これから成功するタブレット

昨日のブログ“Androidタブレットの現状についての考察”でAndroidの7インチタブレットはマーケットシェアこそ高いと推測されているものの、実際にはあまり使われていないことを紹介しました。どうやら購入直後だけ使われて、数ヶ月でほこりをかぶるようです。

推測になりますが、タブレットの主要用途であるウェブを見ること、メールをすることにおいて、7インチタブレットは使い勝手が悪く、その結果として使われなくなるようです。

それではちゃんと売れて、そして使われるタブレットの条件はなんでしょうか。そのようなタブレットの代表がiPadですので、iPadのマーケティングコンセプトに立ち返りながら考えてみます。

新しいカテゴリーは両挟みのカテゴリーを超えなければならない

AppleがiPadをアナウンスしたとき、Steve JobsおよびApple経営陣が強調したのは、スマートフォンよりも、そしてラップトップよりも優れたものを作らなければならないということでしました。ウェブを見るのにラップトップよりも優れたデバイス。同様にメールや写真、ビデオを見るにも、そして音楽を聞くにも、ゲームをやるにしても、eBookを読みにしても、このすべてのタスクにおいてスマートフォンよりもそしてラップトップよりも優れたものを作らなければ、新しいカテゴリーは生み出せないというのがSteve Jobsの論点でした。そしてiPadはこの非常に高い基準を満たしているという主張でした(以下のビデオの7:00前後)。

普通に考えるとタブレットはスマートフォンとラップトップの中間に位置するカテゴリーです。少なくとも物理的サイズはそうです。したがってスマートフォンの特徴である持ち運びのしやすさと、ラップトップの特徴である画面の大きさや高い処理能力を併せ持つもの、しかしそれぞれを個別に取り出したときにはスマートフォンにもラップトップにも劣るものを作りがちです。持ち運びのしやすさはスマートフォンとタブレットの中間、そして画面の大きさも中間、処理能力も中間のものを作りがちです。物理的にそうせざるを得ないのです。しかしSteve Jobsが言うのは、これでは新しいカテゴリーとして成功しないということです。

Steve Jobsは、仮に物理的な処理能力が劣ったとしても、タブレットはラップトップよりもウェブを見るのが便利にならなければならないし、メールをやるのが便利にならなければならないと考えていました。そしてそれを実現しました。実際にiPadでウェブを見るとすごく快適です。ウェブページを表示する速さにしても一見するとラップトップに引けをとりません。Flashなど余計なものを外したおかげで、そして様々な最適化をすることで、非力なCPUでも高速にウェブページを表示できるようになっています。

またiPadの画面サイズはどうしてもラップトップにはかないません。しかしダブルタップするとウェブページの特定の部分を簡単にズームできるなどのソフトウェアの工夫をすることによって、画面サイズのハンディを乗り越える対策が随所にあります。

このようにiPadが成功したのは、中間的なカテゴリーだったからではありません。スマートフォンとラップトップの両市場の真ん中に大きな穴が開いていて、そこを埋めたからではありません。そんな穴はなかったんです。iPadが成功したのは、一般の人がラップトップを使う大部分の用途においてラップトップを超えたからです。

メディアタブレットの市場は存在しない

7インチタブレットはメディアタブレットであると考える人たちがいます。Amazonなどで販売しているビデオやeBookを読むのに適したものであれば、スマートフォンとラップトップを所有している人であってもメディアタブレットを購入するだろうという考え方です。

確かに一部のマニアはそうするでしょう。でも一般の人はメディア消費専用のタブレットは望んでいません。タブレットはウェブを見たり、メールをやるためのデバイスです。タブレットで映画を見る人はわずかしかいません。

繰り返しになりますが、スマートフォンとラップトップ市場の間に未開拓の新しいカテゴリーは存在しません。メディアタブレットは幻想です。

考えてみてください。スマートフォン + タブレット + ラップトップを持ち歩く人は、普通の人の視線から見れば変態です。

タブレットが成功するにはラップトップの代替になるしかない

タブレットがスマートフォンになることは物理的に不可能です。タブレットはポケットに入りませんから。耳に当てるのは馬鹿馬鹿しいから。

そして新大陸のような第三のカテゴリーは、水平線上の蜃気楼でしかありません。

したがってタブレットはラップトップの代替になるしかありません。ラップトップのパワーと大画面を持ちながら、同時に使いやすく、持ち運びしやすく、電池が持つものでなければなりません。ラップトップの機能の80%を持ちながら、ラップトップを超える便利さを持たなければなりません。それができなければ売れません。

