“Dwarfs standing on the shoulders of giants”を手伝う仕事

独立してから2年、年初にもやもやを感じていました。そのもやもや感は、仕事の意義をちょっと見失いつつあることが原因ではないか。瞑想をして、そんな結論に達しました。そこで、その辺りの気持ちを整理するためにブログを書こうと思います。

僕がCastle104という会社を作って、バイオの買物.comを開発・運営している理由、そのミッションを書きます。

Dwarfs Standing on the shoulders of giants

Google Scholarの検索窓の下にもある言葉ですが、”Dwarfs standing on the shoulders of giants” (wikipedia link)は「過去の著名な思想家の仕事や研究を理解し、将来の研究を行うもの」を意味します。ニュートンもこの言葉を引用したとして有名です。

Google Scholar.png

僕はこの言葉が本当に好きだし、科学だけでなく、伝承が行われるすべての営み(生物の遺伝、社会科学、宗教、思想、商業活動など)の本質だと思っています。生物がこれほどまでに高度の進化したのは、ひとえに遺伝という仕組みのおかげであり、それはひとことで言えば子孫が「巨人の肩の上に立つ」ことを可能にする仕組みです。自然科学においてはさらに理論を厳しく検証し、客観的に正しいと結論できるもののみを伝承します。自然科学の発展を支えた大きな特徴は、「巨人の肩の上に立つ」ことはもちろん、誤って「小人の肩の上に立つ」ことをさせない厳しい実験的検証のディシプリンで、これは生物進化の自然選択に通じます。一方、社会科学も「巨人の肩の上に立つ」ということはやりますが、理論を検証することがおろそかにされてしまっているために、「小人の理論」がそのまま残ります。経済学者がバラバラなことを言うのはここに原因があると思います。

“Dwarfs Standing on the shoulders of giants”というのは、ですから非常に重要な考え方です。ただし大きな問題があります。小人たちは巨人の考えをすべて理解し得ないという問題です。巨人たちの数が多すぎたり、あまりにも深い洞察をしていれば、小人たちはそれについていけなくなってしまうのです。

小人たちを助ける仕組みとしてのメーカーの存在

巨人たちの考えについていけなくなってしまった小人たちは、せっかくの巨人たちの偉業を活用できず、科学を発展させることが出来なくなってしまいます。Wikipediaの記事によれば、ニーチェはこの問題に言及し、小人が巨人の肩に立つのではなく、現代の巨人が過去の巨人と叫び合うこと以外に心理学が発展することはないと述べています。確かに心理学はそうかもしれません。しかし自然科学では別の解決策があります。

自然科学、特に現代のバイオテクノロジーでは、研究用試薬や機器のメーカーがこの問題の解決を手助けしていると私は考えています。過去の巨人たちの成果を、「製品」に凝集し、そして新たな課題に挑戦する研究者に提供しているのです。

例えば制限酵素などを考えてみましょう。制限酵素はいまや数千円でたっぷり買えます。制限酵素は1968年(著者の生まれた年)に発見され、1975年にはNEBが始めて制限酵素を発売しました。そして制限酵素が市販品として購入できるようになった結果、論文を読んで、微生物を培養して、制限酵素を精製するなどのひどく時間のかかる作業を行わなくても、注文の翌日には高純度の酵素が使用できるような環境が出来上がったのです。

次世代シーケンサーなどはもっとメーカーの貢献が大きいです。最新のナノテクノロジー、光学技術、PCR技術、酵素学などを知らなくても、普通の分子生物学の研究者が一日で何十ギガベースのDNAシーケンスが得られます。それはひとえに、それぞれの分野の巨人たちの成果をメーカーが「製品」に凝集させ、プロトコールなどを完成させた上で販売しているからなのです。

こう考えると、自然科学には”Dwarfs standing on the shoulders of giants”を実現するための2つの仕組みがあり、それぞれが車の両輪として機能していることがわかります。その一つはピアレビューのもと、研究成果を論文に残していく仕組みです。そしてもう一つがメーカーによる製品の販売なのです。

今度はメーカーが多くなりすぎた

前節で書いたようにメーカーの存在は非常に大きな役割を果たしています。しかし、その数はあまりにも多くなり、販売している製品もあまりにも莫大になってしまいました。バイオテクノロジーに関連した製品の総数は正確な統計はありませんが、少なくとも百万程度はあるのではないかと思います。前節の小人たちは巨人たちの研究成果を理解するのに困りました。しかし現代の小人たちは、販売されている製品を把握するだけでも困難になってしまったのです。現代のバイオテクノロジー分野で”Dwarfs standing on the shoulders of giant”を最大限に実現するためには、もう一つ仕組みが必要になったということです。その仕組みとは、各研究者の研究内容に応じて、最適の製品を紹介するような仕組みです。あるいは研究者自身が、最適の製品を簡単に見つけられる仕組みです。

そのような仕組みは現在のところまだありません。ですから研究者が新しい研究用試薬を購入するときは、関連する論文で使用されている製品をそのまま使うか、知り合いが使っている製品を使うか、あるいは信頼しているブランドから買うのです。それが最適の選択をは限らないことを知りなつつも、ベストの製品を探す労力があまりにも大変なので仕方が無いのです。

