良いイノベーションと悪いイノベーション

「イノベーション」という言葉は日本だけでなく、海外でも乱用されています。人によって意味が違いますし、自社を格好良く見せるために意味もなく「イノベーション」という言葉が使われています。

「イノベーションのジレンマ」で有名なClayton Christensen氏はさすがに「イノベーション」という言葉をそのまま使わず、明確に定義して使っています。

イノベーションが経済に与える効果

イノベーションは経済にとってプラスであるというのが一般的な考え方です。しかしChristensen氏は経済にとってプラスになるイノベーションとマイナスになるイノベーション、そして効果のないイノベーションがあるとしています。

特に近年の傾向として、経済にマイナスなイノベーションにばかり資本が流入していることを危惧しています。

  1. “empowering innovations”
    複雑で高価だったため一部の人しか使えなかった製品を、多くの人が使えるシンプルで安価なものに変えていくイノベーション。”empowering innovation”は製造・流通とアフターケアの仕事を生み出し、経済に対してプラスの効果があります。
  2. “sustaining innovations”
    旧型の製品を置き換えるイノベーション。例えばプリウスは既存の製品を置き換えるだけなのでこのタイプのイノベーション。経済に対してはzero-sumであり、効果がありません。
  3. “efficiency innovations”
    既存製品の製造・流通およびアフターケアに関わる仕事を減らしていくイノベーションです。トヨタ自動車のジャスト・イン・タイムの製造方法はこのタイプです。経済に対しては就職口を減らす効果があり、経済に対してマイナスの効果があります。

参考:“Christensen: We are living the capitalist’s dilemma”

イノベーションと市場の下克上

Christensen氏が「イノベーションのジレンマ」で取り上げたのは、市場のおける下克上でした。そのときはイノベーションを以下のように分けました。

  1. “disruptive innovations”
    非常に高価だったり、高いスキルがないと使いこなせかった製品を変革させ、全く新しい顧客層を開拓するイノベーション。多くの場合、市場に下克上をもたらします。”empowering innovations”を共通するところが多い。
  2. “sustaining innovations”
    現状の顧客の要望に合わせ、より良い製品を作っていくイノベーション。多くの場合は市場に下克上は起こりません。

参考:www.claytonchristensen.com

この視点でいろいろなイノベーションを評価してみる

あくまでも例題として、Steve Wildstrom氏が書いた“Eight Innovators That Shook the World”を取り上げて、ここに取り上げたイノベーションはそれぞれどのように分類されるかを評価してみたいと思います。ただし私自身が理解していない事例は外します。

Apple

  1. Apple II:
    Apple IIでけではないのですが、当時のパーソナルコンピュータの役割は、自分で電子回路を組み立てられる趣味人のおもちゃだったパーソナルコンピュータを使いやすく作り替え、普通の人にも使えるようにしたことです。また高価なメインフレームがなければできなかった計算処理を、一般人が購入できるハードウェアで実現しました。その意味ではまさに”empowering innovation”です。
  2. Mac:
    Macのインパクトはいろいろあります。Aldus PagemakerとLaserWriterとのコンビネーションでDTPという市場を作り上げたこと、Adobe PhotoshopやAdobe Illustratorとともにデジタルデザインの市場を作り上げたことなどはもちろんそうです。私は大学の研究室で学生をしていましたが、Macのおかげでプレゼンテーション資料などの作成が大幅に簡略化され、品質が向上しました。他にも例は数えきれませんが、まさに”empowering”でした。Windows 95はMacのすばらしさをより多くに人に提供したという意味で”empowering”でした。
  3. iPhone:
    実はChristensen氏はiPhoneが登場した当初はこれを”sustaining innovation”と考え、iPhoneは成功しないと考えていました。iPhoneとNokiaのスマートフォンを比較し、iPhoneはNokiaスマートフォンを改良した”sustaining innovation”でしかないと考えたのです。今ではChristensen氏が何を間違えたかは明白です。iPhoneをNokiaと比べるのではなく、パーソナルコンピュータと比較するべきだったのです。机の上に置いて使うパーソナルコンピュータを大幅に簡略化し、小型化により使えるシチュエーションを大幅に増やしました。インターネットをどこからでもすぐに利用できることで、大きな”empowerment”がありました。特にiPadになると、タッチUIの使いやすさが大きな”empowerment”をもたらします。いままでコンピュータを利用しなかったような小さい子供や年寄りでも使えるようになったからです。

Google

  1. Web検索:
    Google以前にもWeb検索をAltavistaなどが提供しており、これらに対してはGoogleは”sustaining innovation”でした。ただWeb検索全体を取ってみるとこれはまさしく”empowering innovation”であり、情報の入手のしやすさは飛躍的に向上しました。
  2. Google Maps:
    この場合も決してGoogleがイノベーションのきっかけを作ったわけではありませんが、iPhoneの登場以来、携帯電話で地図を利用するのは一般的になりました。携帯電話での地図利用についてはカーナビゲーションシステムは以前からあり、普及していましたので、社内での利用に関しては”sustaining”です。また電車の乗り換えについてもGoogleよりも良いものが以前からありましたので、よく言っても”sustaining”でしょう。したがってGoogle Mapsのみならず、携帯での地図利用は”sustaining”だと言えます。

