3代目のiPadを見て再度考える:アップルの宿命

最初のiPadが発表された直後に私は以下のブログ記事を書きました。

  1. iPadを見て思った、垂直統合によるイノベーションのすごさとアップルの宿命
  2. iPadのこわさは、他のどの会社も真似できないものを作ったこと

その中で僕が繰り返しているのは、イノベーションが盛んに行われている時代、そしてそのイノベーションが市場に受け入れられている時代は垂直統合が勝つということです。そして垂直統合メーカーがほとんど市場から消え去っている今、アップルに対抗できるメーカーはなかなか出てこないでしょうということでした。逆にイノベーションが停滞してしまうと水平分業が有利になってきます。

したがって今後もアップルがタブレット市場をほぼ独占できるかどうかは、タブレット市場のイノベーションのスピードにかかっていると言えます。アップルにとってみればイノベーションを持続することかが最大の課題です。これはアップル一社のイノベーションという意味ではなく、市場全体としてイノベーションに対する期待が持続するかという意味です。

さて3代目のiPadが発表されましたので、その特徴を見ながら、タブレット市場のイノベーションの余地について考えてみたいと思います。

Retina Display

Retina Displayというのは、人間の目の識別能力を超えたと言うことです。つまり今のRetina Displayよりも解像度の高いディスプレイを作ったところで、もう誰も気づかないのです。

したがってディスプレイの画素数、解像度についていうと、イノベーションはここで一つの終着点を迎えたのです。

今後のイノベーションは消費電力を押さえられるかとか、どれだけ薄くできるかとかに限られてきます。エンドユーザには見えないところでのイノベーションになります。

今後のイノベーションの余地は一つ減りました。

なおRetina Displayの画素数は2048 x 1536であり、普通に販売されているパソコン(iMac 27インチを除く)の最大画素数 1920 x 1080を大幅に超えています。これをスムーズに動かすための省電力GPUの開発も相当に大変だったと想像されますので、競合メーカーから同様の解像度のタブレットが発売されるまでしばらく時間がかかるかもしれません。

消費電力

新しいiPadの電池容量はiPad2よりも70%も多いと言われています。それでやっと電池が持つ時間をiPad2と同じにできました。消費電力が激しいと言われているLTEなどをサポートするために、相当に無理をしているのでしょう。

ここにはまだイノベーションの余地が相当に残っていそうです。

処理能力

iMovieなどがアップデートされ、iPhotoも追加されました。PCで行う作業の中でもかなり重たい作業である画像・ビデオ編集がiPadでもできるようになりました。3Dゲームも十分な解像度とフレームレートが出せている様子です。

これ以上の処理能力はもういらないんじゃないかと思われるレベルです。

今後も処理能力は向上するでしょうが、そろそろオーバースペックになりそうな感じです。そういう意味では、処理能力についてはイノベーションの余地があまり残っていないと言えます。

OS

OSの基本的な部分については、既にマルチタスクが実現されています。またタッチによる操作も特別な進歩を見せていません。

イノベーションの余地がもうあまりなさそうな印象です。

ネットワークの速度

まだまだネットワークの速度も信頼性も不十分です。たださすがのアップルもここを垂直統合に取り込むことはそれほどはやらないでしょう。

Siri

一番イノベーションの余地がはっきりしているのはSiriによる音声認識です。Siriの聞き取り精度はまだまだで、しょっちゅう間違えられます。Siriでできる操作も天気とかスケジュール管理ぐらいで、まだまだSiriは実用的とは言えません。その一方でネットワークに大きな負担をかけますし、裏では多数のサーバが動いているなど、多大の処理能力が必要です。

要するに、Siriは性能的にはまだまだだし、それなのにコンピュータパワーをすごく必要としています。イノベーションの余地がすごく残っているのです。

ちなみにSiriが残しているイノベーションの余地は簡単に思いつくものだけでも以下のものがあります。

  1. 精度を上げる
  2. ネットワークにつなげなくても動くようにする(Siriの音声認識ぐらいはローカルでやる)
  3. iOSのほぼすべての操作を音声でできるようにする。

