中国に対して「民主化しろ」と言うからには、良いお手本を示さないとね

劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞し、それに対する中国がいろいろと不満を形にして表していて、それをまた先進国が非難しているのは、もう皆さんよくご存知のことかと思います。

「人権を守ることが大切だよ」とか「民主化しないといけないよ」とか「中国にとってもの民主化した方が長期的には良いよ」とか「言論の自由を弾圧してはならないよ」とか、いろいろなことを先進国は言っています。

でもそういう「民主的」な先進国が、金融の暴走で大変な不景気に見舞われています。そして不景気から脱却するほぼ唯一の道としてこぞって中国の市場に着目しています。一見すると「民主的」じゃないほうが不況に強いようにも見えます。

各先進国は景気刺激策のコストがかさんだ結果、揃って財政赤字が膨らみ、大きな危機感の中で政権与党が選挙で苦戦を強いられています。そして大きな方向転換を強いられ、財政引き締め策にそろって舵を切ろうとしています。ヨーロッパにしてもアメリカにしても、そして日本にしても然りです。要するにあまり一貫性の無い不況脱出策を各国が採るはめになっています。

この状況の中、中国から見れば「中国にとってもの民主化した方が長期的には良いよ」とはとても思えませんよね。民主化されている先進国がそろいもそろってだらしないことを続けているので。

2011年にはAndroid携帯が衰退していく理由

GoogleのAndroid携帯は最近、日本でも大変盛り上がってきました。Samsungが製造しているGalaxy TabをNTT DoCoMoが大々的に宣伝したり、あるいはAUがようやくAndroid携帯を発売したりしています。SoftbankはiPhoneがありますので、本来はAndroid携帯を売る大きな理由はないと思いますが、それでも一応売っています。

世界でもAndroidは非常に良く売れているようです。

しかし2011年はAndroidが衰退していく年になるだろうと私は思います。

理由は非常に簡単です。特許です。

NewImage.jpgAndroidがここまで人気が出たのは、iPhoneに遅れて3年で技術的に同等なものが作れたからです。iPhoneというのは非常に革新的で全く新しい携帯電話でした。それを3年でほぼ真似ることができたというのは大変なことです。Appleが米国でAT&Tとの独占キャリア契約をしてきたのは、有力な競合がしばらく出て来ないことを想定したものだったと思いますが(つまりキャリアに対して圧倒的な交渉力を維持できる)、Androidの躍進はAppleの想定よりもずいぶんと早かったのだろうと思います。

開発が早かった理由はGoogleの技術者が優秀だったということもあるかもしれませんが、多分それだけではありません。あっちこっちの特許を侵害する形で近道をしたというのもありそうです。

Androidの特許周りを総括しているブログ、FOSS PATENTS : Android caught in a crossfire of patentsでは以下のように書いています。

While I’ve been following patent disputes in our industry for some time, I can’t remember that any software platform has ever been under pressure from such a diversity of patents — held by several powerful competitors — as Android.

Given the well-known strength of the patent portfolios of Apple, Oracle and Microsoft, and considering those companies’ vast resources and expertise, the latter scenario (all patents valid, all of them infringed) is certainly a possibility. Even a fraction of that could already have meteoric impact.

Androidの特許を取り巻く環境はとりわけ厳しく、Androidが無傷で特許紛争から逃れることはまずあり得そうにないという話です。

I said before that if all those complaints succeed (even just the ones that have already been filed), Android would be reduced to uselessness. That’s because the patents asserted cover an impressive diversity of technologies that define the user experience — and, therefore, customer expectations — in today’s smartphone market.

Androidが侵害していると既に訴えられている特許は非常に広範な技術をカバーするそうです。Java VM、UI、電力管理、ネットワーク接続、フラッシュメモリ管理、プログラミングテクニック関係、データのシンクロ関連などなどです。一部だけでもAndroid側が敗訴すると、Android携帯はほとんど使い物にならなくなるそうです。

Googleの対応と2011年の予想

Googleがどのような対応を取りそうか、それはOracleからの訴えに対する反論にもあります。

Google, メーカーを訴えてくれ:AndroidのJava特許侵害

そうじゃないとしても、Apple, Microsoft, OracleがGoogleではなく、携帯メーカーのHTCやMotorolaを訴えるのは全く自由です。Googleが積極的に和解金を払いながら問題を解決していくとも思えませんので(そもそもAndroidは無償で提供していますし)、2011年は引き続き多くのAndroid関連訴訟が起こされるでしょう。