こう考えると今後売れるタブレットの予想は簡単です。

成功するタブレットの条件

  1. ウェブを見ること、メールを読むことなどの主要タスクにおいて、ラップトップをほぼ完全に代替できること
  2. ラップトップユーザが無理なく、徐々にタブレットに移行できること
  3. 画面が小さいにもかかわらず、ズームが優秀だったり、スペースが無駄なく利用されているために、不便さがないこと
  4. CPUパワーがないにもかかわらず、写真やビデオ、ゲーム、音楽の管理などCPUパワーが必要な処理が可能であること
  5. 上記のいずれかにおいて、マーケットリーダーのiPadよりも明確に優れていること

マイクロソフトがWindows 8とSurfaceタブレットで狙っているのはこのリストの2番目です。ラップトップユーザは依然としてWindowsユーザが圧倒的に多くいます。ですからリストの2番目では、特に企業においてiPadを凌駕できる可能性が十分にあります。

Android? 提案できる新しい価値が何もないときは価格を下げるしかありません。Netbook戦略です。

iPad mini? 新しいカテゴリーではありません。あれはiPadです。13インチ MacBook Airと11インチ MacBook Airの関係です。

Steve Jobs in 2003

2003年、iPhoneを販売する前、iPadを販売する前、しかしおそらく頭の中にはiPadを描き始めていた頃、Steve Jobsはインタビューの中でタブレットのコンセプトをディスります(下のビデオの7:30以降)。

この中でiPadの製品コンセプトに関わる話がいくつか出てきます。メディアタブレットというコンセプト(ここではコンテンツを消費するためのタブレット。9:25ごろから)についても言及します。

教訓:中間的なカテゴリーは難しい

中間的なカテゴリーは製品を作るのは簡単です。両挟みのものを超えようと思わなければ。世の中はそういう製品であふれています。

マーケティング部門は、新しい製品アイデアが思いつかないと、すぐに中間的なカテゴリーを作り出します。

でも売るのは難しいのです。すごく難しいのです。両挟みのもので足りているから。

Androidタブレットの現状についての考察

かなり前からiPadのマーケットシェアに関するデータが気になっています。

iPadのマーケットシェアは68%?

2012年9月のAppleのプレゼンでiPadのタブレッド市場のマーケットシェアが68%だったというデータが紹介されていました。タブレット市場のマーケットシェアに関する情報は複数の調査会社が公開していて、おそらくそのどれかを使ったのだと思います。ただしタブレットの売り上げ台数を公開しているメーカーはAppleだけで、例えばSamsungはスマートフォンもタブレットも売り上げ台数は公開していないので、この市場調査委資料はかなり推測が含まれています。

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iPadの使用台数シェアは91%?

それに対して実際にインターネットにアクセスしたタブレットの数、つまり実際に使用されているタブレットのシェアを見ると全く様子が違います。91%がiPadであるというデータが出ています。これはおそらくはChitikaというネット広告会社が出しているデータを元にしているのだろうと思います。これも方法論的に難しいことがあるので、100%正しい数字ではなく、ある程度のバイアスがある数字だと考えることができます。

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いずれにしてもこの2つのデータの違いは相当に大きくて、いずれもそこそこ正しいと仮定するならば以下の結論しか合理的にあり得ません。

「Androidのタブレットを購入した人は、その後ほとんど使っていない」

以下、一部データを補足しながら、どうしてAndroidのタブレットは余り使われず、それに対してiPadは多く使われるのだろうかについて考察したいと思います。 Continue reading “Androidタブレットの現状についての考察”

コンテンツの消費をビジネスにするAmazon、コンテンツ制作をビジネスにするApple

Amazonの新しいKindle Fire HDの発表を見て、AppleとAmazonが今後覇権を争うようなことを言っている評論家がインターネット上にたくさんいましたが、僕はあまりそう思いませんでした。

