参入障壁の無いビジネスの危険性

2006年で少し古いのですが、参入障壁の無いビジネスの危険性について紹介してる記事がありました。

ぼくは昔、バイオのための研究受託(DNAアレイ解析受託をはじめとした分子生物学実験の受託)を実際に担当していましたが、そのときの経験とこの記事で書いてある内容は共通するところが多いです。研究受託もまさしく、この参入障壁が少なく、ABIなどメーカーばかりが儲かるビジネスの典型ではないかと思います。

記事ではウェブ用のレンタルサーバビジネスの変遷について語っています。実際に運営している人のブログです。

レンタルサーバのビジネスと経済学

10年前のレンタルサーバは非常に高価でした。コンピュータ関連機器が安くなったこと、それとネットワークのコストが下がったことが原因です。この結果、参入障壁が完全になくなりました。$300とクレジットカード、そしてLinuxのマニュアルがあれば3ヶ月間の運転資金になりました。激しく価格を削りながら、数多くのレンタルサーバ会社があっという間に生まれました。

$68あれば、見栄えのするウェブサイトテンプレートも購入できました。おかげでプロフェッショナルなサービスを提供しているところとアマチュアなサービスを提供しているところが表面だけでは区別ができなくなりました。

この結果、面白いことがいくつか起こりました。

1)品質の良いレンタルサーバを探すのが難しくなりました

2)レンタルサーバが「自宅で簡単にできて儲かる副業」として紹介されるようになりました

3)レンタルサーバ用を運用するためのツールが儲かるようになりました

コントロールパネルや請求システムなどです。

バイオの研究受託の場合

バイオの研究受託の場合も、非常に参入障壁が少なくなっています。オリゴDNA合成ビジネスが悲惨な価格競争になってしまっているのもこれが原因です。

考えてみれば、研究室で簡単にできるような実験ですから、参入障壁が低いのは当然です。どこかのメーカーから機器を購入すれば大部分の作業は自動ですし、自動ではなくてもキットになっていますから、習熟度が高くない技術職でも作業ができます。また結構技術力のある人でも大学でひどく安く雇われていますから、この人たちを引っ張ってくれば作業員は簡単に手に入ります。

そういう事情もあって、DNAアレイ受託もあっという間に価格競争になりました。

日本のバイオベンチャーの多くは受託研究を短期的なビジネスの柱にしています。受託研究は非常に始めやすいビジネスなので、その気持ちはわかります。でも3匹の子豚で最後まで生き残ったのはレンガの家を建てた豚です。ワラの家を建てた豚は、すぐにオオカミに食べられてしまいました。

一方で面白いのはCROです。CROとはContract Research Organizationの略で、製薬会社の研究を受託するビジネスを指します。こっちの方は非常に成長している産業で、過酷な価格競争にさらされているという実態はありません。同じような実験の研究受託なのに、全く利益構造が異なる(ちゃんと儲かる)ビジネスになっています。

製薬企業の研究開発ではデータの信頼性とサービスの信頼性が非常に重視されます。成功する薬は日本国内だけで年間に数百億円を売り上げますし、その売り上げの大部分は利益です。しかも特許の有効性が切れると売り上げが大幅に落ち込みますので、なるべく早く発売開始して、一日でも長く、特許の有効期間内で売りたいのです。国内の売り上げだけで、一日一億円の価値があります。

ですから製薬企業の場合は、信頼性の高いデータを短期間で確実に出してくれるCROに価値があります。そしてそれだけのサービスを提供することは非常に難しいので、新規参入は非常に難しい訳です。

ほとんど教科書とも言えるポーターの本に書いてあるので、少しでもビジネスを勉強したことのある人ならわかってないといけないのですが。

経営者でもわかっていない人が多いのはガッカリなことです。

次世代シークエンサーは結局ABIか

The Scientistという雑誌でTop Innovations of 2008が発表され、ABIのSOLiDシステムが一番になりました。

さて、僕は市場に最初に出た454 Life Sciences社の次世代シークエンサーをロシュ経由で国内で発売開始するときに多少関わっていました。そこでそのときの社内の雰囲気を紹介しながら、お金でベンチャーを買っただけではなかなかトップの会社には勝てないことを話したいと思います。またトップの会社が入れ替わるようなイノベーションについて研究していることで有名なClayton Christensen氏の理屈を簡単に紹介したいと思います。

ただし、僕は最近の次世代シークエンサーの動向はほとんどフォローしていませんので、現時点でどの技術が勝ちそうかは全く判断がつきません。予めご了承ください。ただ、どの技術が勝つかということと、どの会社が勝つかというのは全く別だということにも注意してください。