まとめ

iPadが発売されて2年が経ち、猛烈な勢いでイノベーションが起こりました。当初は処理能力が足りず、コンテンツ作成は無理だろうと言われていましたが、今ではコンテンツ制作だって十分可能です。それどころかディスプレイの画素数は、市場のPCのほとんどすべてを凌駕するまでになりました。

しかしアップルにとっては喜べることばかりではありません。イノベーションの余地がなくなり、新機能が市場でオーバースペックになっていくと、垂直統合モデルは利点が減り、欠点ばかりが露呈します。これはその昔にマックがたどった道でもあります。

Siriが戦略的に非常に重要なのは、イノベーションの余地を新たに生んでいるという点です。こういう挑戦をアップルが続け、それが市場に受け入れられている間は垂直統合が勝ち続けるでしょう。

たぶん全然違うけど -> 『誰も言いたがらない「Sony が Apple になれなかった本当の理由」』

アップデート
小飼弾さんのブログでは的確な議論をしています。そして「誰を主たる顧客にするかを決めること」が大切だと結んでいます。これにはかなり強く同意するとともに、Geoffrey Moore氏の”Crossing the Chasm”を思い出しました。

ブログが割とよく読まれているソフトウェアエンジニア、Satoshi Nakajima氏が『誰も言いたがらない「Sony が Apple になれなかった本当の理由」』のブログ記事の中で日本の家電メーカーの問題点を述べています。

僕は過去に「なぜ日本にリーダーがいないと言われるのか、ちゃんと論理的に議論しようよ」と題して、日本の問題点を議論するときにしばしば目にするめちゃくちゃな論理について紹介しましたが、Nakajima氏のは残念ながらそれのまさに好例のような記事です。

Nakajima氏はSonyの問題点として以下の点をあげています。

  1. 「何を自分で作り何をアウトソースするか」が最適化できない企業は世界で戦えない。
  2. ハードウェア技術者よりもソフトウェア技術者が重要なのであれば、不要なハードウェア技術者は解雇し、優秀なソフトウェア技術者を雇うのは当然である。
  3. 日本の家電メーカーは、未だに終身雇用制の呪縛に縛られているため、工場の閉鎖も簡単にはできないし、技術者の入れ替えもままならない。

要するに日本の雇用慣行(終身雇用および労働法的なもの)が「Sony が Apple になれなかった本当の理由」という論点です。

僕の以前の記事の着眼点で言うと、この論理展開には以下の問題があります。

  1. Steve Jobs(Apple)のような特異点と比較することがそもそもおかしい。
  2. 日本は今よりももっと明確な終身雇用のもと(少なくとも大企業においては)、1970-80年代の絶頂を迎えたのであり、単に終身雇用を問題視することはできない。やるならば30-40年前と今のグローバル環境の違いを明確にし、どうして昔は終身雇用が有効で、どうして今は弊害となるのかを説明しないといけない。

特にわかりやすいのは最初の論点。つまりAppleと比較するのがそもそもおかしいという点です。

米国でパーソナルコンピュータを売っている(いた)会社はAppleだけではありません。Hewlet Packard(旧Compaqを含む)が依然としていわゆるPCでは世界のトップシェアですし、Dellもあります。PCから撤退したIBMもあります。そして後数ヶ月で破産しそうになっていた1996年のAppleもあります。そういえばGatewayという会社もありました。

どっちも普通の米国の会社ですし、すぐにリストラしたり社員をクビにしたりします。いずれも終身雇用の呪縛などには縛られていません。しかし今でも米国企業として残っている会社の業績はAppleよりもSonyの方に近く、まぁ全然ぱっとしないわけです。

仮にSonyがリストラをじゃんじゃんやり米国流になったところで、Appleに近くなるという保証など全くなく、Hewlet Packardになるかもしれませんし、Dellになるかもしれません。もしかしたら破産寸前だった90年代のAppleになるかもしれません。

もし本気で「Sony が Apple になれなかった本当の理由」を考えたいのであれば、以下のことを考えないといけません。

  1. Appleになれた会社は一つだけです。Appleだけに固有のことに着目しなければなりません。
  2. 逆に言うと、AppleにもHewlet PackardにもDellにもIBMにもGatewayにも共通して見られることに着眼するのはかなりバカバカしい。

業界で異例の垂直統合などを含め、Appleに固有のことはかなりの数があるので、そういうことに着目した方が良いと思います。