確かにAppleとAmazonはかぶるところが多いのですが、両者のイノベーションの方向が根本的に違うのです。

AppleはIT技術を通して、コンテンツを制作するツールをプロ及び大衆に提供する会社です。これは昔ではDTP、そして最近ではiLife, iBooks Authorなどで見ることができます。iPod発売前にiTuneが出た当初も宣伝コピーは”Rip, Mix, Burn”であり、単に音楽をPCで消費するのではなく、Mixという創作活動に大きなウェイトが置かれていました。

AmazonはタブレットPCをコンテンツ配信・閲覧ツールとして位置づけていて、その意味においては確かにコンテンツを握っていることが市場で非常に大きな力になります。

AppleはiPadをコンテンツ配信・閲覧ツールとして位置ていません。近い将来にはPCに代わるデバイスとして位置づけています。iPhotoやiMovieで音楽やビデオを編集することができますし、Garage Bandで音楽を作ることができます。スケッチをしたりするためのアプリケーションもサードパーティーからたくさん提供されていますし、Pagesをはじめとして文章を書くためのアプリも充実しています。

Amazonは世の中の見る価値のあるコンテンツは市場で発売されているものであり、それはAmazonを通して買ってもらいたいと思っています。

対してAppleは、創造力は誰にでもあり、誰でも高品質なコンテンツが作れるようにすることを一貫して会社の使命と考えています。

Appleもコンテンツを消費するためのツールはあり、そこはAmazonとかぶります。iTunes, iPodとApple TVです。iPadは違います。

個人的にはAppleのようにメディアの可能性をとことん追求して、新しいチャレンジをどんどんしてくれる会社がうれしいです。メディアの可能性はたくさん残っています。Amazonにように既存コンテンツの消費方法だけに注力するのは、世の中全体としては実にもったいない話です。

AppleがSamsungに勝訴したのを受けて思うこと

SamsungがiPhone, iPadのデザインを真似たとしてAppleがSamsungを訴えていたアメリカの裁判は、2012年8月24日に、Appleの勝訴でひとまず幕を閉じました。

その内容をカバーした記事はネットにあふれています。特に良いと思ったのはAllThingsDの特集でしたので、詳細を知りたい方は英語ですがご覧ください。

今回の裁判は一般人による陪審員裁判でしたので、特に興味深いのは判決の理由です。
陪審員の一人とのインタビューが紹介されていますので、ご覧ください。

陪審員の人が判決の中で一番重視した証拠を聞かれて、こう答えています;

The e-mails that went back and forth from Samsung execs about the Apple features that they should incorporate into their devices was pretty damning to me. And also, on the last day, [Apple] showed the pictures of the phones that Samsung made before the iPhone came out and ones that they made after the iPhone came out. Some of the Samsung executives they presented on video [testimony] from Korea — I thought they were dodging the questions. They didn’t answer one of them. They didn’t help their cause.

彼が言及しているのは以下の証拠と思われます。

  1. 「iPhoneとGalaxyを比較するとGalaxyのここがいけていない。よってiPhoneに似せるべし」というサムスンの内部資料。
  2. グーグルとのミーティングでグーグル側が「アップルとソックリすぎだからちょっと変えた方がいいんじゃないか?」と言ったというメール。

この判決に対する印象は様々ですが、私の印象は「相当に常識的な判断が下された」というものです。

この判決でAppleの力が強大になり、競合を閉め出し、結果としてイノベーションが停滞するのではないかという議論があります。特にネット関連の評論をしている記者やブロガーの多くがこの主張をしています。私は決してそうは思いませんが、彼らの言っていることは一理があることは否定はしません。

ただ陪審員が下した結論はもっと単純明快で

他の会社が何年もかけて苦労して開発した画期的な技術を、悪意を持って意図的に真似てはいけませんよ!

