いい言葉です:『イノベーションというのは「未来にある普通のものを作ること」』

上杉周作さんがTwitter上に以下の言葉を書き込んでいて、あっちこっちでretweetされていました。

Innovation s

どこに書いてあったか覚えていないのですが、Steve Jobs氏とかはあたかも未来を見て来たかのようにイノベーションを語るそうなので、なるほどねって思いました。

イノベーションとはなにか?私は主に Clayton Christensen の著書を読んだり、あるいはApple社の遍歴を見ながら、以下のことではないかと思っています。

  • イノベーションは、人々の生活を豊かにするものです。豊かにしないものはイノベーションにはなりません。また革新的でなくても、生活を大きく改善できるものであれば、それはイノベーションです。
  • 多くの人が昔から思いついていることであっても構いません。また試作機を誰かが作ったものであっても良いのです。この段階ではまだイノベーションは起こっていません。イノベーションが起こるのは、製品が市場に出て、多くの人に受け入れられたときがスタートです。(Macの原型、PARCのAltoのことです。そしてJobs氏が言っていた”Real artists ship!”の言葉のことです。)
  • イノベーションが起こるのは、多くの人がその製品を使い始めたときです。その製品が人々の生活を良い方向に変えていったときです。どんなに革新的な技術であっても、人の生活を変えなければイノベーションにはなりません。

上杉のTweetの「未来にある普通のもの」というのはそういう意味です。未来の普通の人が普通にその製品を使っている。そうでないものはイノベーションではないのです。使われている技術が新しいかどうかは、基本的には無関係です。

私が作っている「バイオの買物.com」もそういうイノベーションを目指しています。新しいかどうかが問題ではありません。大切なのは、生物学の研究者にとっては新しいサービスであること、そして便利だと思って使ってくれることです。さらに、今までは製品比較をあまりせずに試薬を選んでいたのが、バイオの買物.comがあるからこそ多くの研究者がじっくり選ぶようになってくれれば、その時点でイノベーションが始まると私は思っています。

蛇足ですが最近気になっているので、ロボットを例にとります。

  • お掃除ロボットのRoombaはイノベーションだと思います。大腸菌程度のセンサーと頭脳しかありませんが、それでも見事に床をきれいに掃除してくれます。床掃除を毎日することが苦でなくなります。
  • 逆に日本(だけ?)で開発され、マスコミに取り上げられる二足歩行ロボットはイノベーションではありません。かなり複雑で高度な技術が使われていると思いますが、これはまだ遊びの段階です。

Wikipediaの”Innovation”の項も興味深いです。

In business, innovation can be easily distinguished from invention. Invention is the conversion of cash into ideas. Innovation is the conversion of ideas into cash. This is best described by comparing Thomas Edison with Nikola Tesla. Thomas Edison was an innovator because he made money from his ideas. Nikola Tesla was an inventor. Tesla spent money to create his inventions but was unable to monetize them. Innovators produce, market and profit from their innovations. Inventors may or may not profit from their work.

残念ながら日本語Wikipediaの「イノベーション」を見ますと、

これまでイノベーションは、よく「技術革新」や「経営革新」、あるいは単に「革新」、「刷新」などと言い換えられる。これは1958年の『経済白書』において、イノベーションが技術革新と訳されたことに由来するといわれている。当時の経済発展の要因は技術そのものであったため、イノベーションは「技術革新」と訳されたのかもしれない。

日本では英語版Wikipediaに書かれていたような”Invention”と”Innovation”の区別はあまりないのかもしれません。だとするならば、これも日本の製造業の調子がいまいち上がらない理由の一つと言えるでしょう。

技術的なことで戦略を決定してはいけないという話

Horace Dediu氏がまたイノベーションと戦略について興味深い議論をしています。

“What Google can learn from John Sculley: How technology companies fail by placing their strategy burden on technology decisions”

