iPadのこわさは、他のどの会社も真似できないものを作ったこと

アップデート

John Gruberのブログを読んだら、実際にiPadを触った多くの人の感想を知ることができました。特にすごかったのはスピードだったそうです。会場のみんながとにかくスピードをたたえていたそうです。
iPadのCPUは何でしょうか?Apple社が独自に設計/製造したA4というCPUです。他社はこのCPUを使うことはできないのです。これも、他社がiPadを真似できない理由となるでしょうね。大きな理由に。

iPadが発表されてそろそろ丸一日が経ちますが、いろいろな記事も出てきました。Twitter上でも話題になっています。高いとか安いとか、パソコンの変わりになるとかならないとか、Kindleに勝てるとかどうか。それぞれの面白い話題ですけど、僕はかなり別の角度からとても興味を持っています。それは前のブログにも書きましたが、アップル社の垂直統合モデルのすごさを見せつけられたという点です。そしてしばらくはどこのメーカーも同様な製品が作れないだろうという点です。

アップル社の垂直統合というのは、CPUからハードの組み立てからOSからアプリケーションソフトからオンラインショップまでのすべてをアップル社が持っているということです。そしてiPadにおいてはこのすべてのアップル社製になっています。アプリケーションソフトは確かに3rdパーティーが作ったものが非常に多いのですが、その流通チャンネルをアップル社が完全に握っているという意味ではやはり垂直統合モデルの一部と考えても良いと思います。

そしてこの垂直統合モデルのおかげで、イノベーションが非常に加速されています。iWorkというオフィススイートはiPad用に書き直されましたが、おかげで9.7インチスクリーンとマルチタッチに最適化されたユーザインタフェースになっています。ビデオを見ると分かりますが、感動的です。マック版のiWorkを使っている僕としてはとても悔しくなるぐらい、iPad版のiWorkは機能と操作性が充実していそうです。メールや写真を管理するアプリも非常に高度にiPadの仕様に合わせて最適化されています。こういうことはハードとOSとアプリケーションソフトを一社で作っているアップル社ならではのことです。

例えば話題のネットブックですが、AsusやAcerなどの台湾メーカーはハードを非常にがんばって作っています。どんどん性能の高いものを、安い価格で販売し、市場シェアを拡大しようと画策しています。彼らは既存メーカーのHPやDELLから市場シェアを奪いたいので、非常に積極的です。

しかしCPUを作っているIntelとOSを作っているMicrosoftはネットブックの台頭を喜んでいません。それぞれに非常に細かいルールを決めて、既存のラップトップと競合するような高性能のネットブックが登場しないように規制しているのです。例えば10インチのスクリーンサイズを越えるもの、あるいはRAMが1G byteを越えるものについてはAtomを供給しなかったり低価格のWindows XPを提供しなかったりという戦略で、ネットブックがCore 2 DuoやWindows Vista / 7の売上げをカニバライズしないように制限したのです。このようにネットブックに関しては、PC組み立て屋さんとパーツ屋さんとでは完全に同床異夢の状態だったのです。

アップル社以外のすべてのPCメーカーは水平統合のバリューチェーンを組んでいます。しかし水平統合をしていると、関連企業の思惑の不一致によりイノベーションが阻害されてしまうことがあります。ネットブックがまさにその好例なのです。

そこで問題になるのは、アップル社以外のパソコンメーカーがすべて水平統合のバリューチェーンしか持たない今、垂直統合モデルによって作り上げられたiPadの競合となりうる製品が果たして生まれるのか、そして生まれるとしたらそれは何年かかるのかということです。

特に問題なのはワードプロセサーと表計算ソフト、プレゼンテーションソフトのいわゆるオフィス系ソフトです。いまのところWindowsの世界で使われているオフィス系ソフトはほとんどマイクロソフトオフィスだけです。Google Appsという選択肢はありますが、まだまだ一般化している状態ではありません。そしてフリーのOpen Officeなどもありますが、無料だという以外には魅力のない製品です。ですからiPadに十分に対抗できるような製品(iWorkが使えるという意味で)を作るには、やはりマイクロソフトオフィスを載せることが、少なくともここ数年のスパンで見たときには必要になります。

その一方でiPadに対抗する製品に載せるべきOSはどれかといえば、いまのところ最有力なのはAndroidではないでしょうか。Androidはスマートフォン向けのOSとして開発されていますので、タッチインタフェースに最適化されていますし、小さい画面にも向いています。電力消費にも気を使っているはずです。iPadがMac OS XではなくiPhone OSを採用していることからも分かりますように、iPadライクな製品にはスマートフォン向けのOSが適しているのです。

しかし、マイクロソフトがAndroidで動くようなマイクロソフトオフィスを果たして開発してくれるでしょうか。答えは明白です。絶対に作ってくれるはずはありません。Android OSをベースとしたiPadが発売されるとしたらば、オフィスアプリは間違いなくGoogle Appsです。そうするとクラウド型のソフトであるGoogle Appsがどれぐらい早く成熟するか、デスクトップアプリケーションとおなじ安心感を与える存在になるかがポイントです。Googleはこれをやってのけるかもしれません。でもかなり未確定です。

