なぜ日本にリーダーがいないと言われるのか、ちゃんと論理的に議論しようよ

先ほどNHKで「シリーズ日本新生 : 生み出せ!“危機の時代”のリーダー」という討論番組をやっていましたが、会場でプレゼンとかをしている人の論理があまりにもめちゃくちゃなので、耐えられずに消してしまいました。

「日本にリーダーがいない」というのはよく言われる話です。でもその原因をちゃんと論理的に考えている人はほとんど聞きません。またリーダーがいないから日本がだめになっていくんだという議論についても、本当にそうなのかを論理的に述べている人も見かけません。単なる憶測や思い込みで話している人がほとんどです。

番組をちゃんと見ていないので、本当は批評する資格はないのですが、一般的な話として自分の考えを紹介します。

日本の問題をなるべく論理的に考えてみましょう。 Continue reading “なぜ日本にリーダーがいないと言われるのか、ちゃんと論理的に議論しようよ”

iBooks Textbooksがあるとき、授業は何をすればいいの?

Life on EarthiBooks Textbooksを見て、昔から疑問に思っていることを再び考えています。

「授業というのは何をするべきところなのだろうか?」

学校に行く目的は勉強ができるようになることです(他に人間として成長するというのはもちろんありますが、それは別の話)。授業というのはその一つの手段です。数ある中の一つの手段ですし、最も効果的な手段という保証もありません。極端な話、生徒が勉強できるようにさえなれば、授業をやるかどうかはどうでもいいことです。

iBooks Textbooksの見本で日本で唯一ダウンロード可能な“Life on Earth”を見ると、「これさえしっかり読めば授業はいらないよね」って思わずにはいられません。おもしろいから退屈せずに最後まで読めるし、高解像度の写真や動画、インタラクティブなウィジェットがふんだんに使われています。書いてある内容が理解できずに苦しむと言うことはあまりなさそうです。

日本に多い授業の形式、つまり黒板があって、そして40人が全員前を向いて先生が話をするという授業形態で果たして”Life on Earth”を超えた授業はできるでしょうか。”Life on Earth”以上の説明を黒板と口頭で果たしてできるでしょうか。あるいは話題の電子黒板を使ったとしても、iBooks Textbooks以上のマルチメディア体験を生徒に与えることができるでしょうか。

僕は無理だと思います。”Life on Earth”を見ると、「事実を伝える」という目的に限って言えば、授業という形式でこれを超えることはできないと思います。

それならば授業は何をやるべきなのか。黒板に板書をして、先生が口で説明して、教科書を読んでという授業の代わりに、先生たちはいったい何をすれば良いのか。

今回のiBooks Textbooksの話、僕が小学校の頃にイギリスの現地校で受けた授業、そしていままで好きだった先生の教え方を思い返しながら、僕が理想とする近未来の授業の姿を描いてみたいと思います。

  1. 黒板に書かれた板書を生徒が書き写すようなことはやめるべきです。
  2. 生徒は自分で考えてノートをとるようにさせます。何をノートに書くべきか、どういう形で整理するかは生徒に自分で考えさせます。
  3. 教科書を読み上げるというのはやりません。それぐらいなら授業の最初の15分間ぐらいみんなに教科書を各自で読ませた方が良いです。人それぞれに考えるペースがりますし、本を自分のペースで読むのと、読み上げられた音声を聞くのとでは頭に入る効率は全然違います。iBooks Textbooksみたいなインタラクティブなものは特に読み上げるだけではもったいです。
  4. 自分で主体的に勉強させます。問題集をやらせるのも良いのですが、せっかく学校にいるのであれば何か課題を与えるとか、作文をやらせるとかした方がおもしろいと思います。
  5. 自分の考えを発表する練習をさせます。どんなにすぐれた電子教科書があっても、自分の考えを発表する練習はそれだけではできません。
  6. 以下にマルチメディアでインタラクティブであっても、実際の物理的な体験は重要です。実験をするとか、外に出て観察するとか、そういうことをさせることが重要です。

iPadを活用した教科書があれば、子供たちは自分たちで積極的に勉強してくれることが増えるでしょう。難しいコンセプトでも頭に入りやすくなるでしょう。単純に教えることにもはや多くの時間を割く必要は無くなるはずです。時間をかけるにしても、子供たちは自分でできるはずです。

逆に生まれたときからiPadを使っているような子供たちにとって、黒板を使った授業は退屈で仕方がありません。当然なことです。iPad以上に刺激的でおもしろい体験をどうやったら子供たちに与えられるか、それが試されています。