私が見る限り、論点は以下の通り;

google-rainbow-apple.png

  1. Adobe FlashはH.264などのビデオコーデェックに比べて垂直統合されているため、コンポーネント技術を最適化しなければならないスマートフォンでは使い難くなっています。またFlashはそもそもがビデオ再生だけを考えると機能があり過ぎて、ギリギリでやっていかなければならない今のモバイルには向きません。
  2. Apple社はJohn Sculley氏がCEOだったとき、技術の優劣に基づいて、Intel社のCISC型PentiumよりもMotorola社のRISC型のPowerPCを採用しました。しかしその判断は誤りでした。そもそもCISC型とRISC型のどっちが優れているかを判断の根拠のするのが間違いでした。そうではなく、どの会社がより長い期間、CPU技術を改良し続けるのかで判断するべきでした。
  3. GoogleはWebMというビデオコーデックを開発し、自社のChromeブラウザにどの規格を採用するかを議論する等、”H.264 vs WebM”や”HTML5 vs. Flash”に労力を費やしています。しかしそういう技術的な問題が大切なのではなく、そもそもスマートフォンでブラウザが重要であり続けるかどうかが重要です。Steve Jobs氏も繰り返していますように、iPhoneユーザはPCユーザに比べるとブラウザで検索することが少なく、長い時間をアプリの中で使う傾向が強くなっています。ですからChromeがどのような規格を採用するかはあまり重要ではないということです。

社内にどっぷり浸かると技術的判断をしがち

これは私が自分の周りを見てずっと思ってきたことです。社内にどっぷり浸かって、技術についての理解が深まれば深まるほど、技術を中心に戦略的な判断をしたり、マーケティングのポジションを考えたりするようになってしまうことがほとんどです。特許の話が絡んでくるとなおさらです。

製薬企業でゲノム研究していた頃は、細胞の分子メカニズムや薬の作用メカニズムだとかにばかり目が行ってしまい、そもそもこの疾患を薬で直そうとするべきなのかであるとか、薬以外の他の療法との関係はどうなのかを十分に知ろうとはしませんでした。ゲノムに注目するべきなのかどうかという議論は言うに及ばずです。

またよくやってしまうのは、自社技術の強みを活かそうという考え方。これを判断の中心においたら、まず間違いなく失敗するでしょう。

マーケティングをやっていたときも常々感じていました。私がクロンテックにいた頃のDNAアレイに対する不思議な情熱はこれです。現時点での技術ではなく、必要なビジネスリソースと長期的な研究開発力の視点が欠けていたと思っています(クロンテック以外のほとんどのDNAアレイメーカーもそうでしたが)。技術に疎い経営幹部ですら、いつの間にか技術中心で戦略を判断することに慣れてしまうのです。

でもそうやっていると、次にやってくる技術のうねりが見えなくなってしまいます。次のうねりは今見ている技術ではなく、違うところから起こってきますので。

「技術(特に現時点の)を中心に戦略を判断してはいけない」

こう肝に銘じておけば、ずいぶんと幅広い視野で物事が見られるようになると思います。

参考:Steve Jobs on OpenDOC

イノベーション理論から見るIntelのビジネルモデルの問題

Microsoft Windows 8がARMをサポートするというニュースがありました。

Clayton Christensen氏のイノベーションに関する一連の理論に照らし合わせて、これが一体どういう意味を持つのかを、Horace Dediu氏が解説していました。

“Who killed the Intel microprocessor?”

以下その中の議論を元に、自分の意見をいろいろ述べたいと思います。

ARMとIntelの違いは何か

ARMはCPUのライセンスを提供し、NokiaとかAppleがBluetoothや音楽デコーディングの回路をCPUと同じ半導体上にデザインし、SOC (System on a chip)と言われるものを設計します。何を組み込むかは最終的な製品に合わせて、Appleなどが決定します。そしてSOCのデザインを元に、Samsungなどがこの半導体を製造します。

すなわちARMのライセンスは、最終製品に最適化された、統合された半導体のデザインと製造を可能にします。

それに対してIntelはデザインから製造までをすべて自社で行い、最終製品を販売します。どのような付加的な回路を組み込むかを選択することはできません。Bluetoothや音楽デコーディング用の回路を組み込むか否かはIntelが決め、変えることができません。

どうして今、Intelのビジネルモデルが失速しているのか

IntelのようにCPUに関わるすべてを自社で行うことは大きなメリットがあります。最高に高性能なCPUが作れるというのがそれです。製造工程を含め、CPUに関わるすべてのコンポーネントを最適化できます。例えばトランジスタ数が増やせるような製造工程の改善が行われれば、コア数を増やしたりキャッシュを増やしたりして性能の向上に役立てることができます。