ここをなんとか貢献することが、Castle104のミッションの一つです。

メーカーと研究者は十分に心が通じていない

“Dwarfs standing on the shoulders of giants”を実現するためにメーカーが果たすべき役割が大きいことを先ほど述べました。でもお互いに心は通じ合っているでしょうか。お互いにお互いが必要であると感じ、お互いに尊敬と感謝を送っているでしょうか。原因は非常に様々ありますが、残念ながらこうなっていないのが現状ではないでしょうか。

思うことはたくさんあるのですが、ここでは次節にちょっと列挙するにとどめ、深くは紹介しません。ただメーカーと研究者がお互いの考えを知り、率直に意見を交換できるような場所が増えれば、もっともっと研究は発展すると僕は信じています。

これもCastle104が考えるミッションです。

メーカーと研究者は十分に心が通じていないと感じるとき

僕はバイオテクノロジーの研究用製品の市場のいろいろな状況をみて、もう少しメーカーと研究者の心が通い合えばいいのにと思ってきました。以下は思いつくままに、そのような例を並べてみました。

  1. 値下げキャンペーン中毒と価格戦争:バイオの業界ではものすごい数の値下げキャンペーンが行われています。そして一部の製品では価格戦争が起きています。もちろん液晶テレビなどでも価格戦争が行われていますし、価格戦争は悪いことではないのは確かです。しかしバイオの業界では本来差別化ができそうな製品であっても、新発売と同時に値下げが行われたりします。僕の分析では、この値下げ中毒の原因は液晶テレビなどで見られる製造技術革新などではなく、単に顧客とのコミュニケーション手段の不足だと見ています。顧客に製品の良さを理解してもらうのが困難で時間がかかるから、値下げするのです。
  2. サポート体制の軽視:メーカーのサポート体制の軽視はここ数年、加速しているように思います。配置しているテクニカルサポートスタッフの人数にしても、日本語翻訳された資料の配布やウェブサイトにしても、以前より悪化しているように聞いています。不思議なものです。研究者は技術サポートの人と話すことを望むケースがほとんどなのに、メーカーはそっちの人数を減らし、逆に営業を増やしたりするのです。心のすれ違いを感じます。
  3. 大きい会社による買収:もちろんすべての大きい会社による買収が悪だとは言いません。ただ小さい会社の場合は全部署が同じお客様を見て、同じお客様のニーズを考えているのですが、大きい会社になるとそこがバラバラになりやすいということです。特に医療診断メーカーや化学メーカーなどが小さい研究用製品メーカーを買収した場合、全社共通の部署(経営陣、法務、物流など)は研究者のニーズを相対的に考えてくれなくなります。ですけど現実問題として、こういう買収が多く行われています。
  4. オマケがいっぱいもらえる学会こんな記事を書かれてしまいましたね。僕もやっていた張本人の一人ですけど。

最後に

最後の方でちょっとメーカーを悪く言っているような感じになりましたが、メーカーに責任があるなんてことは全く思っていないことをここで断っておきます。悪いとするならば、それは資本主義の仕組みが未完成であることに由来するものだと僕は思っています。

世の中ってもっともっと良くできると思います。足らないものは山ほどあります。そういうのを、できる範囲で、一つでも多くなんとかしていきたい。

生活する分のお金は後からついてくる。そう信じて、心を惑わせてもやもやするのではなく、ちゃんと前に進むような2010年にしたいです。

GDPの成長ばかり目指すと、アメリカを太らせるだけ

僕は経済学の専門家ではないので、間違っているかもしれません。しかしGDPの成長、特に外需による成長だけに目を奪われていると、アメリカを太らせているだけではないでしょうか?

僕が思うのは、GDPの成長ばかりを特に外需で果たそうとすることは、ひどく愚かなことです。
アリとキリギリスの話において、アリが貯金を自分のためにとっておくのではなく、貯金をキリギリスにあげ続けているような状況では無いでしょうか。

そもそも経済成長というのは何だろうか?というところから考えたいと思います。

GDPというのは日本国内で生産された付加価値を見るものであり、日本における生産活動の指標です。
しかし、モノを生産すれば日本は幸せになるでしょうか。間接的にはそうかもしれませんが、直接的には違います。経済的に幸せになるためには、モノを生産し、その報酬をもらい、得られた金額で自分と家族のためにモノを買うことをしなければなりません。ここまでやって、始めて日本の生産活動は日本人の幸せに結びつきます。

日本が今までやってきたことはこれとは異なります。おおざっぱに言えば、日本人はモノを生産し、GDPを高め、報酬を得て、そのお金を貯金して、そしてこれをアメリカに貸しています。貸したお金でアメリカ人はいろいろなモノを買い、良い暮らしをしています。

ひどく単純化した極論ですけど。

発展途上国の場合は、外需を優先して経済成長するのは得策です。なぜならば発展途上国の場合はまだ国内に十分な需要が無いからです。しかし先進国となった日本では、十分な需要が無いのは逆におかしい。需要がないことを理由に外需に頼るのは発展途上国の策です。先進国の策は、どうして国内に十分な需要が無いのかをしっかり分析して、国内需要を増やすことであると思います。日本はそういう意味で、まだ発展途上国のギアに入りっぱなしなのです。あまりにも急速に発展したので、無理も無いところはありますが。