携帯メーカーとしては非常に困ったことです。こんな訴訟に巻き込まれるようなOSを使い続けるよりも、他に使えるものがあるのならぜひ使いたいというのが本音でしょう。訴訟が怖いのでAndroidは使いたくないのに、残念ながらいままでは選択肢がなかったのです。

しかしようやくその選択肢が登場します。2011年にはWindows Phone 7が本格的に売り出されていきます。Windows Phone 7はまだ未完成ではあるものの、かなり有望だというレビューも多く(他にここも)、訴訟を警戒するメーカーはかなり積極的に使うはずです。最悪でも訴えられたときのバックアップとして、各メーカーはWindows Phone 7をラインアップに加えるでしょう。そしてWindows Phone 7が徐々に完成度を高めていってくれれば、携帯メーカーがAndroidに投資し続ける理由はなくなってきます。

OracleとMicrosoftそしてAppleを同時に敵に回すよりは、Microsoftの傘の下でビジネスをやる方がよっぽど賢明そうです。

2011年はそういう年になっていくと思います。

10代の子供にはネットをどう活用してもらいたいか:「10代、パソコン離れ…ネットは携帯で 東大教授ら調査」

Asahi.comに「10代、パソコン離れ…ネットは携帯で 東大教授ら調査」という記事が載っていました。

NewImage.jpg左に引用したグラフを見てもらえるとはっきりしていますが、「自宅でのパソコンによるネット利用時間」が2005年には20分弱あったのに、2010年には10分強までに落ち込んでいます。他の年齢層は軒並み利用時間が増えている中で、10代だけが落ち込んでいます。したがって10代の若者特有の何かがあると考えるのが自然です。以下、思うことを書いてみたいと思います。

これは意外な結果ではない

2009年の1月に僕は「高校生の携帯電話の使い方」というブログ記事を書きました。高校一年生だった姪が携帯電話をどのように使っているかを聞いたものです。そのときも「自分専用のパソコンが仮にあったとしても、面倒だから使わない」ということを言っていました。ブログを書いた当時は気付かなかったのですが、iPadなどが登場したいまでは、パソコンの何が面倒だったのかははっきりしていると思います。立ち上がるのは遅いし、設定が面倒だし、アプリのインストールは分かり難いしなど、iPadが解決しようとしているのはそういったパソコンの面倒臭さです。

この調査を実施した橋元教授は

10代のパソコンによるネット利用時間が落ち込んだのは意外で、10代の携帯ネットの利用も飽和状態に近いと見ている。

と語っているそうですが、彼はあまり10代の若者と接する機会がないのかなと想像されます。

面倒くさいというのは10代だけではないはずです

しかしパソコンが面倒くさいというのは10代だけの話ではないはずです。他の世代にとってもパソコンの起動が遅いのは共通の苦痛です。ですからこれだけでは10代の落ち込みは説明できそうにありません。

Asahi.comの記事の中では、10代の時間がテレビゲームなどに振り分けられていることにも注目していますが、これもまた10代特有とは言えません。3-40代もかなりテレビゲームをやっているはずです。

日本のマスコミのレベルが一般に低いので仕方ありませんが、Asahi.comの記事では10代の落ち込みの原因が十分に議論されていないと言わざるを得ません。

携帯サイトの年代別利用状況

一つ考えられる仮説として、携帯サイトが10代の若者にとって魅力的である一方、インターネットのコンテンツに魅力がない可能性があります。

「モバイルでの利用サービス調査」では世代別の調査が行われていますので、これを見てみましょう。

NewImage.jpg

この中で10代の利用率が突出して高いのは「着うたフル」「ブログ」「電子コミック」「占い」です。「ブログ」の中身が芸能人等のブログなのか、友人同士のブログなのかはこのウェブページだけでは分かりませんが、僕の姪の話だと友人同士のブログを見ることが多いと言っていました。よくある、携帯で簡単に書いたブログなのでしょう。