しかしもはやCPUの性能だけが問題ではなくなっています。逆にCPUの性能はそこそこでも、デバイス全体の消費電力が低いことだとか、サイズが小さいことだとか、カスタムの回路を自由に組み合わせられるということの方が重要になってきています。

特にiPadやiPhoneに代表されるデバイスでは、サイズと電池の寿命が一番重要であり、まだまだ十分なレベルまで達していない、未解決の課題として残されています。このような状況では、それぞれのコンポーネントを互いに最適化させ、統合し、最後の一滴まで性能を搾りとることが優先されます。ARMのように、CPUを含めて統合が可能なビジネスモデルが好まれるのはこのためです。

垂直統合型のApple社が成功しているのは、自らIT市場にイノベーションをもたらしたから

Apple社の垂直統合モデルが成功するのか、Wintel連合の水平分業モデルが成功するのかという議論があります。多くの評論家は最終的には水平分業モデルが勝つという意見を持っているみたいですが、この人たちの理屈は決まってApple社の成功を説明できていません。Apple社の成功の理由を理解できずに、それでも水平分業が勝つと言い切っているのは、いつ聞いても不思議です。

Christensen氏の理論を理解するとApple社が成功理由は簡単です。

Apple社は既存の技術ではギリギリ作れるか作れないかという製品を世の中に提案し、それを消費者に新しい夢を見せ、消費者に渇望させ、垂直統合によるギリギリの最適化でそれを実現しています。常にレベルの高いものを消費者に提案することによって、垂直統合が栄えやすい土壌を作り上げています。

iPhoneは全く新しいコンセプトでした。同時にiPhoneはソフトウェアもさることながら、ハード面では電池消耗とCPU性能はギリギリのバランスでした。電池がギリギリ一日持つようにCPU性能は制限されていましたし、当初はマルチタスク等が出来なかったのは単純にこのためでしょう。

iPadは業界筋の大方の予想の半分の価格で市場に出ました。あれが10万円する製品だったらあれだけ話題にならなかったでしょう。大部分のネットブックを下回る4万円台で発売されたことは大きな意味がありました。iPadではARMデザインのA4 CPUにより性能の部分と電池の持ちはクリアできていましたが、価格がギリギリです。一年経って現れた競合ですら、価格では全く勝てていません。この価格を実現するために、不必要な部分を削る様々な最適化が行われたことでしょう。

遡ってApple IIのディスクドライブの話に戻ります。これもApple社の垂直統合が大成功した例です。このときSteve Wozniakが天才的なデザインでディスクコントローラを作り上げたおかげで、フロッピーディスクの容量を拡大しつつ、安いコストで製造することに成功しました。フロッピーディスクの容量がまだ90 kilobyteだった時代に、コントローラの改善で113 kilobyteに引き上げたのです。しかも半導体の数を数分の一に減らして、コストを下げています。

こう理解すると、Apple社の垂直統合が経ち行かなくなり、水平分業の方が勝つのはイノベーションが行われなくなったときだと言えます。コンポーネントによってもたらされる性能の向上に比べ、消費者の渇望を高めることが出来なくなったときです。こうなると垂直統合による最適化をしなくても、コンポーネントを普通に組み合わせるだけで顧客の用途を満たすだけの性能が実現できるようになります。水平分業でも十分な製品が作れるようになるのです。

Intelとしては、デバイスのイノベーションが盛んに続くだろうここ数年間は何をしても復活することは無さそうです。Intelのビジネスモデルがもたらす価値が市場に必要とされないからです。市場での影響力が低下するのは避けられそうにありません。

海外のPhDは評価が高いのか?

NewImage.jpg日本ではPhDの一般的な評価が低く、そのために就職にも有利とならず、博士の就職難問題などの原因になっているという話があります。

実際、大企業でも研究職の大半が修士卒以下だというのは先進国では珍しいのに対して、欧米ではPhDを持っていないとアカデミックでも企業でも一人前の研究職とは認められないようです。

しかし先日読んだThe Economistの記事、“The disposable academic: Why doing a PhD is often a waste of time”では、欧米でもPhDの評価が低いと論じています。平均年収の話もあり、説得力があります(例えば修士卒と博士卒では給料の差がほとんどなく、学部によっては逆転するそうです)。以下に抜粋します。

海外でもPhDは奴隷のように働かされている

ドクターコースを終え、企業に就職したドイツ人の同僚もこんなことを言っていました。安い労働力としてこき使われ、長時間労働と低賃金、そして将来への不安は同じようです。

One thing many PhD students have in common is dissatisfaction. Some describe their work as “slave labour”. Seven-day weeks, ten-hour days, low pay and uncertain prospects are widespread. You know you are a graduate student, goes one quip, when your office is better decorated than your home and you have a favourite flavour of instant noodle.