Amazon

  1. インターネットでの小売り
    Amazonの小売りにおけるイノベーションはかなりの部分”efficiency innovation”です。ウェブを使うことで店舗の必要性を無くし、また物流の改善も可能でした。その結果、安価で製品を販売することが可能になりました。しかしAmazonで売り上げが増えた分はそくり既存の店舗の売り上げ減です。店舗縮小で従業員も少なくなりました。Amazonの登場で本を読む人が増えたとか、読書にかける金額が増えたということはなく、zero-sum以下のminus-sumです。
  2. 電子書籍
    電子書籍も同じです。書籍の電子化によって流通が簡単になりました。しかしそれによって新しいタイプの本が増えたということはほとんどなく、読書量が増えたということもないでしょう。したがって経済にマイナスの効果がある”efficiency innovation”です。これはAppleがiBooks Authorでやろうとしていることと区別しなければなりません。Appleは既存の書籍では実現できなかったインタラクティブなマルチメディア体験を教科書に取り入れることで、子供の学習効率が上がり、成績が上がることを期待しています。したがってiBooks Authorは成功すれば”empowering”です。しかし現在のAmazon Kindleは、印刷された書籍をそのまま電子化するだけのものですので、”empowering”効果がありません。単に紙媒体に変わるだけです。
  3. Amazon Web Services
    Amazon Web Servicesは”empowering”です。データセンターを運営することは多額の初期投資が必要で、専門的な知識も必要でした。しかしAWSのおかげでそんなことを考えずに起業することが可能になり、多数のスタートアップが生まれました。まさに”empowering innovation”です。

Microsoft

Microsoftによる”empowering innovation”は疑う余地がありません。AppleがMacでGUIなどを成功させましたが、製品が効果でした。MicrosoftはGUIが動く安価なパソコンが普及する原動力をWindows 95によってもたらし、Macのような高価な製品が買えない人にまでパソコンを普及させました。Windows 95のおかげでハードウェアの市場は活気を帯び、ソフトウェア産業も大きく膨らみました。インターネットの利用が増え、インターネットが産業として成功したのもWindows 95なくしては語れません。

Windows 95は多くの部分でMacを真似たものではあります。しかしMacだけではここまでパーソナルコンピュータとインターネットを普及させることはできなかったでしょう。

アベノミックスの経済成長戦略を考える

上記のイノベーションの考え方に基づいて、アベノミクスの経済成長戦略を振り返ります。本当に経済成長につながるのか、それとも逆に経済を縮小させるものなのかを考えてみたいと思います。

主に考えるのは規制緩和策です。例えば「医薬品のネット販売解禁」などが好例です。

医薬品のネット販売というのはどういうタイプのイノベーションでしょうか?

  1. 今までの医薬品販売は複雑だったでしょうか?高価だったでしょうか?新しい需要の創出が可能でしょうか?おそらくはそのどれも当てはまりません。したがって”empowering”とは言えません。
  2. ネット販売のよってよりよいサービスが実現できるでしょうか?一部ドラッグストアが遠い人にとっては便利になりますが、その影響は小さいと考えられます。したがって若干”sustaining”の要素はありますが、さほど大きくはありません。
  3. ネット販売によって物理的な店舗の需要が減り、従業員数が減るでしょうか?これはまさしくそうなるでしょう。したがって”efficiency innovation”の側面が大きいのは間違いありません。

そう考えると「医薬品のネット販売解禁」は成長戦略どころか、成長を阻害する戦略とも言えます。別途大きな付加価値がない限り、オンライン小売りはどれをとっても成長を促すことはありません。

アベノミクスの他の具体的な規制緩和策はこれから見えてくるのでしょうが、規制緩和をすれば必ず経済成長を促すわけでもないし、イノベーションを促進するものが経済成長を促進するとも限りません。

特に気をつけなければならないのは、既存の大企業は”sustaining innovation”と”efficiency innovation”に傾きやすい点です。ましてや大企業が既存ビジネスに投資している限りはまず”sustaining”か”efficiency”です。

そういうことを国家がサポートしても経済成長は生まれません。

ブラウザの使用率シェアのバイアス

以前に「ブラウザの使用シェア統計はどれが正確か?」という書き込みをしました。ブラウザの使用率統計としてしばしば引用されるNetMarketShareStatCounterのどっちが信用できるかについての内容でした。

NetMarketShareもStatCounterもアクセスログ分析ツールです。Google Analyticsと同じようなものです。そしてNetMarketShareやStatCounterのツールが導入されているウェブサイトのすべてからデータを集めて、ブラウザの使用シェア統計を算出しています。

しかしここが大きな問題です。ウェブに関わっている人は一人残らずGoogle Analyticsのことを知っていますが、NetMarketShareにしてもStatCounterにしても、全く聞いたことがない人が多いのではないでしょうか。