もちろん優れた先生たちは、単に板書をするのではなく、あの手この手を使って子供たちに興味を持ってもらい、いろいろな方法で勉強をさせているはずです。今後はますますこのような先生の工夫が生きてきたり、実践したりする時間が増えるのではないでしょうか。それが何よりも楽しみです。

iBooks Authorをバイオのメーカーはどう活用できるか

「iBooks Authorをバイオのメーカーはどう活用できるか」というブログをバイオの買物.com公式ブログにアップいたしました。

iBooks Authorはデジタル教科書の制作で注目されていますが、いろいろなマルチメディアコンテンツの制作もできます。とても使いやすく、できあがったものは非常に魅力的です。

メーカーならば製品プロトコルだと季刊誌などに活用できると思います。是非ブログを読んでみてください。

iBooks Textbooksでイノベーションについて考える

アップデート
Daring FireballのJohn Gruber氏もこの記事と同じようなことを述べています。“On the Proprietary Nature of the iBooks Author File Format”

It’s the difference between “What’s the best we can do within the constraints of the current ePub spec?” versus “What’s the best we can do given the constraints of our engineering talent?” — the difference between going as fast as the W3C standards body permits versus going as fast as Apple is capable.

NewImage2012年1月18日に行われた Apple Education Eventで iBooks Textbooksが発表されました。詳しくはAppleのウェブサイトにありますので、ご覧ください。

とにかく今の子供がうらやましいですね。こんな教科書で勉強できるのなら、楽しくて仕方が無いでしょう。難しいコンセプトもどんどん理解が進むでしょう。何よりもこれだけ勉強が楽しくなるのならば、興味の幅がすごく広い子供がたくさん育ちそうです。受験のための教科だけを勉強するのではなく、興味の赴くままにいろいろな科目を勉強する子が出てくること。これが何よりもうれしいです。

さてiBooks Textbooksに対する批判の多くは、iPad版しか無いこと、そしてiBooks Textbooks用の電子教科書を作成するにはMacを使わなければ無いことに問題視しているようです。

でもイノベーションっていうのは、どうしてもこうなっちゃいます。Apple社も別に囲い込みたいからと言うだけでなく、イノベーションを続けるためにやむなくこういう統合された環境にしているのです。

逆に言うと、iPad版に限定すること、そしてMacで著作するようにしているからこそこれだけイノベーティブなものが作れるのです。

当然ながら今回でiBooks Textbooksは始まったばかりで、今後新しい機能はどんどん追加されます。それに応じてファイル形式も変更されていくでしょう。新しい機能が自由に追加できるのは、このファイル形式をApple社が完全にコントロールしているからこそです。例えばePub形式とかHTML5のような業界標準のファイル形式を採用してしまうと、これらで表現しきれない機能をiBooks Textbooksに追加できなくなってしまいます。つまりイノベーションの自由度が下がってしまうのです。

もし電子教科書はePubの機能で十分であり(つまり静的なコンテンツで十分と考えている)、iBooks Textbooksのイノベーションには価値がないと考えているのなら、業界スタンダードのePubを使えば良いわけで、これならAndroidでも読めます。

もしインタラクティブなコンテンツがとても作りやすくなっているiBooks Textbooksのイノベーションがとても重要で、これからもイノベーションを続けてもらいたいのならば、当面はApple社のシステムを取り込むしかありません。イノベーションが速いペースで進むためには、垂直統合はやむを得ません。

垂直統合はイノベーションの代償です。どっちかを選ぶしかないのです。

デジタル教科書とか電子黒板について思うこと

デジタル教科書とか電子黒板とかが割と話題になっていて、自分もいろいろな理由で興味があります。Facebookでもみんなのデジタル教科書教育研究会というグループに参加させてもらっていて、特に現場の人の意見を聞きたいと思っています。

それで備忘録的な意味で、現時点での自分の考えを少し書きとどめようと思います。議論をしたいのであればFacebookなどでやるつもりですが、今回はそうしません。あくまでも現場を全く知らないけど、いろいろな授業を受けてきた自分の経験に基づいて話したいと思います。

「デジタル教科書」、「電子黒板」という名前が悪い

何が悪いかというと、既存の「教科書」や「黒板」を置き換えようという発想が良くないです。「教科書」にしても「黒板」にしても、長く教育現場で使われており、どうやって活かすかは各先生たちがさまざまな工夫をしながら身につけています。親の世代も「教科書」と「黒板」で育っていて、それをデジタルなもので置き換えることには抵抗を感じるはずです。また「教科書」は価格も安く、「黒板」はすでの学校に備わっているので事実上無料です。