ということだと感じました。

良い判決だったと思います。

さて今後どうなるか。以下ではこっちの方を大胆に予想してみたいと思います。 Continue reading “AppleがSamsungに勝訴したのを受けて思うこと”

3代目のiPadを見て再度考える:アップルの宿命

最初のiPadが発表された直後に私は以下のブログ記事を書きました。

  1. iPadを見て思った、垂直統合によるイノベーションのすごさとアップルの宿命
  2. iPadのこわさは、他のどの会社も真似できないものを作ったこと

その中で僕が繰り返しているのは、イノベーションが盛んに行われている時代、そしてそのイノベーションが市場に受け入れられている時代は垂直統合が勝つということです。そして垂直統合メーカーがほとんど市場から消え去っている今、アップルに対抗できるメーカーはなかなか出てこないでしょうということでした。逆にイノベーションが停滞してしまうと水平分業が有利になってきます。

したがって今後もアップルがタブレット市場をほぼ独占できるかどうかは、タブレット市場のイノベーションのスピードにかかっていると言えます。アップルにとってみればイノベーションを持続することかが最大の課題です。これはアップル一社のイノベーションという意味ではなく、市場全体としてイノベーションに対する期待が持続するかという意味です。

さて3代目のiPadが発表されましたので、その特徴を見ながら、タブレット市場のイノベーションの余地について考えてみたいと思います。

Retina Display

Retina Displayというのは、人間の目の識別能力を超えたと言うことです。つまり今のRetina Displayよりも解像度の高いディスプレイを作ったところで、もう誰も気づかないのです。

したがってディスプレイの画素数、解像度についていうと、イノベーションはここで一つの終着点を迎えたのです。

今後のイノベーションは消費電力を押さえられるかとか、どれだけ薄くできるかとかに限られてきます。エンドユーザには見えないところでのイノベーションになります。

今後のイノベーションの余地は一つ減りました。

なおRetina Displayの画素数は2048 x 1536であり、普通に販売されているパソコン(iMac 27インチを除く)の最大画素数 1920 x 1080を大幅に超えています。これをスムーズに動かすための省電力GPUの開発も相当に大変だったと想像されますので、競合メーカーから同様の解像度のタブレットが発売されるまでしばらく時間がかかるかもしれません。

消費電力

新しいiPadの電池容量はiPad2よりも70%も多いと言われています。それでやっと電池が持つ時間をiPad2と同じにできました。消費電力が激しいと言われているLTEなどをサポートするために、相当に無理をしているのでしょう。

ここにはまだイノベーションの余地が相当に残っていそうです。

処理能力

iMovieなどがアップデートされ、iPhotoも追加されました。PCで行う作業の中でもかなり重たい作業である画像・ビデオ編集がiPadでもできるようになりました。3Dゲームも十分な解像度とフレームレートが出せている様子です。

これ以上の処理能力はもういらないんじゃないかと思われるレベルです。

今後も処理能力は向上するでしょうが、そろそろオーバースペックになりそうな感じです。そういう意味では、処理能力についてはイノベーションの余地があまり残っていないと言えます。

OS

OSの基本的な部分については、既にマルチタスクが実現されています。またタッチによる操作も特別な進歩を見せていません。

イノベーションの余地がもうあまりなさそうな印象です。

ネットワークの速度

まだまだネットワークの速度も信頼性も不十分です。たださすがのアップルもここを垂直統合に取り込むことはそれほどはやらないでしょう。

Siri

一番イノベーションの余地がはっきりしているのはSiriによる音声認識です。Siriの聞き取り精度はまだまだで、しょっちゅう間違えられます。Siriでできる操作も天気とかスケジュール管理ぐらいで、まだまだSiriは実用的とは言えません。その一方でネットワークに大きな負担をかけますし、裏では多数のサーバが動いているなど、多大の処理能力が必要です。

要するに、Siriは性能的にはまだまだだし、それなのにコンピュータパワーをすごく必要としています。イノベーションの余地がすごく残っているのです。

ちなみにSiriが残しているイノベーションの余地は簡単に思いつくものだけでも以下のものがあります。

  1. 精度を上げる
  2. ネットワークにつなげなくても動くようにする(Siriの音声認識ぐらいはローカルでやる)
  3. iOSのほぼすべての操作を音声でできるようにする。

まとめ

iPadが発売されて2年が経ち、猛烈な勢いでイノベーションが起こりました。当初は処理能力が足りず、コンテンツ作成は無理だろうと言われていましたが、今ではコンテンツ制作だって十分可能です。それどころかディスプレイの画素数は、市場のPCのほとんどすべてを凌駕するまでになりました。