今の政府はGDPに変わる指標を編み出し、これを伸ばすことを成長目標にしようとしています。
ぜひ早くやってほしいものです。
経済活動だけを見たとしても、GDPを指標にするのは、アメリカ人にとっては幸せですけれども、日本人を幸せにしませんから。日本人がだまされ続ける程度だけには幸せにしてくれますけど。

日本のイノベーションに必要なのは、大学が優秀な人材を民間に吐き出すこと

1月1日なのに、大晦日に届いた Elhanan Helpman著 “The Mystery of Economic Growth”を読んでいます。

まだ読んでいる途中なんですが、すごく強く思ったことがありますのでここに書き留めます。

日本のイノベーションに必要なのは、博士を民間に吐き出すことです。日本のアカデミアに国民が税金を払う必然性はここにしかないと思います。もしも日本の大学などがアカデミアの人材しか排出しないのであれば、それは世界全体のイノベーションには貢献するかもしれませんが、日本の産業を有利にするものではありません。

どういうことかと言いますと、アカデミアは基本的に成果を世界中にシェアしますので、日本の研究者の成果は世界の誰もが利用できます。日本国民の税金で行われた研究であっても、中国の企業が利用できるのです。特許による保護は多少あったとしても、通常、これは限定的でしかありません。つまりアカデミアでどんなに高いレベルの成果を出しても、それだけでは日本の産業は有利になりません。逆に日本の産業界は米国で行われた研究の成果を利用できます。

アカデミアの研究はこのように世界共通の知識プールの中に入っていきます。世界の誰もがこれにアクセスできます。世界共通の知識プールに大きな貢献をすることは、名声を高めるという意味では大きな効果がありますが、直接的に特定の国の産業を有利に働きません。

問題は、この世界共通の知識プールからどこが最も大きな利益を得られるかです。最も大きな利益が得られるのは、この知識プールをいち早く理解し、産業に応用できる企業であり国家です。そしてこの担い手は、企業に勤める研究員です。研究員のレベルが高く、アカデミアで行われている研究の成果をいち早く理解し、いち早く実用化できる企業こそが世界共通の知識プールの成果を有利に活用できるのです。

ですから日本国家としては「世界一の研究成果を日本が生み出すこと」を目標に投資するべきではありません。あくまでも日本の産業界の研究を高めるために国内のアカデミアが存在すると認識する必要があります。日本の産業界に優秀な人材を送り出すこと、そしてその人材がアカデミアの最先端に常に触れられるようにしてあげることが重要だと思います。世界一レベルの研究を行うことが間接的に日本の産業界の活性化につながることはもちろんあります。でもあくまでもこれは間接的であり、自動的に行われるとは考えない方がいいでしょう。

繰り返します。世界共通の知識プールに日本の大学などが貢献することは、日本の産業の競争力を高める結果に直接つながりません。直接つながるのは、知識プールをいち早く利用できる国内企業研究者の育成です。日本の大学研究のレベルが高ければ高いほど、間接的にこの目的が果たされることは確かなので、大学研究のレベルを高めておくことは重要ですが、それはあくまでも手段の一つに過ぎず、十分条件とはならないと認識するべきです。

日本を選択的に有利にするという意味においては、最先端の研究をすることが日本のイノベーションを生むのではありません。最先端の研究の成果(世界のどこのものであっても)を日本の産業に応用することが日本のイノベーションを生むのです。

今はとりあえずここまで。後でもう少し私の考えを整理します。

極論注意

日本の大学院重点化政策やポスドクを増やす政策などのおかげで、それまでだったら修士で民間に行っただろう優秀な人材がアカデミアにずっと残るという事態が起きています。これは日本のイノベーションに重大なマイナスになっているかも知れません。博士の就職難なんて言っていますけど、そんなレベルの話では無いかもしれません。僕の言わんとしているのはこんなところです。

21世紀最初の10年の振り返り

ノーベル経済学賞のPaul KrugmanがNY Timesに米国経済学の観点から21世紀最初の10年間を振り返る記事を書いていたのを見て、僕も自分の関わっていた分子生物学分野の10年間を振り返ってみようと思いました。

僕の場合は仕事をいろいろと変えていることもあり、また分野全体をまんべんなく見ているわけでもありません。ですから非常に主観的な見方になってしまいますし、できもしないのにまんべんなく書こうとは思いません。それでも非常に変化の大きかったこの10年間の面白さのエッセンスが少し書ければと思います。

DNAアレイの興亡

僕が今でも良く覚えているのは1995年の年末頃のScience誌だったと思うのですが、AffymetrixのDNA Chipの記事と、Stanford型のマイクロアレイの話と、SAGE法の記事を一緒の掲載している号がありました。当時はまだAffymetrixのものは一般に販売されていなくて、Stanford型のマイクロアレイも市販のものはほとんどなかったんではないかと思います。SAGE法もまだまだ多くの人が利用するものではありませんでした。その号のScienceは、ゲノムがシークエンスされたあとのポストゲノム解析技術として有望なものを紹介したわけです。要はこれからはゲノムを読むだけなく、mRNAの発現様式を解析しなければならないので、それを一気にやれる技術はいまのところこれですよという訳です。