こう考えると、既存の「教科書」を「デジタル教科書」で置き換えるのは、変化への抵抗という精神面でもまた価格面でも全く無理な話です。やるだけ無駄と言えます。もちろん「教科書」の代わりにiPadを持ち歩けばランドセルが軽くなるという話はありますが、その程度の理由で何万円もするiPadを子供に持たせるということはほぼあり得ません。

「電子黒板」はもっと話がおかしくて、価格があまりにも高いので「黒板」に置き換わるはずがないことは誰もが認識しています。それで「電子黒板」にどういう役割が期待されているかというと、マルチメディアを活用した副教材ということなのですが、これだったら昔から学校に置いてあったテレビと同じ役割です。したがって「電子黒板」と呼ばずに、「○×テレビ」という名前をつけるべきです。

「教科書」「黒板」ありきだから「デジタル教科書」、「電子黒板」という名前がつく

「デジタル教科書」、「電子黒板」という名前がどうして使われるか、どうして「○×テレビ」という名前がつかないか、その理由を考えてみます。

一つ考えられるのは、「教科書」「黒板」というものが学校教育に不可欠だという常識(常識だからといって、後述するようにそれが正しいわけではありません)がありますので、「デジタル教科書」、「電子黒板」という名前にすればなんだかとても重要な役割を担うように聞こえるという可能性です。「○×テレビ」という名前にしてしまったら、無くても教育上は支障が無いように認識されてしまいます(仮に実態は「○×テレビ」であったとしても)。同様に「デジタル副教材」よりは「デジタル教科書」としてしまった方が重要そうに聞こえるのでしょう。

でもちょっと立ち止まって考えて欲しいのです。そもそも「教科書」とか「黒板」って必須なのでしょうか。これらを使わない教育の形というのはあり得ないのでしょうか。「教科書」「黒板」にとらわれず、ゼロから教育を考え直した場合、必要なのは何なのでしょうか。そのときにデジタル技術が果たす役割は何でしょうか。そいういう発想が本当は必要だと思います。

ちなみに僕が30年以上前に受けたイギリスの現地の小学校の授業では「教科書」はありませんでした。また少なくとも3年生になるまでは「黒板」を使いませんでした。

1, 2年生の頃は机で島を作って、英語や算数の授業では問題集みたいなものを各自で解いていました。わからなかったら先生が回って教えてくれました。

3年生になって歴史とか地理の授業をやりましたが、「教科書」はなく、先生が独自にいろいろな授業を用意してくれているように見えました(裏でどういうことがあったかわかりませんが)。そして「黒板」を使わず、先生は口頭でいろいろな歴史の話をしてくれます。それを生徒は必死にメモをとり、そして授業の最後は先生が出題した問題を解きます(問題といってもかなり自由記述に近い)。必死にメモをとり、すぐに問題を解くので、授業内容は良く頭に残りました。僕は未だにこの授業の形態が一番好きで、人の話を聞きながら必死にメモをとる(板書を写すのではなく)のが大好きです。

少なくとも僕にとっては「教科書」「黒板」ありきということはありませんし、これらを使わずに効率的に授業をすることはいくらでも可能だし、その方が効果がでるのではないかと考えています。

デジタルって本当はもっとすばらしい

デジタルのすばらしさって、既存のものに置き換わることじゃないんです。今まで存在しなかったことを可能にするのがデジタルの良さなのに、「教科書」「黒板」ありきという既存の枠組みの中で考えてしまったら思考が狭くなってしまいます。

例えばデジタル技術の発達により、写真やビデオを撮ったり編集したりすることが画期的に簡単になりましたし、何よりもフィルム代が全くかかりません。iPod Touchのような2万円程度の機材があれば、それだけで子供はロバート・キャパにもなれますし、スティーヴン・スピルバーグにもなれます。またアニメの作成を支援してくれるソフトを使えば、宮崎駿にもなれてしまうのです。

これを学校の授業に活かさない手はないと思いますが、どうでしょうか。身の回りを観察したり、おもしろく感じたことを映像に納めたり、他人に説明したり、起承転結を構想したりなど、いろいろな力が身につくはずです。

アニメを作るソフトなどを使えば、子供たちに日本史物語や地理物語をいろいろ作らせることができます。これだけやらせれば、学校で習ったことは一生記憶に残るのではないでしょうか。