しかしアップルにとっては喜べることばかりではありません。イノベーションの余地がなくなり、新機能が市場でオーバースペックになっていくと、垂直統合モデルは利点が減り、欠点ばかりが露呈します。これはその昔にマックがたどった道でもあります。

Siriが戦略的に非常に重要なのは、イノベーションの余地を新たに生んでいるという点です。こういう挑戦をアップルが続け、それが市場に受け入れられている間は垂直統合が勝ち続けるでしょう。

iBooks AuthorのウィジェットがePub3じゃなくて良かったという話 – Booki.sh Blogより

先日「iBooks Authorは電子書籍ではなくブックアプリを作るソフト。だからePub3じゃない。」という書き込みの中で、iBooks AuthorがePub3を採用しなかった最大の理由はデジタルの可能性を最大限に追求したいからだろうと推論しました。

その書き込みをしたときから気になっていたことがあります。ePub3ではJavascriptが使えます。そしてJavascriptを使えば、もしかしてiBooks Authorと同じようなインタラクティブなウィジェットが作れるかもしれません。つまり、iBooks Authorと同じ機能をePub3で実現することが不可能とは断言できないのです。

それにもかかわらずiBooks AuthorがウィジェットにePub3を採用しなかった理由は何だろうと考えました。以前の書き込みをした当時は、ePub3やJavascriptのような業界スタンダードに縛られてしまって、イノベーションのスピードが落ちるのを危惧したのではないかと考えていました。

しかし Booki.sh Blogの“A favor from Goliath”という記事を読んで、考えが変わりました(ちなみにBooki.shはebookをブラウザで読むためのプラットフォーム)。

Booki.sh Blogが言っているのは要約すると次のことです;

  1. ebookの中にJavascriptを埋め込んでインタラクティブなウィジェットを実現するやり方はセキュリティー上の問題があるし、ユーザインタフェースとしても良くなりません。(詳細はこっち
  2. iBooks Authorのやり方は、ebookファイルにはどのようなインタラクティブな機能を実現するべきかを記載するに留め、それを動作させるための実際のプログラムはebookファイルに記載していません。ebookファイルに記載された通りの動作を実現するためのプログラムはiBooks 2の中に置いています。
  3. インタラクティブなウィジェットのプログラムをebookファイルの中に(Javascriptで)埋め込んでしまうと、ebookファイルそのものを書き直さない限り、ユーザインタフェースを改善したり、バグを直したりできません。それに対してウィジェットのプログラムがebookリーダーの中にあれば、ebookリーダーをアップデートするだけですべてのebookのウィジェットのユーザインタフェースが改善できます。

言われてみるとなるほどと思うものばかりですが、プログラミングをあまりやったことがない人だとわかりにくいかもしれませんので、以下に自分なりに解説してみたいと思います。 Continue reading “iBooks AuthorのウィジェットがePub3じゃなくて良かったという話 – Booki.sh Blogより”

Appleのイノベーションが勝つ時代と負ける時代

アップデート
書き込みをした後に読み返していてたら、ずいぶんと説明不足な点があることに気づきました。特に気になったのが「市場のイノベーションをゼロから一社でも盛り上げてしまう」が一体どうやってできるのかということ。それと「自分自身を捨てる勇気」がどうつながるのかということです。

これについては以前のブログ書き込み「iPadを見て思った、垂直統合によるイノベーションのすごさとアップルの宿命」でも紹介していますが、近いうちに改めて説明しようと思います。基本的にはChristensen氏の著書を参考に、パーソナルコンピュータの歴史の一部を紹介しながら説明しようと思っています。

ウェブアプリのフレームワークとして、今最もホットなRuby on Railsの開発者David Heinemeier Hansson (DHH)がブログに“Watching Apple win the world”をブログに書き込んでいました。

長い書き込みですが自分なりに一言でまとめると、「世界で一番優れた製品を作り、しっかり利益が出るように価格を設定すれば世界を勝ち取れる」、そしてそれをAppleが証明してくれたということだと思います。