僕は2001年に製薬企業の研究所をやめて、DNAアレイも販売している研究試薬メーカーの受託研究ラボに勤務するようになるのですが、そのころがようやくDNAアレイが一般の研究者も使い始めた頃でした。非常に低密度で、ガラススライドじゃなくてナイロンメンブレンにDNAをスポッティングしたような製品が、かなりの高額でうなぎ上りに売上げが伸びていました。僕が入社した受託研究ラボも、そういったmRNAの発現解析を行うためのものでした。非常にコストをかけてしまっていたために収益性には非常に問題はあったはずですが、とりあえずは売上げが好調でしたので、最初はノリノリでやっていました。

しばらくするとDNAアレイは競合がたくさん入ってきて、Affymetrix社も本腰を入れて価格を下げながら売上げ攻勢を強めてきました。DNAアレイのスポッティング技術はまだまだ未完成の部分があり、そこをAgilentなどの機械技術にる良いメーカーが参入して解消していきました。Affymetrix社も機械技術が強く、Stanford型のようにピンでぺたぺた液を垂らしている程度のメーカーは品質で勝てなくなっていきました。僕が入っていた会社は完全な試薬メーカーで、機械技術は特に持っていませんでしたので、品質であっという間に抜かれていってしまいました。

実は私のいた会社、本来は試薬専業の会社だったのですが、あまりのもDNAアレイが儲かってしまうので、研究開発投資の大半をそれにつぎ込んでしまったのです。それでも基盤の機械技術では全然歯が立たなかったこと、それと技術プラットフォームの選択によっては非常に在庫コストがかさむことなどもあって、変にこの分野に集中してしまったことが後のその会社の衰退を大きく加速させたようです。ぼろぼろになった頃に雇われ、入社してきた米国の新経営陣は、そう語っていました。

受託研究分野についても、参入障壁の低さからあっちこっちの小さい会社が低価格で参入してきて、あっという間に儲からない市場になってしまいました。まぁ、高コスト体質だった我々の会社だけでなく、後から参入した会社も儲からなかったみたいですが。

DNAアレイ技術自身も思ったほど市場を伸ばすことはできず、診断市場にはなかなか入り込めていないようです。また最近では次世代シーケンサーにも市場を奪われていく危険性が出てきています。まだまだ今後も活用されていく技術ではあるのは間違いないのですが、2000年代前半の頃の夢ある市場にはならなさそうです。

DNAアレイはこの10年間で一気に拡大し、日本のベンチャーなどもこの市場に魅力を感じて参入してきました。結果は思ったほどではなく、どっちかというと将来が見えない市場になってきてしまった感じがあります。

僕自身はこの市場の興亡を見ながら、基盤技術の重要性(それは最初から重要とは限らないのですが)、高コスト体質の危険性、戦略無き拡大路線の危うさなど体験することができました。

遺伝子特許

僕は2000年前後はかなり特許に興味を持っていました。遺伝子特許の争奪戦が行われていた時代でした。ゲノムの全配列が公開される前に、なんとかして早く新しい遺伝子の配列を探し出し、そしてロクに機能が分からない段階であっても、とにかく他社より先に特許を取ってしまおう。あくどい考え方ではあるのですが、他社に先にやられてしまったら今後の研究開発に大きな支障となる可能性があるので、防衛的にでもやらざるを得ないと感じている会社が多くありました。

例えばGSKなどが7回膜貫通型のGPCRと思われるオーファンレセプター(リガンドが分からず、機能も分からない遺伝子)を何百と特許出願していました。その特許を実際に見てみると、遺伝子の配列部分以外は全部同じ文章なのです。そもそも出願している遺伝子の機能が全然分からないので、通りいっぺんの文章しか書けないのです。特許を読むとその遺伝子の機能についても言及はあるのですが、それも全部同じ文章でした。確か武田薬品工業も似たような特許を出願していたと聞いています。

僕は2001年からこの世界と離れてしまったので、この騒動の結末がどうなったのかははっきりと知りません。ただ、どうも多くの会社が恐れていた遺伝子囲い込みの問題には発展しなかったようです。やはり機能がちゃんと特定されていない限り遺伝子の特許は認められないという結論になっていきましたし、ヒトゲノムも思ったより早く解読されて公開された訳ですから、遺伝子の物質特許は取れなくなったのでしょう。誰か補足してくれれば助かるのですが、僕の認識では、多くの製薬企業を巻き込んだ遺伝子特許騒動は、まぁゲノム解読を急がせたという意味では意義はあったものの、製薬企業の権利確保という意味ではほとんど意味を持たなかったと認識しています。

僕が感じ取ったのは、会社というのは他社に出し抜かれると思うと凄く慌ててお金をかねるんだなど。新しい可能性に投資するよりも、身の危険を感じたときの方が圧倒的にお金をかけてしまう。そして、物質特許が強いという特許システムの特徴は、研究開発現場をちょっとゆがめている部分があるなとも思いました。本当はそのお金を使って、遺伝子の機能に関わる部分の研究をより深めれば良かったと思うのですが。

抗体医薬

僕が最初にいた製薬会社は日本企業としてはかなり早くから抗体医薬を研究していました。ちょうど2000年前後から前臨床試験を始めたりしていました。僕自身はこの研究に直接関わることはなかったのですが(そうなってしまう前に逃げて退社してしまいました)、関連の深い部署には在籍していました。