もう一つ、電子メールを使ったり、ブログを読んだり書いたり、FacebookやTwitterを使っている人なら皆感じていることですが、デジタルによってコミュニケーションの形が大きく変わりました。いろいろな人のいろいろな意見を簡単に知ることができるようになりましたし、自分の意見を他人に伝えることが自由にできるようになりました。このコミュニケーションも授業に生かせるのではないでしょうか。

例えば今までだったら学校の宿題で読書感想文を書かされても、読んでくれるのは先生だけでした。そうではなく、学校内のLANでブログシステムを運用すれば、読書感想文はみんなで読んで、みんなで議論するものになる可能性があります。自分はこう読み取ったけど、友人Aは違うように読んでいたんだ。彼はそういうものの考え方をするのか。そうやって自分の考えのポジションを知ることができるし、他人との意見の違いも尊重できるようになるのではないでしょうか。親しい友人でも、なかなか思考回路を理解することはないのですが、そのレベルでのコミュニケーションを可能にしてくれるのがデジタルの一つのすばらしさだと思います。

その一方でデジタルな問題集というのは当たり前だし、子供たちもやってくれるとは思いますし、効果も高いとは思いますが、あまりにも退屈な発想です。必要だと思いますが、デジタル時代の子供を育てるという夢のような話からすると、あまりのもわくわく感のないことです。

もうちょっと幅広く、夢を広げて考えてみましょう。

2011年12月の分子生物学会で発表してきました

2011年12月の分子生物学会で発表してきました。

講演を聴きに来てくださった方、ポスターを見に来てくださった方、要旨だけを見た方、皆さんありがとうございました。

スライドはバイオの買物.comの公式ブログに掲載しています。

朝日新聞「アサヒコム」終了、「有料版」に一本化のニュースを受けて

J-Castニュースに『朝日新聞「アサヒコム」終了、来年初めに「有料版」に一本化有力』という記事が掲載されました。(興味深いことにJ-Cast自身は「1.5時情報」というコンセプトのニュースサイトで、基本的には自社で取材はせず、新聞などをベースにコメントを追加するサイトのようです。)

さて、無料の「アサヒコム」を終了することによって購読者数がどうなるか、今後存続していけるのかどうかという様々な憶測がウェブで流れていますが、僕は僕なりの考えを紹介します。

  1. 新聞が提供する情報は民主主義に不可欠だった: 民主主義が成功するための前提条件として、民衆が世間の情勢を知らなくてはなりません。正しい情報を持たない人が、リーダーを選ぶ際に正しい判断ができるはずもないからです。したがって新聞が存続できるかどうか、あるいは同等の役割を果たすメディアが出てくるかどうかは民主主義のためにはとても重要な問題です。Steve Jobs氏もAll Things DigitalのD8のインタービューでまさにこのことに言及しています。
  2. 取材などのニュース収集は広告収入だけで可能か: 広告収入だけに頼ってニュースを配信する試みは別に新しいことではなく、テレビの民放がずっとやってきたビジネスモデルです。残念ながらそのクオリティーは下がる一方で、近年ではまさに目を覆いたくなるような報道番組ばかりになってしまっています。もちろん新聞の取材力も高いとは言えません。しかしテレビの報道はそれよりも格段にひどい状況です。少なくとも民放テレビという過去の例で見る限り、広告収入に頼った報道に民主主義の未来を託す気にはなれません。
  3. ネットの情報は無料が多いのは、情報に価値が無いからではない。: スマートフォンを使っている人は、毎月6-7千円を支払っています。光ファイバーでインターネットに接続している人は毎月おおよそ5千円を支払っています。テレビ(衛生を含む)を持っている世帯は、毎月NHKに3千円支払っています。こう見ると、我々は情報を得たり、コミュニケーションするためのハードウェアやネットワークに毎月かなり多くのお金を支払っています。ハードにこれだけのお金を払いつつ、コンテンツが無料であることを期待するのはあべこべな話です。インターネットに接続したときに我々が欲しいのは情報であって、情報がなければインターネットに接続する価値はありません。我々はハードが欲しいのではなく、ソフトが欲しいのです。だから情報にも毎月数千円のお金を支払う状態こそがバランスのとれたものであるともいえます。
  4. ネットは課金システムが未熟: Steve Jobs氏の巨大な業績の一つはiTunes Music Storeです。当時Napsterなどの違法音楽ダウンロードサイトが隆盛を極め、音楽レーベルは戦々恐々としていました。そのときSteve Jobs氏は違法音楽ダウンロードサイトが使われるのは、利用者がみんな無料で音楽を手に入れたいからではないことを見抜きました。問題なのは利用者が音楽にお金を払いたくないからではなく、売る仕組みがないからだと考えました。だからiTunes Music Storeを作って、音楽のデジタル版が適正な金額で簡単に入手できる仕組みを築き、爆発的な成功を収めたのです。Steve Jobs氏は新聞でもiTunes Music Storeと同じことをやるべく、iPadでNewsstandを提供しています。まだ成功と言える状態ではありませんが、Steve Jobs氏の着眼は一貫しています。僕もインターネットは課金システムが未熟だと考えています。