僕も1994年からのマックユーザですので、気持ちは同じです。

ただ「世界で一番優れた製品を作る」戦略がうまくいかないことがあります。DHHも述べていますように、Windowsが全盛の頃もMacの方が優れているのではないかという話はありました。しかし多くの人は「そんなの関係ない。一番優れた製品が売れるのではない。売れているものが優れているのだ。」と言わんばかりのことを言っていました。

あるときは「世界で一番優れた製品を作」っている会社が勝ち、そしてあるときはMicrosoft Windows 95のように、極論するとコピー商品と言えるものが勝つ。どうしてでしょう。

どうして時代によって全く違う戦略が勝者となるのでしょうか。

私がClayton Christensen氏の理論を元に考えていることは、ちょうどiPadが発売された直後に書いたブログ記事に紹介しています。

iPadを見て思った、垂直統合によるイノベーションのすごさとアップルの宿命

自分の結論を言うとイノベーションが盛んに起こっている市場ではAppleのやり方が勝ちます。そしてイノベーションが衰退した市場ではWindows 95が勝ちます。

Appleのすごいのは、市場のイノベーションをゼロから一社でも盛り上げてしまうことです。そうやってApple自身が繁栄しやすい環境を自ら作っています。そのためには自社製品をカニバライズすることを恐れず、大胆に新しい製品を作っていく必要があります。古い自分自身を捨てる覚悟で、新しい自分を常に創造しないといけないのです。

Appleがイノベーションを起こせなくなったとき、自分自身を捨てる勇気がなくなったときが、Appleがまた衰退するときです。なぜならAppleは自社の主力製品をも潰しかねない破壊的イノベーションを続けることで、Christensen氏の言うInnovator’s Dillemaを辛うじて逃れているだけだからです。

Appleが絶頂を迎えている今だからこそ、瀕死だった時代を改めて思い起こす必要があると思います。

iBooks Authorは電子書籍ではなくブックアプリを作るソフト。だからePub3じゃない。

アップデート
ePub3にJavascriptを埋め込んで、ePub3でインタラクティブなウィジェットを実現する方法についての考えを新しい書き込みにしました。iBooks AuthorのウィジェットがePub3じゃなくて良かったという話 – Booki.sh Blogより

Macworld誌のJason Snell氏が“Why iBooks Author is a big deal for publishers : Now creators can make interactive books without becoming app developers”という記事でiBooks Authorの位置づけを出版社の立場で紹介しています。

ポイントは以下の通り;

  1. iOSアプリの開発は難しく、高い。特に優れて開発者を探すのが難しいのです。
  2. iPad用の雑誌とか書籍タイプのアプリにはすごいものがあるけど、普通の出版社にはなかなかあれほどのものは作れません。
  3. iBooks Authorがすごいのは、Al GoreのOur Choice並みの書籍タイプのアプリが、iOSアプリ開発をしなくても作れてしまうことです。

iBooks AuthorがなぜePub3フォーマットを出力しないのかという議論がウェブで賑わっていますが、簡単に言うとiBooks Authorはいわゆる電子書籍を作るものじゃないからと言うのが一番良い答えではないかと思います。ePub3の主眼は、印刷された書籍のレイアウトの自由度を電子書籍に持つ込むかです。日本語のルビ対応や縦書き対応というのも、印刷された書籍を再現するという次元の話です。インタラクティブなマルチメディア体験をePub3でもある程度は作れるみたいですが、まだまだの印象です。

一方、アップルが目指しているのは紙媒体に代わる電子書籍を作ろうというものではないと思います。紙媒体ではとうてい実現できないマルチメディアのアプリを、プログラミングすることなく作れるようにすることが目標だったのではないでしょうか。

既存の書籍に変わろうというのがePub3。デジタルの可能性を思いっきり広げようというのがiBooks Author。全く違う考え方です。

どうしてiBooks Authorのデジタル書籍はAndroidで動かないのかについて考えてみる

iBooks Authorのデジタル書籍はアップル独自のファイルフォーマットを使っていて、現時点ではAndroidなどでは動かせません。

理由はいくらでも考えられます。

  1. 競合のAndroidを助けたくないから。
  2. そもそもAndroidのタブレットなんて無視できるぐらいしか売れていないから。

などが普通の考える理由でしょう。

でももう一つ理由があります。

それはAndroidではうまく動かないからというものです。 Continue reading “どうしてiBooks Authorのデジタル書籍はAndroidで動かないのかについて考えてみる”

iBooks Textbooksがあるとき、授業は何をすればいいの?