抗体医薬と既存の低分子医薬を開発する上での大きな違いは、1) 抗体医薬は作用メカニズムが決まってターゲット分子が決まれば、とりあえず候補となる抗体をとってくるのは早い、2) しかしそれを実際に大量生産していくためのプロセスは既存の医薬品と大きく異なり、高度な技術の蓄積と大胆な投資が重要、ということだと思います。ひどくぶっきらぼうに言うと、既存の低分子医薬品と比べて、抗体医薬は発見するのは簡単だけど、工業生産するのが大変。逆に既存の医薬品は発見(創薬)するのにものすごく時間と労力が必要ですが、大量生産は安価で比較的簡単だということです。

そこでこの10年というのは日本の製薬企業にとってみれば、抗体医薬の非常な魅力を感じて医薬品候補を見つけたものの、安価に大量生産することに非常に苦労して、多くの場合は頓挫したり海外企業にアウトソースせざるを得ないという判断をした、そういう期間だったと思います。

事業仕分けとも重なる議論だと思うのですが、抗体医薬や再生医療を含めた新しい医療技術は、生物によって生産しなければならない原材料を必要とします。そしてこれらを生産するためには、最新の高度な技術が要求されます。しかし一方では、この大量生産技術というのは大学であまり研究されないものでもあります。

先端の医療研究を日本の将来のビジネスに発展させていくためには生産技術を磨かなければならず、それは戦略的にやっていかない限り、あまり大学では行われないよ。この10年でそれがより鮮明になった気がします。

RNAiビジネス

RNAiもビジネス観点で非常に面白かったです。もちろん科学的には全く革命的であり、10年前に常識的に考えられていた分子生物学の考え方や技術がひっくり返されました。でもそれはもう言うに及ばないので、とりあえず僕が見たビジネス視点だけ話します。それもRNAiの医薬応用ビジネスについては僕は良く知らないので、研究試薬としてのRNAiに絞って。

RNAiがほ乳類でもできるようになったとき、非常に多くの研究試薬メーカーが飛びつきました。合成RNAとして提供する会社もあれば、ベクター(shRNA)として提供する会社もありましたが、いずれにしてもメジャーどころはほとんどこれに参入してきました。実はこれはいままでほとんどなかったことです。

その一方で、ふたを開けてみると研究用試薬用RNAi市場は特に大きいものではなかったのです。今までだったら数社しか参入しない程度の市場規模でした。

研究用途では非常に重要であり続けるのは間違いのないことですが、メーカー側からすれば一気に熱して、一気に冷めたというか、少なくともぬるくなってしまった市場だと思います。

なんでそうなってしまったのだろうと当時から思っていたのですが、要は分子生物学がある程度成熟してしまって、大型の新技術が無くなってしまっていたのだろうと思います。だから有望なものが出てきたら一気に各社が飛びついたと。

研究者としてはRNAiは非常に安くできるようになりましたし、良いことずくめだったと思います。ビジネスから見ると、一気に話題になった市場だからといっても飛び込んで言い訳ではなく、冷静に良く分析していかないといけないことを僕は学びました。

プロテオミクスかと思いきや結局はゲノムとトランスクリプトームが注目をさらった

これは日本の科学予算の問題にもなると思います。僕が知る限りだと、日本はヒトゲノムプロジェクトで大幅に遅れてしまったので、プロテオミクスで挽回しようと集中的に予算を付けたと聞いています。逆にその後のゲノム研究は予算がつかなくなってしまったと。その傾向はゲノムの解析が終了するや否やのころ、2000年代初めから続いていると認識しています。

それで今ふたを開けてみると、プロテオミクスがいまいちふるわない中、次世代シーケンサーの出現で核酸の研究がまた大きく注目を集めるようになっています。なのに過去に予算をあまり配分していなかったことが影響し、日本のゲノム研究は取り残され気味だということを僕は聞いています。

あちゃー、っていう感じです。僕の正直な気持ちは。

実は僕が1996年初めに理研で2ヶ月間技術習得をさせていただいたときは、ポストゲノムをにらんだプロテオミクスの手法を学びにいったのです。それで半年ぐらい研究を続けたのですが、あまりふるわず、僕自身が出した結論は先に紹介した1995年末のScienceの論文同様、mRNA発現解析技術こそがポストゲノムで重要になるでしょうということ。そしてプロテオミクスを機能解析に活かしていくのはそのかなり先になるので、残念ながら僕が学んだことに注力するのは恐らく間違っていて、それよりはハイスループットのmRNA解析手法が重要だよと思いました。実際に研究所長の前でもそういうプレゼンをしました。

別の僕の予想が当たったぞとは思いません。ただA-T、G-Cが互いにほぼデジタルに認識するということが如何に特別なことかを考え直したらいいかもしれません。それは研究対象としても特別ですけど、この場合は研究のしやすさという意味でも特別だったということだと思います。

確かに選択と集中は大切なんですけど、国の科学技術戦略であまり博打は打たない方がいいよねって思います。

当然起こると思っていたことが起こらず、衰退していくと思っていた分野が盛り返す。逆の見方をすれば、研究すればするほど新しい課題が見つかってくるというのが科学の必然であり面白さであります。科学の先を読むのは難しいし、個人レベルならともかく、国家レベルではそれはやらない方がいいのかもしれません。

そういう10年ですね。プロテオミクスに流れがいくと思っていたのに、small RNAと次世代シーケンサーで流れは完全にゲノムとかトランスクリプトームに戻って来るでしょうね。

全体の感想

やっぱり面白いね!生物学は!