以上の理由から、僕は朝日新聞の判断を応援します(朝日デジタルも購読しています)。非常に難しい局面であり、試行錯誤しながら何とか乗り越えてもらいたいと思っています。

ただし本当に必要なのは、報道のイノベーションです。印刷や配達が不必要になり、参入障壁がなくなった分、本来ならば新しい一次報道のメディアが参入してきてもおかしくありません。ただ既存企業が無料だと、low-endからの破壊的イノベーションは困難です。既存の新聞がネット版を有料化することによって、ようやくそのチャンスが巡ってきたかもしれません。

ソーシャルな要旨集システム:素案

先日書いた学会要旨集システム(学会の要旨集システムをゼロから考え直そう)について、少しずつ考えをまとめています。

今のところこんな感じ。

後でまた詰めていきますが、現時点で何か意見があれば、とてもありがたいです。

要旨集システム原案

Firefoxの功績を考える:FirefoxはなぜGoogleから10億ドルがもらえるのか

Images先週GoogleとFirefoxはパートナーシップを更新し、Googleから3年間で10億ドル(800億円弱)が支払われることになったと報じられました。

Chrome Engineer: Firefox Is A Partner, Not A Competitor

Firefoxは今までもGoogleとのパートナーシップが主な収入源で、実に84%に相当していました。この資金の見返りとしてFirefoxのデフォルトの検索エンジンはGoogleとなり、Googleに広告収入が入るのをFirefoxが手助けするという形になります。

今回更新された契約額は以前のものよりも数倍高くなっているようです。Firefoxのマーケットシェアは20%以上で、競合のMicrosoftに持っていかれてしまうのをGoogleが恐れた可能性もあります。

いずれにしてもGoogleはChromeというやはりシェアが20%の製品を抱えながらも、競合のFirefoxとパートナーシップを継続しているわけです。そこで自分なりにブラウザ開発の歴史を振り返り、このパートナーシップの意義について考えたいと思います。 Continue reading “Firefoxの功績を考える:FirefoxはなぜGoogleから10億ドルがもらえるのか”

学会の要旨集システムをゼロから考え直そう

Title312月13日から16日まで横浜パシフィコで開催された分子生物学会に参加してきました。おおよそ十年ぶりに一般参加をし、講演とポスターをしてきました(ずっとメーカーとして展示には参加していましたが、一般参加はしていませんでした)。

久しぶりに参加して思ったのですが、要旨集とかそれをオンラインで提供するシステムが非常に残念な状態でした。

そこでこのブログでは何が残念だったかをリストアップし、その解決策をゼロベースで考えたいと思います。

残念だった点

  1. ポスター会場のWiFiが全く使い物になりませんでした。学会が用意しているmbsj2011のWiFiが全く機能せず、そのため非常に多くの人がモバイルWiFiを使っていて、それも大混線していました。結果として、人が多いときは何をやってもインターネットにつながらないという状況でした。今年から要旨集やスケジュールがCDで配布されなくなったこともあったので、インターネットにつながらない状況は非常に問題でした。
  2. 「プログラム検索・オンライン要旨閲覧システム」は大部分の「要旨」がなぜか掲載されておらず、抜けていました。僕自身が書いた要旨もなぜかこのシステムには登録されておらず、見ることができませんでした。要旨が掲載されていない「オンライン要旨閲覧システム」というのはあり得ない話です。
  3. それ以外にも要旨集システムは不満が多く、10年前から何も進歩していないという印象を強く持ちました。それぞれの不満点については後述します。

要するに、相当にボロボロな状態でした。

いかにその原因についての考察を交えながら、いろいろな提案をしていきたいと思います。なるべくゼロベースで考え、理想の要旨集はどのようにあるべきかを考えたいと思います。 Continue reading “学会の要旨集システムをゼロから考え直そう”