それもそのはずです。Wappalyzerというブラウザ拡張機能を使って調査されたデータを見る限り、68%のウェブサイトはGoogle Analyticsを導入しているものの、StatCounterはわずか2%のサイトしか導入していないのです。NetMarketShareはこれよりもさらに導入数が少なくなっています。つまりStatCounterおよびNetMarketShareはウェブ全体から見ると極小さい標本サイズしかなく、なおかつ標本の中にバイアスがある可能性が高いからです。

したがったこのような統計を使う場合は、そういうことを心にとめる必要があります。私は以下のように注意しています。

  1. シェア(何%)の絶対値は信用しません。例えば2013年12月時点でInternet Explorerのシェアが57.91%というのは基本的に信用できません。またChromeの16.22%も絶対値として信用しません。原則として傾向だけを見ます。
  2. 複数の国を合算した数値は信用しません。国によって標本サイズが違うからです。StatCounterはこのあたりを公開していて、例えばトルコの標本サイズが異常に高いことがわかります。したがって合算した数値よりは、個々の国の数値の方が意味を持ちます。それでも個々の国を見るのではなく、複数の国を見て傾向を判断することが必要です。
  3. 時系列の変化はある程度信用できますが、実際にグラフを見てみると不思議な挙動が起こることが頻繁にあります。したがって時系列の変化も鵜呑みにできません。

一方でこのようなバイアスを全く考えないで記事を書いているブロガーが非常に多いので、そういう記事は眉唾ものだと思って良いでしょう。

Androidがローエンドマシンに向かない話の振り返り

今日、久々に第4世代iPod Touchを触りながら、9ヶ月前に書いた「Androidがあまりにも高いスペックが必要で、ローエンドマシンに向かないという話
を振り返って見ました。

第4世代iPod TouchはCPUが800MHzシングルコアのA4で、RAMは256MB、ディスプレイは3.5インチのretinaです。2010年9月発売ですが、これでiOS 6を動かすと結構快適なのです。

ドコモ P-01D CPU Snapdragon シングルコア1GHz、512MB RAM、Android2.3と同程度の快適さでした。ただしAndroidは使っているうちにどんどん遅くなってしまうので、テスト前にハードリセットをした場合との比較です。

何よりも、retinaディスプレイがRAM 256MBで快適に動いているのが凄いと思います。

第4世代iPod TouchはiPhone4と同世代でRAMが半分だという以外は同じですが、そのiPhone4で最新のiOS7が快適に動くとも言われています。

ハードが低スペックでもソフトウェア次第でまだまだ使えると改めて感じました。

ところで9ヶ月前に書いたブログではTizenもしくはFirefox OSが途上国で売れるようになることを想像していました。時期としては2014年を想定していました。しかしどうやらすでに2013年の間に、Windows Phone 8のNokia Lumia 520がそのシナリオに従って成功し始めているようです。

そのLumia 520はスペックがiPhone 4レベルでAndroid 4.0に必要なRAMすらありません(512 MBのみ)。Firefox OSが狙っているのと同程度のローエンドです。

予想したよりも時期が早かったので役者の予想も外しましたが、Androidがローエンドから食われるという予想自体は当たっていたかもしれません。

Chromebookが登場した背景を振り返る

Chromebookの話題を続けたので(1, 2, 3, 4)、いったんChromebookの歴史を振り返ってみたいと思います。情報のソースはWikipediaの記事。これに当時の状況を追加して考えてみたいと思います。

Chrome OSが開発されたのは、まだiPadが登場していなかった頃

Chrome OSが発表されたのは2009年の7月です。このときはまだNetbookが全盛でした。iPadが発表されたのは2010年の1月27日ですから、世の中はまだtabletが世界を席巻するとは全く想像していませんでした。

GoogleのSundar Pichia氏はこう書いています。

Google Chrome OS is an open source, lightweight operating system that will initially be targeted at netbooks.

つまりChrome OSは「もっと良いNetbook」を作るのが目的でした。発表文を見る限り将来的にはデスクトップPCにも広げていこうという意図はあったようですが、当面はNetbookにチャンスがあると考えたようです。

さらにSundar氏は

Google Chrome OS is being created for people who spend most of their time on the web…

と続けます。

しかしすべてはiPadの登場で変わります。

iPadの登場を景気にNetbookカテゴリーが一気に衰退したばかりではなく、フォーカスはウェブからアプリにシフトします。Chrome OSが前提としていたNetbook、そしてウェブを中心としたパソコン利用が同時に崩れたのです。

Chromebookの登場

Chromebookが最初に登場したのは2011年の6月15日です。AcerとSamsungが発売しました。SamsungのモデルはSamsung Series 5 (WiFiのみのモデルで$350USD)、AcerのモデルはAC700 (WiFiのみのモデルで$300USD)でした。なお当初の価格はもうちょっと高く、この価格は半年ぐらいして値下げした後のものです。

登場からすでに1年半が経っています。もう少し売れていたり、ウェブで使用されたり、話題になっていたりしても良さそうです。

個人的には、Chromebookはかなり不幸なタイミングで登場したように感じます。ちょうど前提にしていた市場環境が崩れてしまったときに登場しているのですから。