Life on EarthiBooks Textbooksを見て、昔から疑問に思っていることを再び考えています。

「授業というのは何をするべきところなのだろうか?」

学校に行く目的は勉強ができるようになることです(他に人間として成長するというのはもちろんありますが、それは別の話)。授業というのはその一つの手段です。数ある中の一つの手段ですし、最も効果的な手段という保証もありません。極端な話、生徒が勉強できるようにさえなれば、授業をやるかどうかはどうでもいいことです。

iBooks Textbooksの見本で日本で唯一ダウンロード可能な“Life on Earth”を見ると、「これさえしっかり読めば授業はいらないよね」って思わずにはいられません。おもしろいから退屈せずに最後まで読めるし、高解像度の写真や動画、インタラクティブなウィジェットがふんだんに使われています。書いてある内容が理解できずに苦しむと言うことはあまりなさそうです。

日本に多い授業の形式、つまり黒板があって、そして40人が全員前を向いて先生が話をするという授業形態で果たして”Life on Earth”を超えた授業はできるでしょうか。”Life on Earth”以上の説明を黒板と口頭で果たしてできるでしょうか。あるいは話題の電子黒板を使ったとしても、iBooks Textbooks以上のマルチメディア体験を生徒に与えることができるでしょうか。

僕は無理だと思います。”Life on Earth”を見ると、「事実を伝える」という目的に限って言えば、授業という形式でこれを超えることはできないと思います。

それならば授業は何をやるべきなのか。黒板に板書をして、先生が口で説明して、教科書を読んでという授業の代わりに、先生たちはいったい何をすれば良いのか。

今回のiBooks Textbooksの話、僕が小学校の頃にイギリスの現地校で受けた授業、そしていままで好きだった先生の教え方を思い返しながら、僕が理想とする近未来の授業の姿を描いてみたいと思います。

  1. 黒板に書かれた板書を生徒が書き写すようなことはやめるべきです。
  2. 生徒は自分で考えてノートをとるようにさせます。何をノートに書くべきか、どういう形で整理するかは生徒に自分で考えさせます。
  3. 教科書を読み上げるというのはやりません。それぐらいなら授業の最初の15分間ぐらいみんなに教科書を各自で読ませた方が良いです。人それぞれに考えるペースがりますし、本を自分のペースで読むのと、読み上げられた音声を聞くのとでは頭に入る効率は全然違います。iBooks Textbooksみたいなインタラクティブなものは特に読み上げるだけではもったいです。
  4. 自分で主体的に勉強させます。問題集をやらせるのも良いのですが、せっかく学校にいるのであれば何か課題を与えるとか、作文をやらせるとかした方がおもしろいと思います。
  5. 自分の考えを発表する練習をさせます。どんなにすぐれた電子教科書があっても、自分の考えを発表する練習はそれだけではできません。
  6. 以下にマルチメディアでインタラクティブであっても、実際の物理的な体験は重要です。実験をするとか、外に出て観察するとか、そういうことをさせることが重要です。

iPadを活用した教科書があれば、子供たちは自分たちで積極的に勉強してくれることが増えるでしょう。難しいコンセプトでも頭に入りやすくなるでしょう。単純に教えることにもはや多くの時間を割く必要は無くなるはずです。時間をかけるにしても、子供たちは自分でできるはずです。

逆に生まれたときからiPadを使っているような子供たちにとって、黒板を使った授業は退屈で仕方がありません。当然なことです。iPad以上に刺激的でおもしろい体験をどうやったら子供たちに与えられるか、それが試されています。

もちろん優れた先生たちは、単に板書をするのではなく、あの手この手を使って子供たちに興味を持ってもらい、いろいろな方法で勉強をさせているはずです。今後はますますこのような先生の工夫が生きてきたり、実践したりする時間が増えるのではないでしょうか。それが何よりも楽しみです。