そうなると、なんだかいつもの話に戻ってしまうのですが、iPad対抗製品に載せるOSはWindows系しかあり得なくなってしまいます。しかしタッチインタフェースと10インチ以下のスクリーンサイズということになると、それはWindows 7ではなく、いまのところ姿がはっきりしないWindows Mobile 7となるでしょう。Windows Mobile 7は2月15日から始まるMobile World Congressで披露されるという噂もあるみたいですが、まぁ実際のところどうなるか分かりません。はっきり言えることは、ぱっとした実績のないWindows Mobileシリーズに賭けなければならない状況というのは、実に危ういということです。

考えてみれば、2年半前に発売されたiPhoneに対抗できる製品を開発するまでにGoogleでも2年遅れました(アンドロイド社を買収したのは実際には2005年なので、開発には相当な年月がかかっています)。マイクロソフトはまだiPhoneに対抗できるOSを開発できていませんし、Windows Mobile 7は全面的な書き直しだという話もあるのでうまくいくかどうかはっきりしません。それに加え、iPadはiWorkの書き換えを含みますが、マイクロソフトがオフィスを書き直すのに必要な時間も相当にかかるでしょう。Mobile Office 2010という製品は開発途中でβ版も無料でダウンロードできるようですが、ビデオを見る限りあくまでも小さい画面のスマートフォン向けのものであり、とてもとてもiPadのiWorkに相当するものではありません。

そういう状況の中、結局はWindows 7とタブレットPCという、既にある組み合わせしかないという気もしてきますが、タブレットPCというのは大きさにしても価格にしても既存のラップトップPCです。必要なときにタブレットとしても使えますというだけのことです。iPadの価格はこれらの1/4。重さも半分かそれ以下です。これもダメです。

だらだらと書きましたが、要するにiPadと対抗できる製品を確実に作れるメーカーは、パソコン業界広しといえども見当たらないということです。iPadのすごいのは、アイデアがすごいのではなく、アップル社以外に作れないのがすごいのです。もしすべてがうまくいったらGoogleもしくはMicrosoftが数年間のうちにiPodに対抗する製品を作れるかもしれません。でも現時点はあまりにも不確実です。普通に考えたら、iPadと対等な製品を開発するのに5年はかかるのではないでしょうか。そのときはもちろんiPadも進化しているはずです。

iPadがどれだけ売れるかはまだ分かりません。でもかなり売れる可能性もあります。売れるとしたら、その市場セグメントはしばらくアップルが何年間も独占します。iPhoneがスマートフォンを席巻しているよりもさらに激しく、そのセグメントを独占してしまうでしょう。そういう大きな構造変化を起こしてしまう危険性を、iPadは持っていると思います。

iPadを見て思った、垂直統合によるイノベーションのすごさとアップルの宿命

iPadが発表されました。売れるかどうかは別としても、いろいろ考えさせられる製品であることは間違いないと思います。今思っていることをメモ程度に書き留めておきます。

垂直統合だからこそ可能なイノベーションのすごさ

iPadに見せつけられたのは垂直統合によるイノベーションのすごさだと思います。今回、アップルはCPU周りも作っているそうです(A4というらしい)。そうなるとアップルはCPUからハードの組み立て、OSからアプリケーションソフト、小売店からオンラインストアまで、バリューチェーンのほぼすべての要素を自社に統合していることになります。同じ市場にいるどの会社を見ても、このうちの数分の一しかカバーしていません。アップルの垂直統合の度合いは圧倒的に突出しています。

製品の性能がまだ未成熟な、市場の発展段階においては垂直統合が優れています。これはイノベーションの研究で知られているChristensen氏が述べていることです。どうして垂直統合が重要かと言いますと、最終製品の性能を可能な限り引き出すために、お互いのパーツを絡めたチューニングが必要だからです。例えばiPadの場合は電池の持ちが重要な課題になりますが、そのためにはハードとOS、アプリケーションソフトウェアのすべてが、パワーを消費しないように設計されている必要があります。

またマルチタッチを使った操作についても、ハードとOS、そしてアプリケーションが最適な操作性を確保するためにデザインされている必要があります。iPad用に開発されたiWorkのデモを見ると、このすごさが分かります。PC用のものを単純に移植したのではなく、マルチタッチ用にとことん最適化されたインタフェースはやはり桁違いに素晴らしそうです。

イノベーションを宿命づけられたアップル

一方製品の性能が成熟してしまうと、重要なのは最終製品の性能ではなくなり、同じ製品を如何に安く作るかになります。こうなると各パーツを高度にチューニングする必要は無くなりますので、各部品メーカーから納入されたものを単純に組み合わせれば良いだけになってしまいます。チューニングはコストを押し上げる要因になり、排除されます。組み立てを行うメーカーは利益が出にくく、変わりにパーツを作っているメーカーに利益が回りやすくなります。ウィンドウズパソコンの状態がまさにこれで、DELLとかNECには全然利益が行かず、マイクロソフトとインテルだけが潤うという構図です。