But universities have discovered that PhD students are cheap, highly motivated and disposable labour. With more PhD students they can do more research, and in some countries more teaching, with less money.

PhDコースで教える内容は就職に結びつかない

PhDコースはアカデミア職に就く人のためにデザインされていますが、アカデミア職の空きが足りないようです。また企業が求めるスキルは身に付いていないようです。

PhDが不足しているのは新興国だけのようです。

There is an oversupply of PhDs. Although a doctorate is designed as training for a job in academia, the number of PhD positions is unrelated to the number of job openings. Meanwhile, business leaders complain about shortages of high-level skills, suggesting PhDs are not teaching the right things.

America produced more than 100,000 doctoral degrees between 2005 and 2009. In the same period there were just 16,000 new professorships.

in Canada, where the output of PhD graduates has grown relatively modestly, universities conferred 4,800 doctorate degrees in 2007 but hired just 2,616 new full-time professors.

Only a few fast-developing countries, such as Brazil and China, now seem short of PhDs.

アメリカのPhDコースに新興国の学生が集まるのは低賃金だから

確かにこのような見方もありますね。

In some countries, such as Britain and America, poor pay and job prospects are reflected in the number of foreign-born PhD students. Dr Freeman estimates that in 1966 only 23% of science and engineering PhDs in America were awarded to students born outside the country. By 2006 that proportion had increased to 48%. Foreign students tend to tolerate poorer working conditions, and the supply of cheap, brilliant, foreign labour also keeps wages down.

PhDを取っても給料は高くならない

英国でのデータ;

  • 大卒 vs. 高卒 : 14%高い給料
  • 大卒 vs. 修士卒 : 23%高い給料
  • 大卒 vs. 博士卒 : 26%高い給料

つまり修士卒に比べて3%しか高い給料は得られないという話です。

しかも数学と計算機、社会科学と言語学ではこの差は消滅します。さらに工学や技術、建築と教育では逆転し、修士卒の方が高い給料が得られています。

In some subjects the premium for a PhD vanishes entirely. PhDs in maths and computing, social sciences and languages earn no more than those with master’s degrees. The premium for a PhD is actually smaller than for a master’s degree in engineering and technology, architecture and education. Only in medicine, other sciences, and business and financial studies is it high enough to be worthwhile.

それで日本でGalaxy Tabは売れているのか、売れていないのか

Asahi.comに『7インチの大画面スマートフォン「GALAXY Tab」のネット機能をiPadと比べた』という記事があり、BCNランキングなども紹介されていました。

発売直後の売れ行きは上々。「BCNランキング」の2010年11月の携帯電話ランキングでは、月末の11月26日発売ながら24位にランクイン。スマートフォンに限ると、auの「IS03」、ソフトバンクモバイルの「iPhone 4」の32GBモデル、同16GBモデル、NTTドコモの「GALAXY S」、「Xperia」、auの「IS01」に次いで、7位だった。

 週次集計では、発売日を含む11月第4週(2010年11月22日-28日)は7位、翌週の11月最終週は8位と、2週連続でトップ10入り。特に11月第4週は、「iPad」のWi-Fi + 3Gモデルの販売台数を上回るほどだった。「LYNX 3D」などの新製品がランキング上位に並ぶ中、12月第1週(12月6日-12月12日)は11位にとどまったが、12月第2週(12月13日-12月19日)は26位にダウンした。