確かにこれらのものであれば、携帯の小さな画面でも不便は無さそうです。敢えてパソコンを使う必要は感じられません。今日初めて電子コミックをこのサイトで試してみましたが(パソコンの画面上で)、画面が小さいと一コマ一コマに集中させられてしまい、却って良さそうな気もしますね。

逆にパソコンでネットを利用する目的のうち、高校生にとって魅力のありそうなものを見てみます。総務省の資料平成 21 年「通信利用動向調査」の結果の9ページ目のグラフにいろいろな利用目的が記されています。

スクリーンショット(2010-12-13 0.30.29).png

上位項目のうち、パソコンでなければできず、なおかつ中高生にとって面白そうなのは「動画投稿サイトの利用」ぐらいでしょうか。10代がパソコンを利用しなくなっている理由がだんだん分かって来た気がします。

親としては子供にネットをどう活用してもらいたいか

先ほどの総務省のグラフを見ながら、親としては10代の子供にどのようなサイトに行ってもらいたいかを考えてみたいと思います。

パソコンでのネット利用の最上位は「企業・政府等のホームページ(ニュースサイトを含む)」ですし、親としては子供にもこれを見てもらいたいはずです。世の中がどのようになっているのかの情報はそこにあるからです。そして親自身がインターネットをイメージしたときは、このようなサイトをイメージしています。

しかし10代の子供はこれにあまり興味がないのでしょう。だから携帯で十分と考えるのだと思います。

どう考えるか

少なくとも親の世代から見たとき、10代の理想的なネット利用というのは、学習の助けになるような使い方だと思います。学校でやる目の前の勉強はもちろんのこと、社会の仕組みを知る勉強、将来の職業について考えるための勉強など、そういうことにインターネットを利用してもらいたいと思っているはずです。

しかし当然ながら子供が素直に親の意向に従ってくれるはずもなく、自分たちが興味を持っているものがまず最初にあって、それに合わせるようにネットを活用していきます。そして若者の興味はいつの時代もほとんど変わることはなく、相変わらずポップ音楽であったり、友達関係(異性を含む)だったり、漫画だったり、芸能人だったりする訳です。10代の若者が社会の仕組みや将来の職業に非常に関心を持っていた時代は、少なくとも日本が豊かになってからはないはずですし、今後も訪れないと考えるのが自然です。社会のことに無関心でいられるのは先進国の10代の特権なのですから。

10代のパソコン離れは、これを単に反映しているだけではないかと思います。

ただ僕としては残念な思いはあります。若い世代にはもっと有効にネットを活用し、我々の世代では出来なかったようなこと、得られなかったような情報を活用しながら、我々の世代を越えるような人間たちが育ってほしいからです。

そのためにはネット(パソコンの)を活用した授業を学校の中で取り入れるしかないのかなと、この調査結果を受けて、いままで以上に強く思うようになりました。

博士号取得者は○×ができるという議論はやめよう

ぼくのTwitterのタイムラインでは、博士問題を取り上げたり、その解決のために努力をされたりしている人がそれなりにいます。

博士問題、つまり博士の就職難の問題に取り組む姿勢そのものは高く評価しています。しかしその時に「博士号取得者は技術に詳しい」もしくは「博士号取得者は独自に道を切り開く力がある」と言う人がいます。博士号取得者が優秀である、もしくは優れた経験をしているという主張です。

希望的にそう思いたいという気持ちは分かりますが、科学的根拠がないことを科学者が言っちゃいけないと思います。ロジックとしては博士号取得者は優秀だという議論は可能ですが、博士号取得者の方が○×ができるというデータってあるんでしょうか。特に同じ年数を企業で過ごした人と比較して。

入手しやすそうなデータの一つとして、博士課程に入学した人のうち、実際に博士号を取得した人の割合があると思います。ちゃんとした数字は調べていないのですが、例えばインターネット上ではこういうページがあります。まぁまぁ僕の出身学科に近い数字ではあるので、個人的にはこれで大体正しいかなと思っています。ちゃんと調べた結果、もし紹介したページのように理系で博士コースに進学した学生のうちの50%-70%もの人が博士号を取得するというデータになったとすると、例えば「博士号取得者は独自に道を切り開く力がある」ということはもう言えないですよね。