いろんなことが起こるから、後で後悔することのないように、じっくり考えてから判断していかないといけないよね。

これにつきます。

2009年の振り返り

Castle104.comという会社を立ち上げ、バイオの買物.comのウェブサイトを運用し始めておおよそ2年経ちました。そういう2009年という年を振り返りました。雑多ですけど、とりあえず思いつくままに列挙します。

バイオの買物.comの安定した収入が得られ始めました

本当に大した金額ではないし、それほどいいサービスが提供できているという自信はないのですが、とりあえずは安定した収入が入っています。スポンサーになっていただいている企業や、私の背中を押してくれた複数の旧同僚に大変感謝しています。

真のバイオの買物.comを作る準備ができつつあります

これができつつあります。
研究者の皆さんに喜んでもらえるものに仕上がりつつあると自負しています。

new bk

久々に研究者向けに発表することができました

統合データベースプロジェクトのシンポジウムでのポスター発表です。
僕が学生だった頃はポスター発表はまだ主流ではなかったので、どうやってやればいいか分からずに苦労しました。

詳細はこちらのポスト

Twitterを通して、多くの研究者との距離を縮めることができました

これは本当にうれしいことです。当初はバイオインフォマティックス系の方が多かったのですが、最近ではウェットの方もどんどんTwitterをやっているみたいで、今後の展開がとても楽しみです。

いまバイオの買物.comのお手伝いをしていただいている方も、Twitterを通して知り合った研究者です。

英語教育に関わる機会をいただきました

4歳から12歳までイギリスにいて、現地校が長く、日本語をいったん忘れてゼロから学び直した人間として、語学教育には非常に興味を持っていました。今年は縁があって、子供に英語を教えたり、多くの英語の先生とお話をする機会をいただきました。自分の幼少時代を振り返ることもでき、自分の原点を思い出したりもしました。

自分の二人の娘の勉強にも英語を話せるようになってもらいたいので、本当にとってもいい勉強になりました。

次女の誕生を機にコミュニケーションの大切さについて気づかされました

詳しくは述べませんが、上の子がまだ小さいうちに次の子が生まれるというのは思いの他に家庭に負担をかける結果となりました。また物理的には家事の負担を軽減する措置であったものが、夫婦間のコミュニケーションを阻害することなってしまい、結果として問題を大きくしていきました。かなり大変でした。

会社員生活の中でコミュニケーションがうまくいっていない組織に属したことは何回もあります。しかし、コミュニケーションが取れていた状態が崩れていくのは今回始めて経験しました。コミュニケーションが取れている状態が如何に壊れやすいものかを身をもって知りました。

もし作業負担増に合わせて増員したとしても、その結果として今までのコミュニケーションが一部希薄になってしまったら、全体が一気におかしくなる可能性が高いようです。今まで属した組織は、こうやっておかしくなったのだろうなと思いました。この新しい視点で見直すと、今まで気づかなかった点で思い当たることがたくさんあるのです。

今後の人生の参考になると思います。

経済について改めて勉強しました

父親の仕事の関係上、理系でありながらずっと経済学には興味を持っていました。しかしちゃんと勉強したことはありませんでした。昨年からの世界不況をみて、予見できていた経済学者がゼロではないものの主流ではなかったこと、経済学者があまりにもバラバラな意見を言っていることにあきれました。またどう見ても「景気とはそもそも何ぞや」という根本的と思える問題について、だれも解答を持っていなさそうだということにも驚きました。

そこで不景気の経済として知られるケインズ経済学を中心に勉強しました。凄く勉強になりました。特にノーベル賞学者のクルーグマン氏が強く推しているミンスキー氏の経済理論は面白かったです。

勉強不足の中での結論ではありますが、どうも大部分の経済学者は熱力学でいう準静的過程を仮定して論理を構築しているようです。熱力学でもそうですが、経済学が準静的過程を仮定しているのは数学の取り扱いの容易さに起因しているようです。ただ異なるのは、物理学者は準静的過程を仮定することの問題点を理解していて、非平衡の熱力学を構築したりシミュレーションを行ったり、実験を重ねるのに対して、経済学者は問題があることに気づいていないようです。経済学の主流派はシミュレーションもあまり行っていないようですし、実験結果を軽視しているように見えます。ミンスキー氏の場合は準静的過程を仮定していないがために数学的に複雑になりすぎてしまい、自分の理論を数式で説明できなかったそうです。そして数式を重視する今日の経済学の主流から軽視されてしまったそうです。

数多くの人の生活および国の興亡に重要な役割を果たす経済学が、まだ学問としてこのレベルだというのは非常に残念に思いました。

世界と日本の政治に希望が持てるようになりました

もうオバマ大統領の登場は2008年から切望していました。大統領選はずっとフォローしていましたし、終盤になるとアメリカの新聞やテレビ(ポッドキャストを通して)を毎日、複数確認するほどのはまりぶりでした。

ブッシュ・ジュニア大統領のときは、アメリカが主導権を握る世界政治に深く失望していました。それに対して対話を重視し、幼少時代を異文化の中で経験したオバマ大統領の登場は、世界が良い方向に進むかも知れないという希望を与えてくれました。もちろん、掲げている政策も僕の考えと類似点が多いです。