Christensen氏はPC産業もいずれは成熟するだろうから、早晩アップルの垂直統合モデルもうまくいかなくなり、そしていずれ過去と同じような衰退期を迎えると考えているようです(そんなことを言っているビデオがネットにありました)。ただ恐らくSteve Jobs氏は誰よりもこのことがわかっていて、古い製品をいち早く捨て(売上げの絶頂期であっても)、新しい製品にカニバライズさせたりしています。iPodとiPhoneの関係などはこの好例です。

その一方で、誰もが成熟してしまったと思っている産業に新しい息を吹き込むこともアップルはやってきています。例えばiPhoneが参入する前の携帯電話産業(特に日本)は成熟期にさしかかっているように見えました。ワンセグとかお財布携帯とかの機能を付けたり、いろいろなデザインに走ったり、確かに新製品は出ていました。しかし電話の本来の機能である「コミュニケーションのためのデバイス」としての役割については、新しいアイデアが出ていなかったように思います。iPhoneはこの停滞した雰囲気を全く変えてしまったのではないでしょうか。

また2000年代の初め、Windows 95の熱が冷め、インターネットも一通り普及し終わった頃、もうパソコンはいらないという空気が流れていました。DELLが安売りPCで絶頂を極めていた頃です。もう産業としては成熟し切ったので、後は製造コストを安くできるメーカーが勝ち残るという産業構造です。そのとき、Steve Jobsは”Digital Hub”戦略を発表しました( YouTube このビデオは必見)。パソコンの黎明期を作ったSteve Jobsだからこその素晴らしい歴史観です。その戦略に基づいてiTunesやiPod、iPhotoが開発され、そしてパソコン産業はデジタルメディアを管理するプラットフォームとして生まれ変わったのです。新しい成長が生まれたのです。”We don’t think that the PC is dying. We think that it’s evolving.”

Christensen氏は半分正しいのです。PC産業が成熟すればアップルのような垂直統合モデルは立ち行かなくなります。それをさせないためにアップルは次から次へと新しいビジョンとイノベーションを生まなければなりません。これができないと、Jobs氏がいなかった 1985年から1996年のころのアップルと同じ状態になってしまいます。その一方で垂直統合モデルはビジョンとイノベーションを生むのに適しています。ですからなんとか成り立ちます。アップルは垂直統合モデルが可能にする非常に早いイノベーションをし続けることによって、かろうじてInnovator’s Dilemmaを逃れているのです。

iPadのプレゼンテーション( apple.com, iTunes Music Storeのポッドキャストもあります) の中で、Steve JobsもScott Forestallも「ウェブを見るならPCよりiPadが断然良い」と繰り返しています。iPadのウェブサイトでは、「ウェブ、メール、写真、ビデオを体験する最高の方法。何の迷いもありません。」という見出しまで出ています。マックをカニバライズするよという公然としたメッセージです。普通にパソコンを使うのなら、もうマックを買わなくていいよ。半分の値段のiPadを買った方が断然良いよ。値段も安いけど、使い勝手もiPadの方が良いよ。CEOがそう言っているのです。これほどのカニバリゼーションを平然と行うこと、これがイノベーションをし続けなければならないアップルの宿命なのです。

アップデート

  • Christensen氏の研究をうまく紹介しているサイトがありました。ここ。でも本当はなるべく多くの人に彼の著書を読んでほしいです。
  • 日本のメーカーがどうして問題に直面しているかを考える上でも参考になると思います。日本のメーカーは垂直統合の構造になっているにもかかわらず、イノベーションで勝てなくなっています。ビジョンだけでなく勇気が必要です。構造が似ていますので、悲しいまでにイノベーションを続けるアップルを参考にするしかありません。
  • ちなみに国内スパコンの議論も、Steve Jobsのいなかったアップルを彷彿させますね。価値を生んでいない垂直統合という意味で。

ウェブサイトの「検索」の横に、ボタンは本当に必要か?

いま作っているウェブサイトは検索機能がかなり重要になってくるのですが、とても気になっているのがキーワード欄の横にある「検索」のボタンです。

ウェブサイトでは大きな「検索」ボタンが一般的

ウェブサイトでは一般的に明確な「検索」ボタンをキーワード欄の横に配置しています。

Yahoo
Yahoo.png

Google
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Amazon
amazon.png

しかし、今時の利用者はあまりこのボタンを押さないのではないでしょうか?「検索」ボタンを押さなくてもリターンキーで代用できますし、キーボードから手を離してマウスを動かす必要もありませんので、リターンキーの方が断然便利です。それでも「検索」ボタンを目立つようにさせているのは、いったいどういう理由なのでしょうか。