ロシュが454 Life Sciences社の次世代シークエンサーを導入し、一気にDNAシークエンシング市場に乗り込もうとしたのは2005年の中頃です。また2007年の3月には454 Life Sciences社を1億4,000万ドルで完全に買収しました。454 Life Sciences社の従業員167名も完全統合しました。この167名は大部分が研究開発に関わっていたと思われますが、当時のロシュのバイオサイエンス部門の研究開発部門は大きくなく、454 Life Sciences社の統合でR&Dの人員は最低でも2倍に、僕の推測では3倍になったと思います。

プレスリリースにも書かれていますが、454 Life Sciences社の技術は確かに革新的なものでした。2005年にはウォールストリート・ジャーナル紙の2005年度トップ技術革新賞(top Innovation Award for 2005)を受賞し、2006年には米国技術情報誌「R&D」選による、最重要技術製品賞を受賞しました。

一方でABIのSOLiDはまだ製品化されておらず(受注開始は2007年10月)、IlluminaのGenome Analyzerは出て来たばかりでした(Solexaが一般に販売を開始したのは2007年)。

そのような状況の中、2005年および2006年のころのロシュの雰囲気はイケイケどんどんでした。「ABIの社員はもうがっかりしていて、アメリカではロシュに転職したがっている」とか「ABIには次世代シークエンサーの戦略がなさそうだ」とかいう話がしょっちゅうされていました。そしてロシュこそがDNAシークエンス市場でトップシェアを奪うだろうということが、経営者レベルでは言われていました(現場では違います。現場は世間知らずではありませんでした)。

そもそもロシュが454 Life Science社の技術導入をした背景には、DNAシークエンス市場の大きさがあります。DNAシークエンス市場は単独分野としてはライフサイエンスで最大のものであり、世界で1000億円規模です。ライフサイエンスで一番大きな市場でナンバーワンにならなければならない。そういう意識がロシュの経営者にあったと私は感じていました。

ロシュのライフサイエンス製品の大部分はベーリンガーマンハイム時代から引き継がれたもので、研究者に非常に愛用されているものが多くあります。しかし個別分野で見れば世界で高々100億円規模のものがほとんどで、ロシュのような巨大企業からみればアリのように小さなものです。製薬部門が絶好調で資金が余っているロシュとしては、ここで大きく出たかったのでしょう。DNAシークエンサー市場の1000億円のうち、将来的に最低でも半分の500億ぐらいは年間に売り上げたい。そう思ったに違いありません。

ちなみに製薬企業であれば従業員一人当たり、5,000万円以上を売り上げるというのが一般的だと思います。したがって454 Life Sciences社の167名を抱えるだけで、80億円を売りたいという計算になります。実際にはR&D費は全売上の高々20%というのがライフサイエンス業界では一般的ですので、ロシュの期待としては400億円程度を売り上げたかったのではないでしょうか。つまり40%の市場シェア。非常におおざっぱな計算ですが。

しかしSOLiDがTop Innovations of 2008に選ばれることなどからわかりますように、ロシュと454 Life Sciencesのテクノロジーは徐々に影が薄くなってきています。最近では真っ正面からのマーケティングスローガンではなく、固有のスペックに絞った宣伝文句になってきました。僕自身、技術動向に詳しい訳ではないので断言はできませんが、ロシュの当初のもくろみのような大きなシェアは、結局は奪えないのではないかと予想されます。最後はやはりABIというところで落ち着きそうな気がします。

ではどうしてこうなったのか、この結果は最初から予想できたかを考えたいと思います。そのときにはClayton Christensen氏の理論が大いに役立ちます。Clayton Christensen氏はThe Innovator’s Dilemmaという本で有名になり、イノベーションがどのように市場を変えていくか、どういうときに市場がひっくり返るかについて深く考察しています。

非常に興味深いのは、イノベーションが市場シェアをひっくり返すかどうかは技術の革新性によるのではなく、マーケットリーダーが反応できるかどうかにかかっているとしている点です。またマーケットリーダーが反応するかどうかは経営陣の有能さにかかっているのではなく、市場の力学によるのだとしています。そして市場をひっくり返すようなイノベーションは通常、低価格帯から高価格帯にシフトしながら起こると説いています。