それと、オバマ大統領は冷静沈着なところが大好きです。近年、会社経営などでも「アクション」重視が流行してしまい、時間をかけて冷静沈着に状況判断をすることがないがしろにされる傾向を私は感じていました。共和党のマケイン氏はこんな「アクション」タイプだったんです。それに対してオバマ大統領はどんな状況にも冷静。”No drama, Obama”と言われていたほどです。僕も未熟ですが、冷静さ(とときどきは怒りの演技)を大切にしているのでうれしいですね。

それと日本の政治。自民党政治の一党支配は終焉を迎えました。民主党政権が実際にどのような政治を行ってくれるかはまだ未知数ですが、少なくとも日本政治が大きく舵を切ったのは間違いのないことです。少しだけはっきり言えることは、民主党の政治家の方が一生懸命に見えますし、頭脳明晰に見えます。また弱い人の立場に立った発言も自民党より確実に多いです。

君子に求められるのは弱者を思いやる気持ちだと、僕はずっと信じて生きてきました。政治家からそのような発言が増えているので、難しい状況だけど、僕は日本の未来に希望を持っています。

しつこいんだけど、Twitter Client Usageを分析してみた

もうTwitterで何回かつぶやいているので、しつこいんですけど、140字以内でうまく説明できないので、ブログでももう一回だけ。

Twitstatのデータを元にTwitter Clientの分析をしてみました。データはここ。どういう分析をしたかというと、TwitstatはClientの名前は出ているのですが、どういうタイプのClientかが分からないので、それをグループにして分類しました。

その結果が、下の円グラフ。

Twitter Client Usage.png

それで僕は何に驚いたかというと、ウィンドウズユーザがやたらと少なくて、Macユーザがやたら多いのじゃないかなということです。

  1. Mac専用クライアント(Cocoa APIでつくっているやつ)のシェアがやたら高く、8%もあります。ただしこの中身はTweetieとTwitterifficなので、いずれもiPhone版があるため、Macだけでいうとこの8%よりは少ない数字だとは思います。
  2. Windows専用クライアント(Windows用のAPI、.NETなど)で書かれたクライアントは全くTwitStatのデータに載っていない

ちなみにAdobe Airがすごく多いのですが、これはTweetDeck、twhirl、Seesmicなどで、僕のタイムラインを見ている限り、Macユーザも結構使っています。したがってWindowsユーザは全員Adobe Airアプリを使っていると考えても、Windowsユーザが全然足りないです。

そもそもMacのシェアは世界的に5-10%しかないんですよね。どうなっているのでしょう。

唯一考えられるのは、ぼくがMacと分類しているCocoa APIクライアントが実はほとんどがiPhoneで、iPhoneじゃないCocoa APIクライアントは実は1%ぐらいしかないシナリオ。それでWebとかAdobe Airの合わせて38%あるうちの4%ぐらいがMacというパターン。でもこれも僕のタイムラインを見ている限りでは簡単には信じられないような気がしています。

だれか、うまく説明できる人がいたら教えてください。

アップデート
でもTwitterFon (iPhone専用アプリ)のシェアが1.81%もあるので、あながち僕が考えた「唯一のシナリオ」もあり得るかもしれませんね。そうするとモバイルの人以外は、ほとんどWebかAdobe Airか。でもそんなにtwhirlいいかな…。マックユーザからすると、あのUIはごちゃごちゃしていて好きになれないような気が

Snow LeopardでPHPを使ったときにtimezoneを設定しないといけない

Snow LeopardにアップグレードしてphpMyAdminを使おうとしたら、

It is not safe to rely on the systems timezone settings, please use the date.timezone setting

と怒られた。

Snow LeopardではPHPのバージョンが5.3に上がっていて、このバージョンからはphp.iniにtimezoneを明示しないと警告が出るようです。

そこで/etc/php.ini.defaultをコピー

sudo cp php.ini.default php.ini

そして適当なテキストエディタで編集して

date.timezone = "Asia/Tokyo"

としました。

最後にApacheの再起動を忘れずに。「システム環境設定」の「共有」でWeb共有をon/offすればよし。

一件落着。

オバマ大統領の広島・長崎訪問を要請することについて

プラハの演説で「核兵器の無い世界」を現実的に可能な目標として掲げたオバマ大統領が登場しました。それを受けて非核運動が多いに盛り上がり、広島・長崎への訪問を要請しようという流れになっています。

それはそれで大変結構なことなんですが、オバマ大統領の苦労ももう少し日本はわかってあげないといけないと思います。広島・長崎への原爆投下のおかげで戦争を早く終わらせることができ、無駄な戦死者を出さずに済んだとアメリカ人は思っています。また広島・長崎訪問が「謝罪」のように受け止められてしまうことには、当然抵抗があります。米国の実業率が10%に迫る勢いで、なおかつオバマ大統領が大目標に掲げていた医療保険改革もなかなか進まず、対イラン政策も進まず、支持率だって若干下がってしまっているオバマ大統領が、ここで原爆投下を「謝罪」したと米国民に受け止められてしまったら大きな痛手です。「核兵器の無い世界」の最大の理解者が、身動きが取れなくなってしまうかも知れないのです。