「検索」ボタンが目立たないウェブサイトも出てきた

「検索」ボタンを目立たなくさせたり、完全に無くしてしまっているデザインもあります。

Twitter : 「検索」ボタンは右の虫眼鏡マークです。
Twitter.png

Mobile Me:「検索」ボタンが無くなっています。
mobile me.png

Mobile Meの場合は、Mac OS XのSpotlight以来のデスクトップアプリケーションで使われているデザインを踏襲しているようです。

Spotlight
spotlight.png

Apple Mail.app
Mail app.png

それで、僕はWindows 7を持っていないので確実ではないのですが、Windows 7の検索もSpotlightと同様に「検索」ボタンが目立たなくなっています。

Windows 7
Windows7.png

ちなみにWindows XPは検索ダイアログボックスが出てきて、立派な「検索」ボタンがあります。

Windows XP
windowsXP.png

今後はどうなるでしょうか

Google suggest (http://www.google.co.jpの検索窓に「夫[スペース]」と入力すると一番上に「夫 嫌い」とか「夫 死ね」と出る衝撃的なやつ)のように、検索窓に言葉を入れている途中でも、なるべく早く候補を表示する仕組みはかなり流行ってきています。Mac OS Xのソフトではこっちの方が標準になりつつありますし、Windows もそうでしょう。その結果、「検索」ボタンを押さなくても検索実行を開始する方法が多くなりました。ですから「検索」ボタンというのはだんだん不必要用になっていますし、単に場所をとっているだけになってきた気がします。

ウェブからも徐々に「検索」ボタンは無くなっていくでしょう。まぁYahooとかGoogleとかの場合は検索がメインなので、検索UIを目立たせるために、無駄でも「検索」ボタンを大きく配置し続けるかもしれませんが、朝日新聞などのようなサイトが「検索」ボタンを目立たせる必要はも無いと思います(虫眼鏡アイコンの方が場所をとらない)。

僕はと言いますと、まだどうしようか悩んでいます。でも無くても良いとは思います。少なくとも検索条件をたくさん入力しなくても良い場合は、「検索」ボタンを無くしていくと思います。

ライフサイエンス分野での携帯ねたの続き

まだ気になって、考えてしまっています。他の仕事をしないといけないのにもかかわらず。このブログを書いて、区切りにしようと思います。

そもそも、どうしてもこんなに気になってしまうのだろうとも考えてしまいます。おそらくは、携帯電話の使い方については世代間や性別間のギャップがありすぎるからだと思います。いろいろな意味で中年の僕にとって、携帯サイトというのは実感として全く理解できない世界なのです。携帯サイトについて勉強したり人に聞いたりしても、自分の実感に照らし合わせたとき腑に落ちないのです。ですからいつまでも成仏できない幽霊のように、僕の頭の中で考えがさまよっているのでしょう。

勉強してみた結果、考える上で大切だと思えるポイントがいくつかありました。

くつろぎの時間に使われることが多い

佐野正弘さんという方がMarkeZineに掲載している記事が非常に参考になりました。まずは携帯が使用されるのは移動中よりも自宅がメインという記事です。もう、実はここから既に僕の実感とデータが乖離してしまっています。PCサイトヘビーユーザについては移動中に携帯電話を使用することが多いということなのですが、逆にPCサイトのライトユーザでは自宅でくつろいでいる時間、特にテレビを見ているときに使うことが多いというのです。しかもテレビで見た製品を、直感的に、一点買いすることが多いというのです。

これをライフサイエンスのマーケティングに当てはめますと、以下のことが言えるかと思います。

「キャンペーンのチラシにはQRコードをつけて、携帯サイトと連動させた方が良い」

どういうことかと言いますと、メーカーが研究者にまき散らしている(もとい、配布している)チラシはお茶机付近においてあって、休憩でお茶を飲むときにチラチラ見ることが多いかと思います。これは研究室にいるとはいえ、家でテレビの前でくつろいでいる状態に少しは近い場面です。もちろんチラシには十分に内容を書いているつもりかもしれませんが、QRコードをチラシにつけて、追加の情報を携帯サイトから見られるようにすると面白いかもしれません。

最低でも、レスポンスがどれぐらいあったかを把握することはできるでしょう。PCのサイトはチラシを配布しなくても訪問者が多く、効果測定をする目的ではノイズが高くなってしまいます。またチラシを見た人がわざわざ自分のデスクに移動してURLを打ち込むことに比べれば、QRコードを読み取る操作は簡単です。ですから高いS/N比でチラシの効果を測定できると僕は思います。

じっくり調べるより、思ったときにすぐに決める

これも佐野正弘さんの同じ記事に書いてあった内容ですが、PCのショッピングサイトの場合はまとめて5商品を購入する利用者が多いのに対して、携帯サイトの場合は1, 2商品が圧倒的に多いそうです。また、思い立ったときにすぐに起動できるという特徴も大きいと佐野さんは述べています。そういった特性を考えると、高額の商品を買ってもらうよりも、既存顧客のファン意識を高めるために利用するのが良いとも述べています。