博士号取得の失敗率が低いわけだから、「選抜」は行われていません。かといって、医学部のように医学の体系的な教育がされている訳でもありません。ですから博士号というのは3年間研究をし、平均的な成果が得られ、それを論文にまとめたことに対する学位であると考えるのが妥当ではないでしょうか。それ以上でもそれ以下でもないはずです。

「証明書」があることを除けば、博士号を取得した人と、修士で企業の中で3年間研究をしていた人は基本的に等価です。希望的観測なくして、これ以上のことは言えないはずですし、言ったところで問題は解決に向かわないはずです。

何でも不景気のせいにするのは考えが足りない: 「30代前半の男性、半数が親と同居…不況背景?晩婚化も」

Asahi.comの記事
「30代前半の男性、半数が親と同居…不況背景?晩婚化も」

マスコミだから仕方ないと諦めているけれども、論理展開がおかしいです。

国立社会保障・人口問題研究所が「経済状況の厳しさが、結婚や自立を遅らせている可能性もある」と語ったと報じられていますが、本当にそうだとすると、この研究所もちょっと考えが足りないことになりそうです。

なお調査の原文はここの10ページ、図III-6だと思われます。

スクリーンショット(2010-12-11 2.00.16).png

新聞記事を引用します

親と同居している割合は、結婚を機に30代になると大幅に減少する。ただ、30代前半の男性は調査のたびごとに増加し、1999年は39%、04年は45%だったが、今回は48%と最高を更新。女性も04年の33%から37%に増えた。

つまり1999年から2004年は同居率が6ポイント上昇していて、2004年から2010年は3ポイントしか上昇していません。2002年2月から2007年10月は公式には好景気(いざなみ景気)である一方、2008年のリーマンショックによる景気後退は100年に一度とも言われているものです。したがって言い方によっては、好景気時に同居率が6ポイント上昇して、不景気時に上昇率が半分に低下したとも言えます。

実際に過去の調査結果のデータを確認し(2009年実施2004年実施1999年実施1994年実施)、30歳前半男性に限って整理しました。

2009年 47.9%
2004年 45.4%
1999年 39.0%
1994年 41.2%

1994年から1999年にかけてというのは、バブルが崩壊した直後で、日本経済史上最長の不景気が続いた時期です。でもその間に同居率は2.2ポイント減少しています。

僕なんかの考え方で言えば、この数字を見る限り、景気と同居率の間には相関関係は無さそうだと思うのですが、いかがでしょうか。

まとめ

親との同居率について、晩婚化についても、最近15年のデータを見る限り景気との相関関係は認められません。新聞で報道されているように景気のせいにするのは、はなはだ根拠に乏しい議論だと言えます。

おそらく親との同居率についても、晩婚化についても、景気とは全く異なる要因がむしろ大きく影響していると思われます。

そもそも親と同居するかどうかの判断は、家賃、給与、そして会社の福利厚生に大きく影響されます。

好景気のときは給与も増えますが、家賃も増えます。もし給与の増加分以上に家賃が増えてしまったら、いくら好景気とはいえ、親と同居する子が増えるという議論が成り立ちます。好景気かどうかを見るだけでなく、給与と家賃の相対的な関係を見る必要があります。

また会社の福利厚生として独身寮があり、格安で借りることができるのであれば、景気に関係なく多くに人が入寮するでしょう。最近は各企業が社宅や独身寮を減らしていますので、親との同居率にはこっちの方がむしろ影響している可能性があります。

本当のところはしっかりした調査が必要になりますが、いずれにしても簡単に景気のせいにするというのはあまりにも考えが足りず、あきれてしまいます。

朝日新聞だけなら仕方ないのですが、日経新聞までもこんな報道の仕方をするのでがっかりです。

生物は「効率」を重視したデザインではない

Nature Structural & Molecular Biology誌に“Transcription of functionally related constitutive genes is not coordinated”という研究が投稿されていました。

Constitutiveに発現している遺伝子のmRNA発現レベルは結構適当だし、とても効率を重視したような発現パターンではないよという話です。

The Scientistに解説記事“Surprisingly sloppy yeast genes
The findings suggest the current understanding of transcription networks should be reassessed”
が載っていますの引用して紹介します。

These essential genes — which work together to build important cell complexes like ribosomes and proteasomes — are turned on and off randomly, researchers report in today’s online edition of Nature Structural and Molecular Biology.