オバマ大統領に広島・長崎訪問を強く要請するばかりではなく、大切なのはそのオバマ大統領をどうやって支援するかだと思います。例えば米国の大統領でも、オバマ大統領だけでは何もできないのです。そういう意味で、NHKなどに報道されているような、漫画家たちが自分たちの戦争体験を語り始めている動きこそが大切です。いままであえて語ることが少なかった多くの被爆者たちが、オバマ大統領の演説に勇気づけられて、自分たちの体験を語り始めていることこそが大切です。例えばデザイナーの三宅一生さんやプロ野球選手の張本勲さんなどです。広島の原爆体験を元に制作された「はだしのゲン」の英語訳などもそうです。

繰り返しますが、日本がやらなければならないのはオバマ大統領にプレッシャーをかけることではありません。オバマ大統領の「核兵器の無い世界」という考え方が、米国で受け入れられるように地味な努力を重ねることが大切です。

あくまでも Yes I Canではなく、Yes We Canなのです。

生物とオブジェクト指向プログラミング: 細胞とグローバル変数

細胞はグローバル変数問題で悩んでいた

オブジェクト指向プログラミングと生物の共通性については別に書いていますが(ブログ内検索)、最近、生物は一つの細胞内ではグローバル変数を使いまくっていることに気づきました。

プログラミングでは何かと悪者にされることが多いグローバル変数ですが、単細胞生物は基本的に1つの容器の中で様々な化学反応を起こしているので、信号伝達に関係する分子もあっちこっちに分散してしまいます。その意味で、その分子の濃度などは細胞の中でグローバル変数になってしまいます。グローバル変数になるしか無いのです。

その上、使用できるグローバル変数の名前は限られています。なぜならば、生物における変数というのは化学物質の濃度に相当するわけですが、化学物質のバラエティーはどうしても限られてしまいます。単に文字列を並べればいいというものではないので、いろいろな化学物質を作るのも大変ですし、それ以上に数多くの化学物質を特異的に識別することは大変です。

ですから、細胞はグローバル変数を使わざるをえない上に、使用できるグローバル変数の数が厳しく制限されています。グローバル変数が非常にぶつかってしまいやすい状況にあるわけです。プログラミングでは御法度となっているグローバル変数の乱用を、細胞はやるしかありません。しかもソフトウェア開発以上に、グローバル変数がぶつかるという問題にぶつかりやすいのです。

生物はこの問題を解決するために、部分的にローカル変数を作ってみたり、あるいは名前空間みたいなことをやってみたりしています。

例えば信号伝達分子を膜局在にしているのは、ローカル変数的なアプローチの一つです。そして特に細菌に多いと言われている巨大な融合タンパク質は、名前空間的なアプローチと言えると思います。しかし細胞内局在によるローカル変数のアプローチは、細胞内オルガネラの数だけしかできないという制限があります。それでも細胞骨格とシグナリング分子の相互作用などもだんだんと解明されています。またイメージング技術の発達により、今まで考えられていた以上に細胞内局在が重要だという知見が得られてきています。制限はあるものの非常によく使われている、有効な方法です。

融合タンパク質による名前空間の創出については、タンパク質が巨大化してしまい、本来の機能が犠牲になってしまいますので、広く使うことができないアプローチです。

上記のアプローチは単細胞の場合のものです。多細胞生物化すると、今度はオブジェクト指向プログラミング的なアプローチが可能になり、グローバル変数の問題が一気に解決されます。オブジェクト指向プログラミングでは各オブジェクト内部の変数は隠蔽されますので、オブジェクト間で変数名がぶつかる心配はありません。細胞も同様に、細胞Aと細胞Bのグローバル変数は全く別ですので、ぶつかることはありません。

多細胞生物は様々に分化した細胞の集団です。ですから同じ名前のグローバル変数であっても、細胞ごとに全く別の機能を持たせることができます。こうやって生物は、限定された数のグローバル変数しか持たなくても、多様な機能を持つようになったのです。

ちなみにプログラミングをやっていて、変数名がやたら増え始めたり、変数名がどんどん長くなってしまう時があります。また関数呼び出しの際に、複雑なパラメータを渡さなければいけなくなってしまうこともあります。こういう症状は、グローバル変数そのものではないにしても、何か変数の問題にぶつかっていることの証拠です。このようなときは、単細胞から多細胞に進化し、クラスをいくつか作ってみるのがベストです。

バイオの買物.com@統合データベースシンポジウム 090612

2009年6月12日に開催されました文科省統合データベースプロジェクト「データベースが拓くこれからのライフサイエンス」のシンポジウムに参加し、ポスター発表をしてきました。シンポジウムのウェブサイト

とりあえずそのときのポスターをここに貼っておきます。
バイオの買物.com@統合データベースシンポ[PDF 4.4M]

簡単な感想

データベースを作成する側のバイオインフォマティックス関係者が多く参加することを予想していましたが、実際にはツールを利用するバイオロジストが多く参加しているように感じました。開催者は、予想を超える340名が参加されたと発表していました。これはこのようなユーザ側の人が多く参加してくれたからかもしれません。そうだとすればとても喜ばしいことだと思いました。

僕自身のポスター発表でも、やはりユーザの人が多く足を止めてくれました。どちらかというとテクノロジーのことを話す準備をしていましたので少し戸惑いましたが、ユーザが関心を持ってくれたこともまた喜ばしいことです。

あとは、このポスターに書いてあるようなものを完成させるべく、日々がんばっていきたいと思います。