ということは、製品を購入してもらうよりはもうちょっとユルいことに向いていると考えていいかもしれません。

例えばメルマガへの登録というアクション、セミナー参加というアクション、資料請求というアクションなどは無料でできるものばかりなので、潜在顧客が思いつきでやれてしまうものです。携帯サイトはこういうことに強みを発揮するのかもしれません。そしてアクションを起こしてもらうきっかけとして、キャンペーンチラシにQRコードをつければ良いのだろうと思います。

つまりマーケティングの流れとしては、1) キャンペーンチラシに、対象商品説明とは別に、資料請求やセミナー、メルマガ登録をするためのQRコードを載せておきます 2) こうやって、潜在顧客との関係をリフレッシュします 3) その関係を維持拡大し、将来の購買につなげます。

まとめ

画面が小さくて情報が載せられないなど、一見すると研究者向けのマーケティングにあまり活用できなさそうな携帯サイトではあります。しかし、まだ全く開拓されていないアイデアが多いような気もしてきました。

携帯サイトが活用されていけば、研究者がくつろいでいる時間に企業と顧客の関係作りがされていくようになるかもしれません。それができれば、とても良い方向だと思います。

ライフサイエンス分野での携帯サイトについて考えてみた

このポストを書いた後、携帯サイトの認証について勉強しました。とてもややこしいですね。そのため、本ポストに書いてあるPCサイトと携帯サイトの連携は、よく考えなければならないし、ちょっと面倒な気がしてきました。でも方向性としては必要だと思います。

ライフサイエンス分野で抗体の販売に関わっている友人が携帯サイトに興味を持っていましたので、先週末、試しに製品カタログの携帯サイト版を作りました。僕自身は携帯サイトをほとんど利用しませんし(今はもっぱらiPhoneで、その前はメールだけ)、ライフサイエンス分野で使えるかどうかについて考えたことほとんどありませんでした。でも少し考えてみると何となく面白そうな気がしてきました。以下、思いついたことをランダムに書き記します。

とりあえず思いついたサイトのアイデア

  • 単語や略号を調べるサイト:例えばLife Science Dictionaryや統合DBプロジェクトの辞書的なものに携帯からアクセス。携帯で単語を入力するのは面倒なので、その辺りは工夫があるといいですね。電車の中で論文を読んでいるときに便利そうな気がします。
  • 論文チェックサイト:気になった論文をすぐに調べたり(アブストだけでも)、PCで後で読めるようにブックマークするサイト。暇だけど、論文をしっかり読むほど時間(気力)が無いとき、論文チェックだけするのに便利かもしれません。
  • メーカーのオンラインカタログ:実際に製品を発注したりするときはオフィスのPCを使うだろうから、わざわざ携帯サイトを用意する必要はあまりない気もします。でもとても簡単に作れるので、PRとか話題性のためにメーカーが作るのは悪くないと思います。
  • メーカーの新製品とかキャンペーン、セミナー情報をチェック:携帯で気軽に読めるように整理しておけば、電車の中とか実験の合間の暇つぶしに読むかも知れません。これも後でじっくり読むために、PCとの連携が必要ですね。

PCサイトと連携したいね

上に書いた論文チェックサイトなどは、ヘッドラインとかアブストは携帯で読むにしても、最後には必ずPCでちゃんと読むことになります。ですから、携帯サイトではツイッターのfavorite機能「ふぁぼる」)みたいなものを用意して、後で簡単にPCで確認できることが重要だと思います。

はてなブックマークだとTwitterのつぶやきからブックマークできますので、そこのあたりに答えがあるのかなと思います。はてなブックマークのモバイル版でもうまく出来そうですが、もうちょっと見てみないといけません。

携帯サイトは作りやすいね

携帯サイトはいろいろとおかしな落とし穴も多いのですが、何しろ画面サイズが小さいし、使えるタグが少ないので、デザインはどうしても似たり寄ったりになります。でもこれはライフサイエンスの場合は好都合だと思います。

ライフサイエンスの場合に必要なのはあくまでも情報であって、デザインというのは本質的には重要ではありません。ただPCサイトの場合は、いろいろなことが可能なだけに、そして他社のサイトがデザインに凝っているだけに、どうしてもある程度は工夫しなければなりません。しかしその工夫の自由度が大きすぎるために、それぞれバラバラなことをやってしまい、くだらないことで使いにくくなっているケースが多い気がしています。かえって携帯サイトのように、自由度が狭い方が情報に集中できてよい場合があるのです。

これはライフサイエンスに限ったことではなく、例えば朝日新聞のiPhone用ウェブサイトを見ても感じます。PCを使っている場合でも、PCサイトよりiPhone用サイトの方が見やすいのです。余計な広告も無いですし。