とは言うものの、何を言っているのかがよくわかりませんので読み解いてみました。
NewImage.jpg

ランキングの推移

以下、携帯電話ランキングのみを抽出(スマートフォンの中での順位ではなく、携帯電話全体の中での順位)。斜体は私の私見です。

  1. 発売月(2010年11月)に24位にランクイン。ただし11月26日発売なので、5日間分の売上げのみがカウントされています。
  2. 週ごとに見る発売された週(11/22-11/28)は7位、次週(11/29-12/5)は8位、12/6-12/12は11位、12/13-12/19は26位。
  3. 最初の発売された週はiPad WiFi +3Gの販売台数を上回りました。ただiPad全体と比べると、数分の一と推測されます。(下記参照)
  4. 新しいバージョンのiPadは2011年2-3月ごろに発売されるウワサがかなり具体性を帯びてきています。新iPadを予想した上での買い控えがあると思われます。(私自身は完全にこれです)
  5. 一方でGalaxy Tabについても12/22から「Happy Tabキャンペーン」が行われるらしく、1万円以上割り引くそうです。最も熱心なユーザにとりあえず売れたところで、ちょっと間をおいてから値引きをするというのはどうかと思いますが、これも買い控えはあるでしょう。

iPadはBCNランキングでは携帯電話ランキングではなくノートPCランキングに掲載されています。ノートPCランキングでアップル限定で絞り込むとiPadの機種ごとのランキングが分かりますが、iPad WiFiの方がiPad WiFi + 3Gよりもずいぶんと売れているみたいですので、「iPad WiFi +3Gの販売台数を上回る」と言ってもiPad全体の売上げの数分の一程度と推測されます。

どうやらスタートダッシュこそはiPad全体の売上げの数分の一でしたが、そこから急速に売上げは低下したようです。

DoCoMoのネットワークにつながるにもかかわらず、Galaxy TabはiPadと比べて大して売れていないみたいです。iPadを脅かす存在では全くなく、Steve Jobsが言っていた”Dead on arrival”は本当かもしれません。

まあこんなものではないかと思います。

ソーシャルメディアって難しい

ソーシャルメディアと言えば私はTwitterとFacebookとmixiを使っていますが、それぞれに微妙な使い分けをしています。私以外の多くに人も何らかの使い分けをしている思います。

私の場合;

  1. Twitterはネットで知り合った人を始め、不特定多数の人とつながっています。投稿も雑多な内容で、仕事のことを含め、思ったことをその場で書いていました。最近はバイオの買物.comの公式アカウントという位置づけにして、発言内容を仕事関連になるべく絞っています。Twitter上の友人は旧知の間柄でもないので、すごく大切な友人ということはあまりありません。そのため、政治のこともちょっと過激に発言することもありました。逆にそれでつながっている人も多くなっています。
  2. Facebookは顔なじみの人に限定しています。それも学生時代の友人や、プライベートの話が気軽にできる会社の友人(今の会社は一人でやっていますので、以前の会社の友人になりますが)に絞っています。投稿もプライベートばかりで、子育て関連のことばかり書いています。大切な友人ばかりなので、気軽な中にも、学生の頃は話さなかったような政治とかの話はしないようにしています。友人の政治観とかが分からないし、それが理由で友情にひびを入れたくないからです。
  3. Mixiはそもそもほとんど使っていませんが、Facebookと同じようにプライベートの話が出切る友人に絞っています。

ただこれはあくまでも私の使い分けであって、友人が同じだとは限りません。

例えば私はFacebookをプライベートな友人に絞っていますが、その友人の中にはFacebookを今の会社の人間とのつながりに使っている人がいます。

そのとき僕が彼の投稿に対して、学生時代の悪のりした感じでちゃかしたようなコメントをするとマズいのです。なぜならそのコメントを彼の会社の同僚が見てしまうからです。

実際やってしまった後に気付いて、あわてて消してしまったことがあります。

アップデート

よく考えると日本人でFacebookをやっているは、何らかの形で外国人と知り合っていて、その人と連絡を取るためにFacebookを使っていることが多いように思います。留学したのでなければ、必然的にFacebook上の「友人」は会社関係の人間になりやすいですね。
Facebookが日本で普及していけば、そうでもなくなると思いますが。

ソーシャルメディア(TwitterやFacebookなど)を使う上での注意点

NewImage.jpgここ数日、ある代理店とあるメーカーのTwitter公式アカウントで不正確なツイートがありました。私がその点を指摘したところ、ツイートはいずれも削除されましたので、詳細は省きます。ただこれらの「問題ツイート」がどうしてマズイのか、そしてこれをやらないようにするためには何を注意すれば良いのか、自分なりの考えをまとめたいと思います。