細胞のエネルギー効率の観点からすれば、余計なものを作らないことが大切です。無駄なものを作ることは資源の浪費であるのはもちろん、有害な物質の蓄積にもつながるからです。そのために遺伝子の発現レベルはコントロールされるだろうと考えるのが自然です。しかし実際にはコントロールされているどころか、ランダムに変化しているというのです。

“The genes are essentially clueless,” said Singer. “They don’t know what they’re making or the actual destiny of protein. They’re just there, cranking out proteins.”

非常に大切な遺伝子であるにも関わらず、発現レベルのコントロールは全くされていないよ、制御されていないよという話です。

“We have this bias about cells being efficient, but the more we learn about them, the more inefficient we find out they are,” said Singer. “But maybe that’s the way biological systems have to work. If they had too many controls, there’s a lot more opportunity for things to go wrong.”

研究すればするほど細胞は効率重視ではなく、無駄を多く残していることがわかってくるという話です。そして生物が行きていくためには、それは必然なのではないかということです。効率を重視しすぎていたら、うまくいかなくなってしまうことも多いのではないかという意見です。

感想

細胞は効率重視ではないというのは、僕もずっと前から感じていたことで、この論文が示していることは非常に自然に受け入れます。細胞生物学をある程度学んだ方も多くはそう思っているのではないかと思います。

一番分かりやすいのはゲノムです。全ゲノム配列のうち、遺伝子をコードしていると思われるのはわずか数パーセントであり、その他の箇所の大部分はいまだに何をしているかがはっきりしません。miRNAの発見等によって、古典的な遺伝子以外にも機能を持った配列があることはわかりましたが、それを加えたとしても、一見すると何も役に立っていないゲノム領域の方が圧倒的に多いです。

一見役に立っていないゲノム領域も何らかの機能があるはずだ。そう信じて様々に解析している研究者もいます。しかし今回の研究論文のように生物の「いい加減さ」が繰り返し証明されるにつれ、本当に機能があるのか、疑問に思えてきます。

僕はそういうとき、自分のオフィスの机、そしてパソコンのハードディスクの中身を思い出します。日常的に使っている領域や書類はやはり数パーセントです。その他のものの中にはもちろん大切で保管が必要なものもありますが、捨てても永遠に気付きそうにないもの、つまり無駄なものも多くあります。数年に一回オフィスを大掃除したり、ハードディスクの中身を見直したりしているにも関わらずです。

さらに自分の身の回りだけではなく、人間の営みそのものや社会、経済、会社組織についても考えてみます。どこを見ても無駄なものは見つかります。こうしたら効率化できるのではないかというものがあります。しかし現実にはそうなっていません。

効率化が進んでいるかどうかについて、細胞と自分のオフィス、パソコンのハードディスク、そして社会との間には本質的な差は無いと僕は常々考えています。

「そうか、細胞も僕と同じぐらいはずぼらなんだね。」

これが本質だと思います。

ライフサイエンス研究用試薬・機器メーカーのFacebook利用状況

表記の記事をCastle104公式ブログにアップしました。

ライフサイエンス研究用試薬・機器メーカーがどのようにFacebookを活用し、顧客とコミュニケーションを計ろうとしているかを調査しています。

結論としてはClontechの一人勝ちです。Facebookの活用を考えているメーカーはぜひClontechのやり方を勉強してください。

ちょっと力が入った記事ですので、ぜひご覧下さい。

ASPサイト内検索の限界:GE Healthcareのサイト内検索が改善された件

表記の記事をCastle104公式ブログにアップしました。

ASPサービスをサイト内検索に利用した場合の利点や問題点について言及し、バイオの買物.comの取り組みについても紹介しています。

ちょっと力が入った記事ですので、ぜひご覧下さい。

新聞がなせインターネットに乗り遅れ、業績を悪化させているか

AsymcoのHorace Dediuが新聞の現状について、どうしてこうもインターネットに乗り遅れて業績を悪化させているかについて述べています。

The integrated iPad news daily: Read all about it!

