。

Constitutiveに発現している遺伝子のmRNA発現レベルは結構適当だし、とても効率を重視したような発現パターンではないよという話です。

The Scientistに解説記事“Surprisingly sloppy yeast genes
The findings suggest the current understanding of transcription networks should be reassessed”
が載っていますの引用して紹介します。

These essential genes — which work together to build important cell complexes like ribosomes and proteasomes — are turned on and off randomly, researchers report in today’s online edition of Nature Structural and Molecular Biology.

細胞のエネルギー効率の観点からすれば、余計なものを作らないことが大切です。無駄なものを作ることは資源の浪費であるのはもちろん、有害な物質の蓄積にもつながるからです。そのために遺伝子の発現レベルはコントロールされるだろうと考えるのが自然です。しかし実際にはコントロールされているどころか、ランダムに変化しているというのです。

“The genes are essentially clueless,” said Singer. “They don’t know what they’re making or the actual destiny of protein. They’re just there, cranking out proteins.”

非常に大切な遺伝子であるにも関わらず、発現レベルのコントロールは全くされていないよ、制御されていないよという話です。

“We have this bias about cells being efficient, but the more we learn about them, the more inefficient we find out they are,” said Singer. “But maybe that’s the way biological systems have to work. If they had too many controls, there’s a lot more opportunity for things to go wrong.”

研究すればするほど細胞は効率重視ではなく、無駄を多く残していることがわかってくるという話です。そして生物が行きていくためには、それは必然なのではないかということです。効率を重視しすぎていたら、うまくいかなくなってしまうことも多いのではないかという意見です。

感想

細胞は効率重視ではないというのは、僕もずっと前から感じていたことで、この論文が示していることは非常に自然に受け入れます。細胞生物学をある程度学んだ方も多くはそう思っているのではないかと思います。

一番分かりやすいのはゲノムです。全ゲノム配列のうち、遺伝子をコードしていると思われるのはわずか数パーセントであり、その他の箇所の大部分はいまだに何をしているかがはっきりしません。miRNAの発見等によって、古典的な遺伝子以外にも機能を持った配列があることはわかりましたが、それを加えたとしても、一見すると何も役に立っていないゲノム領域の方が圧倒的に多いです。

一見役に立っていないゲノム領域も何らかの機能があるはずだ。そう信じて様々に解析している研究者もいます。しかし今回の研究論文のように生物の「いい加減さ」が繰り返し証明されるにつれ、本当に機能があるのか、疑問に思えてきます。

僕はそういうとき、自分のオフィスの机、そしてパソコンのハードディスクの中身を思い出します。日常的に使っている領域や書類はやはり数パーセントです。その他のものの中にはもちろん大切で保管が必要なものもありますが、捨てても永遠に気付きそうにないもの、つまり無駄なものも多くあります。数年に一回オフィスを大掃除したり、ハードディスクの中身を見直したりしているにも関わらずです。

さらに自分の身の回りだけではなく、人間の営みそのものや社会、経済、会社組織についても考えてみます。どこを見ても無駄なものは見つかります。こうしたら効率化できるのではないかというものがあります。しかし現実にはそうなっていません。

効率化が進んでいるかどうかについて、細胞と自分のオフィス、パソコンのハードディスク、そして社会との間には本質的な差は無いと僕は常々考えています。

「そうか、細胞も僕と同じぐらいはずぼらなんだね。」

これが本質だと思います。