データに集中できることは、もちろん制作者側にもメリットが大きいです。例えば極端なことを言えば、研究用試薬機器メーカーのカタログの携帯サイトを作るとすれば、ほとんど同じにならざるを得ません。携帯電話ユーザに向けて、数千の製品を効率よく見せるフォーマットは多くても数種類でしょう。ですから格安で作ることができます。

まとめ

今更感はするのですが、今まで思っていた以上に携帯を使ったライフサイエンスのサイトは可能性があると思いました。特にPCとの連携についてもうちょっと勉強して、今後提供していきたいですね。

“Dwarfs standing on the shoulders of giants”を手伝う仕事

独立してから2年、年初にもやもやを感じていました。そのもやもや感は、仕事の意義をちょっと見失いつつあることが原因ではないか。瞑想をして、そんな結論に達しました。そこで、その辺りの気持ちを整理するためにブログを書こうと思います。

僕がCastle104という会社を作って、バイオの買物.comを開発・運営している理由、そのミッションを書きます。

Dwarfs Standing on the shoulders of giants

Google Scholarの検索窓の下にもある言葉ですが、”Dwarfs standing on the shoulders of giants” (wikipedia link)は「過去の著名な思想家の仕事や研究を理解し、将来の研究を行うもの」を意味します。ニュートンもこの言葉を引用したとして有名です。

Google Scholar.png

僕はこの言葉が本当に好きだし、科学だけでなく、伝承が行われるすべての営み(生物の遺伝、社会科学、宗教、思想、商業活動など)の本質だと思っています。生物がこれほどまでに高度の進化したのは、ひとえに遺伝という仕組みのおかげであり、それはひとことで言えば子孫が「巨人の肩の上に立つ」ことを可能にする仕組みです。自然科学においてはさらに理論を厳しく検証し、客観的に正しいと結論できるもののみを伝承します。自然科学の発展を支えた大きな特徴は、「巨人の肩の上に立つ」ことはもちろん、誤って「小人の肩の上に立つ」ことをさせない厳しい実験的検証のディシプリンで、これは生物進化の自然選択に通じます。一方、社会科学も「巨人の肩の上に立つ」ということはやりますが、理論を検証することがおろそかにされてしまっているために、「小人の理論」がそのまま残ります。経済学者がバラバラなことを言うのはここに原因があると思います。

“Dwarfs Standing on the shoulders of giants”というのは、ですから非常に重要な考え方です。ただし大きな問題があります。小人たちは巨人の考えをすべて理解し得ないという問題です。巨人たちの数が多すぎたり、あまりにも深い洞察をしていれば、小人たちはそれについていけなくなってしまうのです。

小人たちを助ける仕組みとしてのメーカーの存在

巨人たちの考えについていけなくなってしまった小人たちは、せっかくの巨人たちの偉業を活用できず、科学を発展させることが出来なくなってしまいます。Wikipediaの記事によれば、ニーチェはこの問題に言及し、小人が巨人の肩に立つのではなく、現代の巨人が過去の巨人と叫び合うこと以外に心理学が発展することはないと述べています。確かに心理学はそうかもしれません。しかし自然科学では別の解決策があります。

自然科学、特に現代のバイオテクノロジーでは、研究用試薬や機器のメーカーがこの問題の解決を手助けしていると私は考えています。過去の巨人たちの成果を、「製品」に凝集し、そして新たな課題に挑戦する研究者に提供しているのです。

例えば制限酵素などを考えてみましょう。制限酵素はいまや数千円でたっぷり買えます。制限酵素は1968年(著者の生まれた年)に発見され、1975年にはNEBが始めて制限酵素を発売しました。そして制限酵素が市販品として購入できるようになった結果、論文を読んで、微生物を培養して、制限酵素を精製するなどのひどく時間のかかる作業を行わなくても、注文の翌日には高純度の酵素が使用できるような環境が出来上がったのです。

次世代シーケンサーなどはもっとメーカーの貢献が大きいです。最新のナノテクノロジー、光学技術、PCR技術、酵素学などを知らなくても、普通の分子生物学の研究者が一日で何十ギガベースのDNAシーケンスが得られます。それはひとえに、それぞれの分野の巨人たちの成果をメーカーが「製品」に凝集させ、プロトコールなどを完成させた上で販売しているからなのです。

こう考えると、自然科学には”Dwarfs standing on the shoulders of giants”を実現するための2つの仕組みがあり、それぞれが車の両輪として機能していることがわかります。その一つはピアレビューのもと、研究成果を論文に残していく仕組みです。そしてもう一つがメーカーによる製品の販売なのです。

今度はメーカーが多くなりすぎた

前節で書いたようにメーカーの存在は非常に大きな役割を果たしています。しかし、その数はあまりにも多くなり、販売している製品もあまりにも莫大になってしまいました。バイオテクノロジーに関連した製品の総数は正確な統計はありませんが、少なくとも百万程度はあるのではないかと思います。前節の小人たちは巨人たちの研究成果を理解するのに困りました。しかし現代の小人たちは、販売されている製品を把握するだけでも困難になってしまったのです。現代のバイオテクノロジー分野で”Dwarfs standing on the shoulders of giant”を最大限に実現するためには、もう一つ仕組みが必要になったということです。その仕組みとは、各研究者の研究内容に応じて、最適の製品を紹介するような仕組みです。あるいは研究者自身が、最適の製品を簡単に見つけられる仕組みです。