例えばパソコンなどが良い例です。パソコンが出現する前はIBMなどが大型コンピュータをビジネス用に販売していて、競争相手を全く寄せ付けないほどの強さを誇っていました。そしてパソコンが出現してもなかなかそれに投資しませんでした。なぜかというとそんな低価格なものを売って大型コンピュータの代替をさせるより、大型コンピュータの性能を次から次へと高めて、これをたくさん売った方がよっぽど儲かるからです。IBMがMicrosoftの巨大化を許したもの、IBMがパソコンのプロジェクトにほとんど投資せずに、当時まだ非常に小さかったMicrosoftにアウトソーシングをせざるを得なかったからです。

気づいたときにはパソコンやUNIXのワークステーションの性能がどんどん高まって、大型コンピュータを代替できるレベルに達していました。しかし時は既に遅く、パソコンの覇権はIBMではなく、CompaqやMicrosoftに移ってしまっていました。IBMはパソコンやサーバを販売しているその他大勢の会社の一つに成り下がり、そしてついにはパソコン部門を中国のLenovoに売ってしまったのです。

それに対して、イノベーションが市場をひっくり返せない例もChristensen氏は紹介しています。航空会社です。格安の航空会社は何十年も前からたくさん出現しています。一部はある程度の成功を収めていますが、いまだにトッププレイヤーとなったことはありません。

Christensen氏は、これは主要航空会社が迅速に反応するためだとしています。航空会社の利益は搭乗率をいかに高めるかに関わっているため、高級化・高性能化で利益を高めていくことができません。格安航空会社が出現して乗客を失えば、搭乗率はたちまち低下して利益が下がってしまいます。お金持ちの高級志向の顧客をいくら引きつけて、彼らに高い料金を払ってもらっても、搭乗率が低ければ儲からないのです。実際に、主要な航空会社は格安航空会社の出現に反応し、トッププレイヤーは価格競争に参戦し、そしてどちらかが破綻するまで骨肉の争いを続けています。

Christensen氏によれば、既存のトップシェアの企業がこのように反応すれば、どのように革新的なイノベーションであっても市場をひっくり返すにはいたらないとしています。実際、どんなに特許でイノベーションを守ろうとしても、体力のある既存企業が本気で開発をすれば必ずまねをされてしまいます。重要なのは技術の革新性ではなく、トッププレイヤーが本気になるかどうかです。

DNAシークエンシングの場合、ロシュはいきなりABIのメイン顧客、超ハイスループットの顧客を狙いました。ABIとしても、これは最も収益があがる、何よりもメンツに関わる顧客層です。ABIとしては絶対に無視できない、絶対に奪われたくない顧客です。大幅な赤字を出してでも、また大量の研究開発資金を投じてでも守ろうとする顧客です。だからABIは多少時間はかかりましたが、確実に反応しました。そしてABIが本気になってしまえば、454 Life Sciences社の技術がどんなに優れていようと結果は見えていたのです。

まとめるとこういうことです

新規参入で成功したいのであれば、既存の企業が反応しないような参入の仕方をしなさい。通常、これはローエンド市場から入ることを意味します。そしてこのローエンドは、既存のトッププレイヤーとしては捨ててもいいと思っているローエンド市場でなければなりません。既存の企業が高級化路線で逃げられるようにしておきなさい。そしてローエンド市場で十分に力を蓄え、初めてメインストリームの市場に参入するべきです。

思えば日本の自動車メーカーが米国で成功したのはこのシナリオです。小さくて、パワーがなくて、壊れやすい車しか作れなかった日本のメーカーは、ビッグ3には軽蔑されながらも、それでも少しずつ力を蓄えました。その間に、小さい車を買う顧客なら魅力を感じるような低燃費技術を開発しました。ビッグ3はダイレクトに日本メーカーと戦うよりは、高い金で大型車を買う顧客に集中した方が儲かると考え、低燃費技術に本気になりませんでした。世の中が変わって、低燃費が重要になってしまったころにはもうビッグ3は対抗できなくなっていたのです。

札束にものを言わせて、いきなりトッププレイヤーを引きずりおろそうとしても、そうは簡単にはいかないのです。背面から攻撃を仕掛けないと、力のあるプレイヤーにはなかなか勝てません。

Affymetrixの時価総額が611Mドル。ロシュがパクリと一口で買えるレベルだ!

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Yahoo Financeを見るとAffymetrixの時価総額が611.85M ドルになっていました。
ここのところAffymetrixの株価は急降下なので。

ロシュがNimblegenを買ったときは272.5M ドルを投じているわけですから、Affymetrixの時価総額はその水準に近づいてきたことになります。

ロシュはGenentechを完全子会社化するために 43,700M ドルを用意しているぐらいですから、お金はたっぷりです。

もちろん今後どうなるか、素人の僕にはさっぱりわかりませんが、注目してみていきたいですね。