続きはバイオの買物.com公式ブログにアップしました。

ノーベル平和賞って人権活動とか民主化活動に与えるべきではないと思う理由

結論から言うと、私はノーベル平和賞を人権活動や民主化活動に与えるべきではないと思っています。あくまでも平和に絞るべきだと思います。

なぜか。

人権や民主化と言ったものは近代の西洋的な価値観であり、西洋であっても歴史が浅く、まだ普遍的にその価値が認識されているとは言えないからです。

また人権や民主化を重視することが人類の平和と繁栄につながるとは言えず、歴史的に見れば比較的民主的な国家こそが無用な戦争を起こしているとさえ言えます。

NewImage.jpg帝国主義国による植民地支配やそのあとに続く第一次大戦、第二次大戦にしても、世界の中でも民主化が早かった欧米の国々が犯したものです。最近で言えばアメリカが犯したイラク戦争もそうですし、イスラエルも民主化された国のはずなのにあんなひどいことをやっています。

その一方で人権や民主化という概念すらない何千年前の古代より、平和の重要性は普遍的に認識されています。

当のAlfred Nobel氏の遺言にしても、平和については書いていますが人権・民主化には言及していません(Wikipediaのノーベル平和賞の項 日本語 英語)。

…shall have done the most or the best work for fraternity between nations, for the abolition or reduction of standing armies and for the holding and promotion of peace congresses.

国家間の友愛関係の促進、常備軍の廃止・縮小、平和のための会議・促進に最も貢献した人物

それもそのはずです。Nobelが生きていた時代(1833年-1896年)の世界はまだ人権の考え方が確立していなかったのです。スウェーデンでは既婚女性が自らの所得を使えるようになったのは1874年、女性に選挙権が与えられたのは1921年です。アメリカの黒人差別と公民権運動は言うに及ばずです。

想像ですが、人権や民主化の推進が世界の平和にプラスになるなんて、Nobel氏はこれっぽっちも思っていなかったのではないでしょうか。

結論

平和は歴史的にも地理的にも普遍性を持った、人類共通の価値観です。平和に貢献した人を表彰している限りはノーベル平和賞は世界全体のものと認識されて良いと思います。

しかし人権や民主化に対してノーベル平和賞を与えるのは、西洋の近代的な価値観の押しつけだと言われても仕方がありません。しかも人権・民主化が平和に貢献するという客観的な証拠も無さそうです。Nobel氏の意思に沿っているとも言えないと思います。

「人権・民主化が平和につながる」と言うのであれば、日本を含めた民主国家が例えば中国に対して先例を示さなければなりません。民主化していることが如何に良いことか、如何に平和に貢献しているか、如何に国民の幸せにつながるのかを示さないといけません。「人権・民主化が平和につながる」というのはまだ新しい考え方で、歴史的に証明されていません。ですから現代の民主国家こそが、自らこれを証明しないといけないのです。

しかし残念ながら、民主国家はあまり成功していると言えません。経済は破綻するし、政治は混乱するし、好戦的な国もあるし。

個人的には「個人の自由と人権」を謳歌していますので、中国人に民主主義の良さをアピールしたいのですが、なかなかエビデンスが揃わないのが苦しいところですね。

アップデート

ノーベル賞の公式サイトを見ると、こんなことが書いてあります。

It is striking that although the committee based its work right from the start in 1901 on a broad range of criteria for what is relevant to peace, the struggle for human rights was for a long time not among those criteria. The first real human rights prize went to the South African chieftain Albert Lutuli in 1960.
….
Why the struggle for human rights was not considered a criterion before 1960 is an interesting question. Nobel himself evidently did not take it into consideration when writing his will in 1895. Nor did the committee when it began its work in 1901. It included humanitarian work, as we have seen, but not efforts aimed at human rights.
….
So why did it find a place on the international political agenda after World War II? Why had the struggle for human rights not been regarded as relevant to peace before then? The main reason is sufficiently clear. It lay in the new threat posed by the twentieth century’s totalitarian regimes, and more particularly in the experience of total war with ethnic cleansing and other horrors, all within the western world.

ノーベル平和賞が人権や民主化活動を含むようになったのは、ヒットラーのせいなんですね。