そのような仕組みは現在のところまだありません。ですから研究者が新しい研究用試薬を購入するときは、関連する論文で使用されている製品をそのまま使うか、知り合いが使っている製品を使うか、あるいは信頼しているブランドから買うのです。それが最適の選択をは限らないことを知りなつつも、ベストの製品を探す労力があまりにも大変なので仕方が無いのです。

ここをなんとか貢献することが、Castle104のミッションの一つです。

メーカーと研究者は十分に心が通じていない

“Dwarfs standing on the shoulders of giants”を実現するためにメーカーが果たすべき役割が大きいことを先ほど述べました。でもお互いに心は通じ合っているでしょうか。お互いにお互いが必要であると感じ、お互いに尊敬と感謝を送っているでしょうか。原因は非常に様々ありますが、残念ながらこうなっていないのが現状ではないでしょうか。

思うことはたくさんあるのですが、ここでは次節にちょっと列挙するにとどめ、深くは紹介しません。ただメーカーと研究者がお互いの考えを知り、率直に意見を交換できるような場所が増えれば、もっともっと研究は発展すると僕は信じています。

これもCastle104が考えるミッションです。

メーカーと研究者は十分に心が通じていないと感じるとき

僕はバイオテクノロジーの研究用製品の市場のいろいろな状況をみて、もう少しメーカーと研究者の心が通い合えばいいのにと思ってきました。以下は思いつくままに、そのような例を並べてみました。

  1. 値下げキャンペーン中毒と価格戦争:バイオの業界ではものすごい数の値下げキャンペーンが行われています。そして一部の製品では価格戦争が起きています。もちろん液晶テレビなどでも価格戦争が行われていますし、価格戦争は悪いことではないのは確かです。しかしバイオの業界では本来差別化ができそうな製品であっても、新発売と同時に値下げが行われたりします。僕の分析では、この値下げ中毒の原因は液晶テレビなどで見られる製造技術革新などではなく、単に顧客とのコミュニケーション手段の不足だと見ています。顧客に製品の良さを理解してもらうのが困難で時間がかかるから、値下げするのです。
  2. サポート体制の軽視:メーカーのサポート体制の軽視はここ数年、加速しているように思います。配置しているテクニカルサポートスタッフの人数にしても、日本語翻訳された資料の配布やウェブサイトにしても、以前より悪化しているように聞いています。不思議なものです。研究者は技術サポートの人と話すことを望むケースがほとんどなのに、メーカーはそっちの人数を減らし、逆に営業を増やしたりするのです。心のすれ違いを感じます。
  3. 大きい会社による買収:もちろんすべての大きい会社による買収が悪だとは言いません。ただ小さい会社の場合は全部署が同じお客様を見て、同じお客様のニーズを考えているのですが、大きい会社になるとそこがバラバラになりやすいということです。特に医療診断メーカーや化学メーカーなどが小さい研究用製品メーカーを買収した場合、全社共通の部署(経営陣、法務、物流など)は研究者のニーズを相対的に考えてくれなくなります。ですけど現実問題として、こういう買収が多く行われています。
  4. オマケがいっぱいもらえる学会こんな記事を書かれてしまいましたね。僕もやっていた張本人の一人ですけど。

最後に

最後の方でちょっとメーカーを悪く言っているような感じになりましたが、メーカーに責任があるなんてことは全く思っていないことをここで断っておきます。悪いとするならば、それは資本主義の仕組みが未完成であることに由来するものだと僕は思っています。

世の中ってもっともっと良くできると思います。足らないものは山ほどあります。そういうのを、できる範囲で、一つでも多くなんとかしていきたい。

生活する分のお金は後からついてくる。そう信じて、心を惑わせてもやもやするのではなく、ちゃんと前に進むような2010年にしたいです。

GDPの成長ばかり目指すと、アメリカを太らせるだけ

僕は経済学の専門家ではないので、間違っているかもしれません。しかしGDPの成長、特に外需による成長だけに目を奪われていると、アメリカを太らせているだけではないでしょうか?