現在の新聞社は印刷工程の存在があまりにも巨大であることを紹介し、インターネット時代に適応するには全く新しい形の会社が出現する必要があるのではないかと結んでいます。

要するに新聞にとってのインターネットはClayton Christensen氏が言うDisruptive Innovationであって、新しい企業が主導権を取り、産業構造を変えるものだということです。逆の見方をすると、普通に言われる「良い経営」をしていると既存の新聞社は完全に追いやられてしまうということです。

Disruptive Innovationで主導権を取りうる新しい企業の例としては、Rupert Murdoch氏とSteve Jobs氏が準備していると噂されている”Daily”に期待が集まります。

この”Daily”はiPad専用で、印刷版もWeb版も用意しないそうです。そして毎週たったの$99で購読できます。ざっと今の日本の新聞(例えば日経電子版)のたった1/10の価格です。

これだけの低料金を実現するため、社員構成は今までの新聞社と全く違うものになります。完全にジャーナリスト主体です。100名ほどのジャーナリストとわずか8-10人ぐらいのテクニシャン。これだけの新聞社にするつもりだそうです。もちろん印刷機械等も必要ないので、設備投資も非常に少なく済むでしょう。

ほとんどジャーナリストだけの会社にして、印刷だとか営業、運搬等の業務を行わないということは、まさに新聞社としての本質への回帰です。購読者としては歓迎できることではないかと思います。

逆に日経電子版等が印刷版と比べてほとんど値段を下げられなかった理由は、やはり印刷版とインターネット版を両方抱えることによって生じる様々な内部矛盾にあったのではないかと想像されます。

最終的には記事の質が良いかどうかにかかっていますが、何しろ価格が魅力的なので、”Daily”の形ならかなりいけそうな気がします。

子供が学校で意地悪を受けたとき、どう話すか?

まだ3歳10ヶ月の長女の話ですが、子供どうしで遊ぶようになってまだ2年も経たない年頃なので、子供として初めて体験する友達同士のトラブルが発生します。

特に男の子は言葉が汚くなることもあり、長女に対してもちょっと意地悪な言葉だとか行為が出てくるようです。

それはそれで全く仕方のないことなのですが、そういうことを親に話してくれる長女にどういう言葉をかけてあげるか。大げさに言えば、その言葉が何かによって、その人の価値観のかなりの部分が見えてくるのではないかと思ったりします。

僕が長女に言っているのは「意地悪をする子はちょっとおバカさんだから仕方がないの。あなたはひらがなもカタカナも読めて、英語も勉強しているでしょう。でもあの子は出来ないよね。でもおバカさんだって言ったら、あなたもおバカさんになっちゃうので、絶対に言わないようにね。おバカさんが可哀想だからね。秘密だよ。」

僕はハンムラビ法典的な「目には目を」という考え方は、現代には合わない原始法律として理解しています。そうではなく、マハトマ・ガンディーの言う「”目には目を”は全世界を盲目にしているのだ」こそが僕の価値観です。少なくとも昔の日本の親の多くは「いじめられたらやり返せ」と子供に言っていたそうですが、僕はその考え方は間違っていると思ってます。

僕の考え方では「意地悪」だとか「いじめ」というのは加害者の未熟さに由来していて、「いじめられたらやり返せ」というのは自分の子供に「未熟者と同じレベルになれ」と言っているのと同じです。ですからそういうことは絶対に言いません。

同時に「意地悪」や「いじめ」に耐えたり許してあげたりするためには、自分の方が精神的にも能力的も優れているという自信が大切だということを理解しています。これは自分自身の経験もあります。自分に自信がある人間は、多少の辱めを受けたとしても聞き流すことができます。その一方ちょっとの侮辱ですぐに逆上する人間は、自分自身に自信がないのです。少なくとも僕はそう考えています。

ですから長女が「意地悪」をしてきた子を許すためは、長女が自分自身に自信を持たなければなりません。そのために自分の能力を再確認させて、そして逆に「意地悪」な子を可哀想に思えるようになる必要があります。

僕は自分のこのような価値観に基づいて、長女に先の言葉をかけました。

でもこういうときに対応はやはり難しいと感じます。それぞれの親によって、全く違う言葉をかけるでしょう。

このブログを読んでくださっている方も、自分だったらどういう言葉をかけるか、そしてそれが自分のどのような価値観に基づいているのかを考えてみたらいかがでしょうか。きっと自分の価値観がよりよく理解できるようになるのではないかと思います。