僕が思うのは、GDPの成長ばかりを特に外需で果たそうとすることは、ひどく愚かなことです。
アリとキリギリスの話において、アリが貯金を自分のためにとっておくのではなく、貯金をキリギリスにあげ続けているような状況では無いでしょうか。

そもそも経済成長というのは何だろうか?というところから考えたいと思います。

GDPというのは日本国内で生産された付加価値を見るものであり、日本における生産活動の指標です。
しかし、モノを生産すれば日本は幸せになるでしょうか。間接的にはそうかもしれませんが、直接的には違います。経済的に幸せになるためには、モノを生産し、その報酬をもらい、得られた金額で自分と家族のためにモノを買うことをしなければなりません。ここまでやって、始めて日本の生産活動は日本人の幸せに結びつきます。

日本が今までやってきたことはこれとは異なります。おおざっぱに言えば、日本人はモノを生産し、GDPを高め、報酬を得て、そのお金を貯金して、そしてこれをアメリカに貸しています。貸したお金でアメリカ人はいろいろなモノを買い、良い暮らしをしています。

ひどく単純化した極論ですけど。

発展途上国の場合は、外需を優先して経済成長するのは得策です。なぜならば発展途上国の場合はまだ国内に十分な需要が無いからです。しかし先進国となった日本では、十分な需要が無いのは逆におかしい。需要がないことを理由に外需に頼るのは発展途上国の策です。先進国の策は、どうして国内に十分な需要が無いのかをしっかり分析して、国内需要を増やすことであると思います。日本はそういう意味で、まだ発展途上国のギアに入りっぱなしなのです。あまりにも急速に発展したので、無理も無いところはありますが。

今の政府はGDPに変わる指標を編み出し、これを伸ばすことを成長目標にしようとしています。
ぜひ早くやってほしいものです。
経済活動だけを見たとしても、GDPを指標にするのは、アメリカ人にとっては幸せですけれども、日本人を幸せにしませんから。日本人がだまされ続ける程度だけには幸せにしてくれますけど。

日本のイノベーションに必要なのは、大学が優秀な人材を民間に吐き出すこと

1月1日なのに、大晦日に届いた Elhanan Helpman著 “The Mystery of Economic Growth”を読んでいます。

まだ読んでいる途中なんですが、すごく強く思ったことがありますのでここに書き留めます。

日本のイノベーションに必要なのは、博士を民間に吐き出すことです。日本のアカデミアに国民が税金を払う必然性はここにしかないと思います。もしも日本の大学などがアカデミアの人材しか排出しないのであれば、それは世界全体のイノベーションには貢献するかもしれませんが、日本の産業を有利にするものではありません。

どういうことかと言いますと、アカデミアは基本的に成果を世界中にシェアしますので、日本の研究者の成果は世界の誰もが利用できます。日本国民の税金で行われた研究であっても、中国の企業が利用できるのです。特許による保護は多少あったとしても、通常、これは限定的でしかありません。つまりアカデミアでどんなに高いレベルの成果を出しても、それだけでは日本の産業は有利になりません。逆に日本の産業界は米国で行われた研究の成果を利用できます。

アカデミアの研究はこのように世界共通の知識プールの中に入っていきます。世界の誰もがこれにアクセスできます。世界共通の知識プールに大きな貢献をすることは、名声を高めるという意味では大きな効果がありますが、直接的に特定の国の産業を有利に働きません。

問題は、この世界共通の知識プールからどこが最も大きな利益を得られるかです。最も大きな利益が得られるのは、この知識プールをいち早く理解し、産業に応用できる企業であり国家です。そしてこの担い手は、企業に勤める研究員です。研究員のレベルが高く、アカデミアで行われている研究の成果をいち早く理解し、いち早く実用化できる企業こそが世界共通の知識プールの成果を有利に活用できるのです。

ですから日本国家としては「世界一の研究成果を日本が生み出すこと」を目標に投資するべきではありません。あくまでも日本の産業界の研究を高めるために国内のアカデミアが存在すると認識する必要があります。日本の産業界に優秀な人材を送り出すこと、そしてその人材がアカデミアの最先端に常に触れられるようにしてあげることが重要だと思います。世界一レベルの研究を行うことが間接的に日本の産業界の活性化につながることはもちろんあります。でもあくまでもこれは間接的であり、自動的に行われるとは考えない方がいいでしょう。

繰り返します。世界共通の知識プールに日本の大学などが貢献することは、日本の産業の競争力を高める結果に直接つながりません。直接つながるのは、知識プールをいち早く利用できる国内企業研究者の育成です。日本の大学研究のレベルが高ければ高いほど、間接的にこの目的が果たされることは確かなので、大学研究のレベルを高めておくことは重要ですが、それはあくまでも手段の一つに過ぎず、十分条件とはならないと認識するべきです。

日本を選択的に有利にするという意味においては、最先端の研究をすることが日本のイノベーションを生むのではありません。最先端の研究の成果(世界のどこのものであっても)を日本の産業に応用することが日本のイノベーションを生むのです。

今はとりあえずここまで。後でもう少し私の考えを整理します。

極論注意

日本の大学院重点化政策やポスドクを増やす政策などのおかげで、それまでだったら修士で民間に行っただろう優秀な人材がアカデミアにずっと残るという事態が起きています。これは日本のイノベーションに重大なマイナスになっているかも知れません。博士の就職難なんて言っていますけど、そんなレベルの話では無いかもしれません。僕の言わんとしているのはこんなところです。